57
朝、アリスを起こしたのは異様な熱気だった。
深い眠りから目覚めたばかりのよく働かない頭で、一先ず掛け布団を押し退ける。
しかし暑さはなくならない。
下着以外に着ている物はないのだし、本来ならもっと涼しいはずなのだが。
目を擦りながら不思議に思う。
床に足が付かない様にベッドやソファを足場にして窓辺まで飛び移る。
そしてガラス窓を開けると、外から熱風が入り込んできた。
兎耳を真っ直ぐと伸ばし、アリスは勢い良く窓を閉めた。
驚いて眠気から完全に覚めている。
何だか変だぞ。
ようやくそう思った時、更に異常な事が起こった。
どこからか爆発音が轟いたのだ。
アリスは跳び上がって、慌てて装備を整え出す。
明らかに只事ではなかった。
ボディスーツに身を包み、マントを羽織る事は忘れない。
かなり暑いのだが、羞恥心がマントを着ないと言う選択肢を許さなかった。
(何があったんだろうか)
アリスは取り敢えず、階下の酒場に向かう事にした。
ラドなら何か知っているかもしれない。
そう思いながら酒場に入ると、ラドはてきぱきと何かの作業をしていた。
急いでいるみたいだが、焦りはない。
普段見ない行動だから、恐らくこの異常事態に関係しているのだろう。
しかしほとんど焦っていない様だし、深刻な状況ではないのかもしれない。
「ラド。何をしているの?」
「おう、アリス。起きたのか。今は防衛設備を起動させているんだよ」
ラドはそう言いながら、作業の手は少しも止めない。
人気のない宿屋の防衛設備とは何だとアリスは思って、カウンターに近寄る。
ラドはカウンター下に潜り込みながら作業を行っているから、入り口からだと何をしているのか見えない。
なのでアリスは横から覗き込んだ。
(おお。沢山のスイッチだ!)
これではカウンターの下に隠す理由が分からない。
ずらりとボタンが並んでいた。
なんだか不思議な押し方をしている。
アリスはラドがスイッチを入れる姿を眺めながら、そんな風に思った。
左端のスイッチを入れたかと思えば、右端に飛び、そしてまた左を押す。
何の為にそうしているのか、アリスにはまるで想像も付かない。
しかしきっと訳があるのだろうと、あっさりと思考を放棄する。
「防衛設備ってどんなの?」
ここまで複雑な入力をするんだから大層な物なのだろう。
宿屋には不釣り合いなくらい上等な物であるに違いない。
「あー……。色々だな。防御結界や迷彩化。後はゴーレムなんかもある。まあ俺も魔道具を買い占めただけだから、よく分からん物も多い」
「ふむ」
アリスもラドが魔道具を収集している事は知っていた。
それでも思っていた以上に、ラドは様々な種類の魔道具を持っている様だ。
もうこれでは一種の病気の域だろう。
アリスは呆れた目をラドに向けた。
「その防衛設備、どれくらいの性能があるんだ?」
聞くと、ラドは顔を輝かせた。
自分のコレクションを自慢するかの様な鬱陶しい表情だ。
失敗した。
アリスは隠す事なく顔を顰めたが、残念ながらラドはそれに気付かなかった。
気付いても、自慢話がされるのは変わらなかったかもしれないけど。
「これだけの魔道具だからな。少なくとも中級魔物の攻撃くらいは防げるはずだ。もしかしたら上級の攻撃も数度くらいなら防げるかもしれない」
「うん」
「これだけ揃えるのには、流石に少なくない額の金が掛かった。しかし勿論それだけの価値がある物ばかりだ。今なら分かる。実に良い買い物をした」
「うん」
「知っているか。魔導具は使用に魔石が必要なんだが、ここのは全て上質な物ばかりを使っている。だから魔道具の性能を完全に活かす事が出来るんだ」
ラドの話は止まらない。
お人好しという印象しかなかったが、この姿を見ると印象がガラリと変わる。
アリスは苦笑いを浮かべたまま、ラドの勢いに押される様に数歩退いた。
このままでは日が暮れるまで話を続けそうな様子に、アリスは無理矢理にでも話題を変える事にした。
