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チリチリと肌を焦がすような熱気の中をアリスは駆け抜ける。
宿屋を出た時点で、この熱気の原因が何であるのかには予想がついた。
空に立ち上る幾つもの黒煙を見れば、いかにアリスでも正解を導き出せる。
街中で火事が起きている。
それ程までに魔物の襲来は激しいんだろうと思った。
エルメダは大丈夫だろうか。
胸中に不安が燻っていた。
(エルメダは強いけれど……)
しかし相手は恐らく、外壁を乗り越え街に乗り込んで来る程の魔物だ。
煙の数を見るに、単体で来ている訳でもないだろう。
大群に囲まれてしまえば、流石のエルメダでも危険かもしれない。
アリスは最悪の未来を想像して、顔が青褪めた。
(そんな事にはさせないぞ!)
気合いを入れ直して、アリスは大通りに向かう。
毒沼鯰と戦闘していた時のエルメダの姿を思い出し、頭の片隅では心配はいらない気もしたが、それは無視した。
そっちの方が気分が盛り上がると言う、何とも阿呆な理由だった。
「あれ。思ったより酷くないな」
大通りに着いて、アリスが最初に口にした言葉である。
その言葉の通り、街は悪夢ほどには壊れていなかった。
倒壊した建物は幾つかあれど、それは見える範囲でも極一部だけ。
恐らくここは主戦場ではないのだろう。
そうでなければ、ここまで無事というのも考え難い。
アリスは黒煙の上がる方向を見た。
あっちは街の西部だ。
他の場所より随分と酷い状況であるらしく、黒煙の幾つもがそこから発生している様だった。
「アリス!」
男性の声が聞こえ、アリスは振り向く。
金属の鎧を装備している。
その姿には見覚えがあり、当然声にも聞き覚えがあった。
「ロイさん?」
「ああ、そうだ。だがそんな事はどうでも良い。お前はこんな所で何をしているんだ」
その男性とはロイだった。
アリスは門番がこんな所で何をしているんだと思ったが、そう言えば街の見回りもしていたと思い出す。
「それは私も聞きたいです。これって魔物の襲撃ですよね。ロイさんはこんな所に居ても良いんですか?」
聞くとロイは肩を落とした。
兜に顔を隠されているから表情まで分からないが、何だか呆れられている様な雰囲気がする。
アリスは自分がおかしな事を聞いたのかと思い返してみるも、特に変な部分は見当たらない。
どうしたのか。
素直に聞いたら、ロイは大きな溜息を落として答えた。
「一般人を避難させていたんだよ。彼らが戦いに巻き込まれると、色々と危険だからな」
「あー。そっか。なるほどね」
アリスは納得して頷いた。
言われてみれば人がいない。
どこか安全な場所へ、既にロイが避難させているのだろう。
魔物との戦いを避けてここにいるのだと勘繰ったのだが、ロイはしっかりと働いていた。
苦し紛れに浮かべた笑いは、ロイに黙殺された。
「アリス。ここは危険だ。冒険者や聖堂騎士たちが食い止めているが、魔物の大群が街を包囲している」
ロイが語ったのは、想像よりも重い状況だった。
なら早く加勢しないと。
しかしどこに行くべきなのか。
アリスは悩んで、ロイに質問した。
「この騒ぎの中心ってどこ?」
するとロイが答える。
その時に彼の目が訝しげだった事が、アリスにとっては謎だった。
しかし今はそんな事を気にする時ではないから、見て見ぬ振りをした。
「街の外、外壁の周辺だ。西部からの侵入も確認されている」
やはり魔物の侵入があったらしい。
この辺りを彷徨いていたのは倒されていそうだが、街西部ではまだ徘徊しているかもしれない。
これより被害が広がる前に、中のを駆逐した方が良いだろうか。
それとも苦戦気味な外の戦場を手助けした方が良いかな。
「中と外だとどっちの方が激しいの?」
「外だな。こちらの戦力と魔物の戦力のぶつかり合いが起きている」
ロイの答えを聞いて、アリスは決めた。
