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暗闇が広がった。
それからすぐに落ちて行く様な感覚。
目を開ければ街に戻っていた。
最初に降り立った場所である女神像の広場だ。
死に戻りをした事は明らかだった。
「……」
アリスは茫然自失といった様子で、周囲に視線を漂わせた。
もうすぐで倒せたのに。
悔しさが胸中にあった。
しかしそれ以上に感じたのは羞恥の感情である。
(あんな大言しておいて、初日から死に戻りしちゃった……)
まるで顔から火が出る思いだ。
心配を押し退けあれだけ自信を持って森に行き、そこで演じたのは大間抜け。
追い詰めた敵を前に別の事に気を取られ視線を外すなんて、きっと素人だってしないだろう。
しかしアリスはそれをした。
客観的に見て、とても恥ずかしい奴である。
(ううぅ。自分を呪ってしまいたい)
感情に引き摺られたか、兎耳は元気なくペタンと垂れる。
渦巻く負の感情に肩を落とし、溜息が零れ落ちた。
朝とは違って酷く草臥れた様子だ。
(何やってるんだか、私は)
自分の実力を過信し、浮かれて、幾度となく危うい場面があったのに、その対応は不完全。
アリスには不甲斐ない負け方が辛かったらしい。
浮き足立った夢見気分は完全になくなり、現実を嚙み締める。
(もう、負けないぞ)
そう硬く誓って、すぐに気分を入れ替える。
折角のゲームなのだから楽しくやらなきゃ損である。
ただ二度と油断する気はないけれど。
どんな事態にも即刻対応出来る様に、常在戦場の気持ちを忘れない。
そうしてからでも、楽しむ事は出来るはずだから。
(ああ。それと確認する事があった)
アリスはシステムパネルを開いた。
確認するのはステータスだ。
そしてそれは情報通り、森の中で見た時とは大きく違っていた。
このゲームのデスペナルティは、ある時点からそれまでに獲得していた経験値の消失である。
正確には、最後に女神像に祈りを捧げてスキルを習得した時からのレベルと経験値が失われる。
つまりスキル習得がチェックポイントになるのだ。
(あーあ。今日の行動が骨折り損になっちゃった)
確認した所によると、アリスのレベルは1に戻っていた。
空きスキルもなくなっていて、新たなスキルを得るには再びレベルを上げる必要がある事を示している。
残念だが、仕方がない。
勉強料と思って次頑張ろうと、アリスは前向きに考える。
(さてと)
アリスはステータス確認を終え、システムパネルを閉じた。
喜ばしいと言って良いのか疑問だが、予定よりも早い時間に街に戻れたのは不幸中の幸いだったとは言えるだろう。
門番に会いに行き、宿について聞く。
少し気は向かないが、野宿するのは勘弁だ。
未だに重い足取りで、アリスは南門へと歩いた。
「あ、嬢ちゃん。良かった、無事だったか。いつの間に戻って来たんだ?」
「……ついさっきです」
どう考えても無事ではなかったが、それは誰にも口外する気のないアリス。
あたかも何事もなく街に戻った風を装い、曖昧な答えを返す。
門番は疑問に思う事はない。
死に戻りなんて概念はなく、アリスに怪我がないから、無事だったと確信しているのだ。
有り難い誤解だった。
「それよりも門番さん。貴方に聞きたい事があります」
「へえ、何だ?」
門番は驚いた様子だ。
生意気娘がまさかそんな事を言い出すとは思わなかったのだろう。
自分で推測しておいて、アリスは恥ずかしくなる。
慢心だらけの過去の自分に拳骨でも落としたい気分だ。
そんな事を考えているとは噯にも出さず、アリスは自分の質問を聞いた。
「知られていないオススメの宿屋ってどこかにありませんか?」
門番は考える様な仕草をしたが、すぐに何かを思い付いたのか、手を打った。
「それなら狂った鼠亭が良いだろう。名前と立地はあれだが、質はかなりの物だと思うぞ」
そう言って教えられた宿屋の場所は、複雑に入り組んだ路地を通る必要があるらしく、門番の言う通り立地が悪い。
かなり精巧な地図を貰ったから迷う心配はなさそうだが、それにしても変な宿屋である。
普通はもっと客が来そうな場所に構えるべきだと思う。
アリスには商売に関する知識はないけど、そんなに分かり難い場所にある宿屋で大丈夫なのかと不安を感じずにはいられなかった。
「因みに他に良い宿は?」
もしもの為に保険を用意しようとアリスは重ねて訪ねた。
もっと良い宿が見つかるかもしれないと言う打算が大部分を占めていたが、門番はあっさりと言った。
「他に知ってるのは竜の尻尾亭と妖精の翅亭だ。だけど最近は常に満室だって話だから、泊まれる望みは薄いだろうな」
「そうですか」
今門番が上げた2つに関してはアリスも名前を聞いた事がある。