「この騒ぎは、防衛設備が必要なほどの物なのか?」
「分からん。だが恐らく魔物が襲って来たんだと思うぞ」
魔道具を語っていた時とは一転して、少しの興味もないらしい落ち着いた声色。
その落差にアリスは驚き、そして呆れは深くなった。
「随分と落ち着いているけど、ここは安全なのか」
アリスが聞くと、ラドは頷いた。
どんな騒ぎが起きているのか分からないと言っていたのに、随分とはっきりとした答えだと思った。
その理由を聞くと、ラドは地面を指差しながら言った。
「地下にシェルターがあるんだ。浴場の更に下にな。入り口も隠してあるし、例えこの建物に侵入されても、まず発見される事はないだろう。だから大抵の事から身を守れるはずだ」
「ふむ。なるほどね」
アリスはこの宿の構造に詳しい訳ではないが、浴場より地下に施設があるなど全く分からなかった。
人より知能が劣る魔物では、隠された入り口を見つける事は困難だろう。
「ならラドは早く隠れないと。爆発音も聞こえたし、念の為に」
「ああ。そのつもりだ」
ラドは頷く。
アリスは答えに満足して、自身は騒ぎの原因を調べる為に宿屋から出て行こうとした。
しかしラドがそれを止める。
「待て、アリス。どこに行くんだ。外は危険だぞ。解決するまで隠れていた方が良い」
アリスに戸惑いが浮かぶ。
ラドが心配しているのは分かるけど、なぜ自分が心配されているのか。
それが分からない。
アリスは冒険者だ。
冒険者とは危険を冒す職業である。
「……そう言えば、エルメダはどうしたの? 見ないけど」
エルメダがこの異常事態に気が付いていない訳がない。
にも関わらず彼女の姿が見えないのは、原因を突き止めに行ったからだろうとアリスは考えた。
そしてその考えは当たっていた。
ラドが頷いて認めたのである。
「さっきこの騒ぎの解決に向かうと言って出て行った」
「エルメダが行ったなら、私も良いだろう。人手が多ければ解決も早まるかもしれないし」
アリスが言うと、ラドは腕を組みながら難しそうに唸る。
なぜそんな反対するのか。
アリスは少し不満に思った。
「うーむ。しかしなあ。エルメダからお前を外に出さないようにと頼まれたんだよな。困った」
「何だって」
目を見開き、呆然と呟く。
エルメダの裏切りだ。
黒化毒沼鯰と一緒に戦った仲なのに、酷い仕打ちである。
アリスは口を尖らせて、意固地になった。
「アリスを心配してるんだよ。深刻そうな顔をしていたし、俺が思っているよりも不味い事態なのかもしれない。だから危険な事に付き合わせたくなかったんじゃないか」
ラドが分かり切った事を説いた。
しかし、それくらいの事はアリスでも察せる。
だから腹が立っていた。
(危険だと分かっているなら、協力の相談くらいして欲しかったぞ)
心の中で恨み言を溢す。
あいつは協調性が全く無いな。
自分の事を棚に上げて、アリスは思う。
アリスの抱く感情の波は強くなり、そして小さな知性は押し流された。
「分かったとも。エルメダがそこまで言うなら、私にも考えがある」
絶対にエルメダより活躍して、この異常事態を解決してやる。
そう心に決める。
全く協調性がない決心に、アリスは気合いを入れた。
また、アリスは思考が吹っ切れると同時に、ふと思い出した事があった。
昨夜見た街が火に包まれていた悪夢の事である。
昨日の今日でこんな事が起きていると、流石に無関係とは思えない。
またカルマの謎の応援も、今となってはこの事態を暗示していた様に思えてならなかった。
(まあ、今はどうでも良い)
そう言ったどうでも良い事は、現場についてから考うよう。
アリスは謎の全てを放り投げる。
考えるのが面倒になったらしい。
そしてラドの制止を振り切って、アリスは宿屋から逃走した。
まず目指すのは大通りである。
あそこは開けているから、街の様子がある程度は分かるはずだ。