まずは街内の魔物から倒そう。
外だと人で混み合っていて、魔物と真面に戦えない可能性がある。
これがイベントならば、プレイヤーだって沢山いるはずだ。
それだと活躍の機会が奪われてしまう。
(急がないと)
アリスはすぐに戦場に向かおうとした。
何とも戦わないままイベントが終了するのはつまらない。
今すぐにでも走り去りそうなアリスだったが、ロイがそれを止めた。
「大聖堂に避難所がある。アリスはすぐにそこへ逃げるんだ。今は何とか抑えられているが、いつ抜けられても不思議じゃない」
「えっ」
アリスは意味が分からないと言うかの様な戸惑いの声を上げた。
だけどすぐに言葉の意味を察して、アリスは口を尖らせた。
「兄弟揃って同じ事を言って。何で私まで逃げなきゃならんのさ」
聞こえない程度の呟きで不満を零した。
自分が戦力として全く考えられていない様に思えて悲しくなってくる。
エルメダもラドもロイも、いらない事で心配し過ぎだとアリスは思った。
「私も冒険者です。魔物と戦うのだって仕事でしょう」
アリスはそう言い切った。
ロイが何かを告げる前に、アリスは手で制して言葉を封じた。
邪魔はさせないと強い意思が目の中で燃え上がっている。
「では、お互いお仕事頑張りましょう」
ロイは手を広げて首を振る。
思い切り呆れられたらしい。
しかしロイが避難指示をする気が無くなった様なので良しとしよう。
今度こそアリスは意気揚々と歩き出した。
目指すは街の西部である。
再び路地を使って、西門へと続く大通りに出る。
ここにも南の大通りと同じ様に人の姿は全くない。
しかし大きく違うのは、この大通りにある建物のどれもが、無事とは言い難い程度に大きな被害を受けている事だ。
完全に倒壊した建物や、燃えながら黒煙を上げる建物もある。
アリスは左右を見渡すと、途端に顔を強張らせた。
見覚えのある魔物だった。
黒い重鎧姿の大柄な人型魔物。
見間違えようもない。
黒化ゴブリンだ。
(あんなのも居るのか)
アリスは森で見つけた惨殺死体が目に浮かんだ。
新米の冒険者では相手するのは辛い敵だろうと判断する。
ならば被害を出す前に自分が倒そう。
アリスは黒鬼の大刀を取り出した。
殴り合いをする時間はない。
だからこの重い威力を持つ武器で、最初から全力で勝負を決めに行こうと考えた。
大刀を両手で持って、全力で一気に距離を詰める。
地面が砕ける音がして、アリスが風の様な速さで迫る。
それを追っていた黒い軌跡は、突如として空気を切る様な重い唸りを上げ、魔物の首筋に鋭く吸い込まれる。
金属がぶつかり合う様な感覚は一瞬だ。
<怪力>によって振るわれた鋭く重い金属の塊は、鋼鉄の兜を容易く粉砕する。
アリスが切ったと自覚した時には既に大刀は振り抜かれ、黒化ゴブリンの頭は宙を舞っていた。
「あれ?」
アリスが地面に着地すると、同時に魔物も光と化して消えた。
黒化した魔物のはずなのに、オーブは残さなかった。
そしてアリスは困惑する。
森で戦った奴より随分と弱い。
「……ふーん」
武器を持っていたし、レベルも上がっていたが、それ以上の理由が別にある。
それはオーブを残さない事からして間違いないだろう。
もしかしたら。証明する術もない仮説をアリスは立てた。
「つまり、模造品だな。これは」
街を襲撃する為だけに形だけを模した劣化品と言う訳だ。
だから性能が低いのだろう。
アリスの脳裏にエルメダと行なった湖の奪還が過ぎった。
力の溜まり場を失ったから、魔物の強化が出来なかったのかもしれない。
何にせよ、この程度なら油断しなければ問題にならない強さだろうとアリスは思った。
他と隔絶した実力持ちがいるなら兎も角、量を揃えた程度でこの街の攻略は難しい。
この街の戦力も多いのだから。
辺りを見渡し他に魔物がいない事を確認すると、今度は西門に向かう。
道中の魔物を見逃さない様に警戒をしながら、アリスは再び駆け出した。