この街では最も有名な大きな宿屋で、トップクラスの質らしい。
人気なのも頷ける。
これらの宿屋が満室なのは間違いなく他プレイヤーの影響だろう。
羨ましい話だ。
「ああ、そうだ。狂った鼠亭に泊まるなら俺に紹介されたと言うといい。多分サービスしてくれるはずだ」
分けれ際、門番はそんな心惹かれる話を付け加えた。
是非ともそうしようとアリスは考えたが、それなら前以て知っておかなければならない事が出来た。
「門番さんの名前を聞いても?」
「ん? ああ、そう言えば自己紹介はしてなかったな。俺はロイってんだ。嬢ちゃんは?」
「私はアリスです。では、これで失礼しますね。ありがとうございました」
「おう。じゃあな」
名乗るが早く、アリスはさっさと立ち去った。
この宿屋まで部屋が埋まれば、最早野宿は避けられない。
早足で歩くアリスの姿は、傍目から見て明らかに焦った様子だった。
大きな通りから路地を行き、地図を頼りに幾度も曲がって、目的の場所に辿り着いた時には、既に空は真っ赤に染まっていた。
(これは地図がなきゃ辿り着けないな)
笑いたくなる程に複雑な道に、アリスは呆れ果てる。
こんな場所で経営が成り立つのか、ほとほと疑問である。
見た限りでは綺麗だし、それなりの大きさがある宿屋だ。
だから疑問はより大きい。
この寂れた裏路地には相応しくない建物だと思ったからだ。
(非合法な活動とかしていなければ良いけど)
恐る恐る扉を開ける。
鍵は掛かっていなかった。
これから泊まろうとしている宿屋に鍵がかかっていても困るが、こんな人気のない場所で鍵がかかっていないのも不安だ。
ちょいと顔を覗かせて、中の様子を偵察する。
しかし変わった物はない。
中は普通の宿屋だと言っても良いと思える程度にはきちんとしていた。
(うーむ。よし、覚悟を決めよう)
アリスの観察眼では宿に異常は見つからなかった。
だから警戒しながらも、今日はここに泊まる事にする。
今度こそ宿に入る。
酒場になっている1階のカウンターで出迎えたのは、ロイに良く似た顔の男性だった。
「いらっしゃい。来客があるとは珍しいな。誰かからの紹介か?」
「はい。ロイさんからお勧めされたので来ました」
自分の宿なのに客が来るのが珍しいと断言した宿屋の主人に、アリスは困った様な笑みを浮かべる。
判断を誤ったかもしれない。
アリスは僅かにだがそう思った。
だけど今から引き返すのも失礼だろうし、諦めて事実だけを述べる。
「おお、ロイの知り合いか。こんな可愛いらしいお嬢さんと知り合えるとは、憎たらしい奴め」
「あはは……」
アリスは言葉を濁した。
お世辞だとは言え褒められるのには慣れないから、返す言葉が分からない。
話を変えよう。
これ以上余計な事を言われる前に、アリスは行動に移す。
「ところで空き部屋はありますか?」
見た限りでは客など自分以外にいないし、さっき主人も珍しいと言っていたから、間違いなくある筈だ。
分かっているのに何故聞いたのかといえば、話を逸らす為である。
「勿論あるぞ。てか空き部屋しかないんだがな!」
胸を張って宿の主人は誇らしげに恥ずべき事を宣言する。
曖昧な笑みを浮かべ、アリスはそれをスルーした。
「では泊まりたいのですが、幾らくらいになりますか?」
「お嬢ちゃんはロイの紹介で来たんだろう? ならそうだな。1泊100イェンで良いぞ」
「……はい?」
情報サイトにある宿屋の料金表を見た限り、このゲームでは最も安い宿屋でも500イェンである。
なのにそれを遥かに凌ぐ安値で泊まれると言うのだから、アリスは驚きで目を丸くした。
それからすぐに困惑と警戒が入り混じった目で、宿屋の主人を見る。
「別に警戒はしなくてもいいぞ。元々何となくで始めた宿屋だ。それに利益を追求しなくても懐には余裕があるからな」
とても自慢気な笑みを浮かべた。
それが事実である事がアリスでも何となく思える程度には、この宿の主人は誠実らしい。
まだ懐疑心が消えた訳ではない。
しかしいざとなったら逃げれば良いだけであり、この話が事実なら金銭面で大助かりなのは間違いない。
アリスは悩んだ末、この都合の良い話に乗る事にした。
「じゃあ取り敢えず1泊します」
「おう、分かった。ならまずは宿屋について説明せにゃならんな」
宿屋の主人はカウンターの引き出しから1つの鍵を取り出し、目の前に置いた。
番号が刻まれた木製のプレートが括り付けられているのを見る限り、これは部屋の鍵らしい。
アリスはインベントリから小さな銀貨を1枚だけ取り出して、交換する様に鍵を受け取った。
宿は基本的に前払い。
面倒な争い事を避ける為に覚えていた事だった。
やはり情報サイトは使えるな。
自分の調べた事が上手く活かせられて、アリスは嬉しそうに微笑んだ。




