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 腕が切り飛ばされた。

 切断された左腕は衝撃に吹き飛ばされ、遠く離れた地面に落ちた。

 激痛に悶え苦しみ、傷口を抑えながら地面に崩れ落ちる。

 なぜこんなにも痛いのか。

 目から一筋の涙が零れた。

 ゲームのはずなのに、痛覚制限がまるで機能していない。

 設定では上限が付いているはずなのだけど、この痛みはそれを無視している様だとアリスは思った。

 これもログアウトが出来ない不具合と同じなのだろう。

 バグに違いない。

 痛みから少しでも逃れようと、現状からの逃避をアリスは行う。

 しかしそれが許される状況ではない。

 アリスの目の前には邪悪な魔物がいて、そいつはアリスの事を敵と認識したのだから。

 邪竜は再び尾を持ち上げた。

 追撃である。

 アリスはそれに気付き、何とか避けようとしたが、足が震えて上手く立つ事も出来なかった。

 尾が振り下されようとした。

 黒化ゴブリンに切り捨てられた時よりも巨大で破壊的な一撃。

 焦るあまり無理な動きをして倒れ、余計に逃げられなくなる。


(あ、これもう駄目だな)


 アリスはあっさりと諦めた。

 現状を受け入れ、邪竜の攻撃を避けるのを止める。

 こんな大きなイベントの序盤でリタイアするのは非常に残念だ。

 アリスは溜息を吐く。

 もしかしたらすぐにリスポーン出来て、再びイベントに出れるかもしれないが、その可能性は低いだろうと思う。

 このゲームは無駄な事でリアルに寄せている所がある。

 イベントが終わるまで暗闇で待機する羽目になりそうだ。

 だが、アリスにとっての問題はそこではなかった。

 テレリをイベント終了まで守れなかった事が最も悔やまれる事だった。

 何とか生き延びてくれると良いのだが。

 テレリの生存を女神に祈ると決めた直後に、邪竜の尾は地面を叩き付けた。


「あれ?」


 横腹に受けた衝撃で地面を転がったアリスは、痛みを忘れて惚けた声を出した。

 尾は地面を打ち付けた。

 しかし自分はなぜか無事だ。

 狙いを外したのか。

 アリスが抱いた疑問は、同時に起きていた変化によって否定される。

 地面が氷に覆われていた。

 そこはアリスが倒れた場所で、尾が粉砕した場所だ。

 そしてアリスが衝撃を感じた横腹部分のマントには、氷の破片が付着している。

 アリスはすぐに、テレリに助けられたのだと悟った。

 自分が受けた衝撃は邪竜の尾が地面を砕いた時のそれではなくて、魔法によって成された氷での突き飛ばしだったのだ。

 胸の内でテレリに感謝の言葉を叫び、痛みがぶり返す前に、器用に体を捻って地面に着地した。

 傷口を片手で抑えながら、アリスは何とか両足で立つ。


(立てた。けど、このままだと不味い)


 片腕を失い元のバランスを崩した今では、思った様な力は込められない。

 攻撃力が落ちるし、機動力だって本来の実力は発揮できないだろう。

 また攻撃されたら終わる。

 テレリなら何度でも助けてくれるだろうけど、悪戯に魔力を消費させるのは悪手だとアリスは考える。

 いっその事、後先考えず全力で攻撃して華々しく散ろうかと思い始める。

 そんな時に、アリスのマントの下から青色の光が発生した。

 どうやらそれはベルから貰ったネックレスの、虹色で星型の石から発せられている様だ。

 困惑しながらアリスが自分の胸元辺りで揺れる石を見下ろす。

 この青い光は、高濃度の魔力だ。

 それも凍える様に冷たい魔力。

 アリスには覚えがあった。

 薬草の森の湖で、黒化毒沼鯰に向けられた水の大魔法。

 これはその時と同じ感覚だ。


「うわっ!」


 アリスは驚いて悲鳴を上げた。

 石から青い水が湧き出したのだ。

 急流の川の様な勢いで水は傷付いた左肩に纏わりつく。

 すると痛みが消えた。

 頭を突く様な激痛が嘘の様に引いて、アリスは恐る恐る右手を離した。

 やはり痛みは感じなかった。

 右手が離れたと同時に、青い水は停滞を止めて更に流れ始める。

 傷口を塞いでいた水の塊から、糸の様に細い水流が生じて、それはすぐに太く長くなっていき、やがて5本に別れる。

 次第に青い水は腕を形作った。

 それは失った左腕と寸分の狂いもなく同じ形だった。

 アリスが驚いている暇もなく、変化は淀みなく行われた。

 肩の接続部から水の色が変わり、瞬く間に肌の色と同化する。

 途端に左腕が戦場の熱気に包まれた。

 目を丸くしながら、腕を握り、開く。

 確かな感覚がある。

 完全に怪我が癒えていた。


「これは、精霊様の! あの獣人は一体何者だ!?」


 聞き覚えのない声が聞こえた。

 恐らくは重症だった指揮官だろう。

 よくもあの怪我で叫べるものだと、アリスは頓珍漢な感想を抱いた。

 自分は腕の1本でも言葉を失うくらい痛かったのに。

 指揮官の精神力に脱帽する。


(さて、腕が治った。これで戦えるぞ)


 さっきとは打って変わり、アリスは楽しげに舌舐めずり。

 回復魔法のお陰である。

 怪我どころか気分まで良くなった。

 当たり前だがアリスの錯覚だ。

 アリスは精神系の状態異常を受けていなかったし、魔法にもそんな効果はない。


(でも次は攻撃を避けられないかもしれないから、もっと気を付けて攻撃しないと駄目だね)


 邪竜の攻撃が強烈なのは良く分かった。

 図体の割に機敏なのも理解した。

 だからアリスは警戒を強める。

 最初に思った通り、まともに戦って勝てる相手ではない。

 アリスは卑怯と言われようとも、この場においては勝利に拘る事にした。


(まずはこう、かな?)


 アリスは邪竜の足の甲に乗る。

 幾ら2本足で立てると言っても、邪竜には人間程のバランス能力はないはずだ。

 蹴りが出せなければ、関節の所為で腕も届かない。

 だから振り落とす手段はないだろうと計算したのである。

 つまりここが安全地帯だ。

 その考えは当たっていた。

 邪竜は尻尾を振り回すが、それはまるで見当違いの場所を打ち、攻撃がアリスに通らない。

 その間にもテレリの放つ氷魔法をその身で受けながら、しかし邪竜はアリスに執着する。

 唯一自分にダメージを与えたアリスだけを、邪竜は敵と認識していたからだ。

 アリスにとっては幸運だった。

 恐れていたテレリへの攻撃がない。

 これで思う存分、案山子同然となった邪竜を殴り続ける事が出来る。

 アリスは左手で邪竜のゴツゴツとした鱗を掴み体を固定すると、もう片方の腕で殴打し始めた。


「おとと。流石に暴れるねぇ」


 何とかアリスを引き剥がそうとする邪竜が力任せに地面を踏み抜く。

 不安定な足場から落ちない様に何とか堪えながら、隙を見つけては殴る。

 その繰り返しだ。

 いかに邪竜と言えど、威力に特化したアリスの攻撃が硬い防御を完全に無視して、大きなダメージを与えてくるのは辛いのだろう。

 何度も咆哮を上げながら、その度に暴れ方が大きくなる。

 いよいよ、埒があかないと思ったのだろう。

 邪竜は暴れるのを止めた。

 アリスが訝しげに見上げると、邪竜は口内に莫大な魔力を溜め始める。

 余程腹を立てたらしい。

 態々アリス1人を始末する為に、ブレス攻撃をしてくるつもりだ。


「マジかよ」


 アリスは呆然と呟いた。

 邪竜の口に真紅の炎が顕現する。

 溜まり溜まった魔力が圧縮され、それが全て燃料となった。

 光線ならまだしも、火を吹かれては逃げ場がない。

 邪竜の鱗は炎程度が焦がせる代物ではないから、邪竜は自分の被害を無視して炎を吐いてくるだろう。

 しかし邪竜が無事に済んでも、アリスはそうもいかない。

 あの炎に焼き尽くされしまえば、骨だって残らないはずだ。

 今すぐ逃げようにも、ここはクレーターの内側だ。

 崖の様になった斜面を登り終えるより早く、既に発射準備に入った邪竜の炎に焼き払われてしまう。

 さて、どうしようか。

 アリスが打開策を探していると、どこからかガラス瓶が飛んで来る。

 紫色の液体で満たされた瓶はクルクルと回りながら、邪竜の頭にぶつかった。

 ガラス瓶は軽い音と共に割れ、中の液体が空気に触れる。

 瞬間、目が眩む程の白い光が世界を塗り潰した。

 爆発音で空気が震える。

 邪龍の顔の辺りには黒煙が生じていた。

 直後に劫火が放たれる。

 しかし爆発によって逸れたのか、邪竜は足元のアリスではなく、見当違いの方向を焼き払った。

 まるで幻覚でも見ているかの様に定まらない焦点のまま、邪竜は一方向のみに火炎放射をし続けた。

 次第に炎の勢いが弱まり、邪竜が口を閉ざすまで、アリスはその光景を唖然と眺めた。

 最後まで魔法の火炎はアリスに向けられなかった。

 何だったんだろう。

 よく分からないまま、アリスは邪竜の足殴りを再開する。


「てい」


 気の抜ける様な掛け声と共に、馬鹿力任せに放たれる拳。

 直撃した邪竜は驚いた様に飛び上がる。

 信じられない物を見る目でアリスを見下ろした。

 本当に何に驚いているのか、アリスにはさっぱりと分からない。

 だけどチャンスだと思った。

 威力を弱めない様に注意しながら、出来る限りの速さで攻撃を連続で繰り出す。

 ピシリと何かが割れる様な音が聞こえた。

 塵も積もれば山ととなると言うように、アリスが積み重ねた攻撃で鱗に罅が入っていた。

 アリスは喜色をあらわにする。

 この調子で倒せれば尚良かったのだが、そう上手くはいかない。

 驚愕から覚めた邪竜は再び魔力を口に集める。


(またブレスか!)


 忌々しく舌打ちをする。

 そしてどうにか中断させようと考えた。

 攻撃をし続けたなら、ひょっとしたら怯む事があるかもしれない。

 全力の殴りを加えようと右腕を引き絞る。

 その時だった。

 またしても何者かの横槍が入った。

 虚空より滲み出た黒紫色の鎖が邪竜の口を無理矢理に閉ざす。

 縛り付ける様に巻き付いたそれは邪竜の力を以っても抗えない強度であるらしい。

 邪竜は大きく目を開く。

 声を出せたなら絶叫でもしていそうな様子だ。

 ブレス攻撃が逆流したのだろう。

 生きたまま内臓を炎に焼かれる苦しみを想像して、アリスは顔を顰めた。

 死ぬほど痛いだろう。絶対に体験したくないものだ。

 そんな激痛の渦中にいる邪竜はのたうち回る。

 滅茶苦茶に振り回された尻尾が地面を砕き、大翼の羽ばたきが突風を生み出す。

 油断していたアリスは風に吹き飛ばされて、クレーターから放り出された。

 安全圏から遠ざけられて、真横の建物を叩く尻尾。

 巻き込まれてはならないとアリスは大慌てで退避した。

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