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「うわっ」
開けてすぐの場所で挨拶をして来るのだから驚いて、アリスは咄嗟に跳び退こうとした。
しかしそうするより前に、その人はアリスの腕を掴んで部屋の中に連れ込む。
彼女は部屋の鍵を閉めてアリスをベッドの上に座らせた。
まともに抵抗が出来ない、素早い動きだった。
「カルマ、なにしに来たんだよ」
耳に響く大きな音を立て、鼓動が早まっていた。
声に至っては震えてさえいた。
両手で胸を押さえながら息を吐く。
驚き過ぎて心臓が痛い。
アリスが睨むと、カルマは笑って謝る。
少しも申し訳なく思っていなそうだ。
流石に神経が図太い。
本人に死体をせがむ様な奴だ。
心が弱いはずはないのだろうけど。
「アリスに会いに行くのに理由なんて必要だろうか。私はそう思わない。毎日寝食を共にしたい位だもの」
「それで?」
「幾つか話が有ったのさ。緊急でね」
カルマは隣に腰を下ろした。
潔癖性の性質があるアリスは、それに顔を顰める。
この前会った時の様なスーツ姿だったなら問答無用で叩き出したのだが、今日のカルマの格好は別だった。
デフォルメされた髑髏のマークがあるナイトキャップに、柔らかく心地良い触り心地の黒い服。
それはパジャマである。
可愛らしいゾンビの顔が前部分に大きく刺繍されている。
だから自分の綺麗な縄張りにカルマが入っても、顔を顰めるだけで済ましたのだった。
「そう言えば聞いたよ。死体泥棒なんだって?」
カルマの話が始まる前に、アリスが切り出した。
汚点となり得る自分の悪事が知られたのに、カルマはまるで他人事の様に顔色一つ変えない。
それどころか首を振った。
「泥棒とは人聞きが悪い。私は事前に許可を取っているぞ」
堂々とした口調で言い切った。
アリスも欲しいと言われたので、それは事実なんだと思う。
しかし本人にしか許可を取っていないのだろうから、女神教から見ればどう言い繕っても泥棒である。
「初代聖女の死体を何に使ったの?」
盗んだのがカルマだと分かった所で、アリスは更に踏み込んだ質問をした。
アリスはベッドに座りながら、右隣に座るカルマの顔を見れば、カルマもまたアリスの事を見ていた。
「私が死体を手に入れたんだ。する事は決まっているだろう」
リスポーン直前の暗闇を思い起こさせる様な黒い瞳を輝かせ、カルマは楽しそうに弾んだ声で言った。
「ゾンビにしたって事?」
館の食堂で見た、目隠しをしたメイドの事が頭に過る。
あの人は生きてはいなかった。
そこから出した結論だ。
「うーん。製作者的にゾンビと一緒にしたくはないけど、的を外れてもいないんだよね。実に残念ながら、その通りだと言える」
「やっぱりか」
この事実を知れば、女神教は怒り狂うだろう。
特別神聖な初代聖女を、よりにもよってアンデッドに変えてしまったんだから。
昼間にあった10代目を思い出して、アリスは震える。
カルマを売る気は更々ないけど、もし悪事が知れ渡った時には、自分を巻き込まないで欲しい。
そんな利己的な思い抱いた。
「そう言えば初代聖女が死んだのはとても昔のはずだけど、死体を盗りに行ったのは数年前なんだね」
ふとした拍子に出たアリスの質問。
それは珍しい事にカルマの顔を歪めた。
腹立たしい話だが。
カルマはそう前置きをした。
「あの馬鹿は自分を酷使し過ぎたのさ。死んだ時には魂が摩耗し、壊れかけていた。修復していたんだよ。休息を与え、長い時をかけて癒したんだ。抜け殻を迎えに行った、あの日までね」
カルマは優しい目をしていた。
月明かりに照らされたその横顔は、アリスが息を忘れる程に綺麗だった。
てっきり死体狂いだとばかり思っていたが、それだけではなかったらしい。
カルマの新たな一面に、アリスは無意識の内に笑みを溢した。
「ところでアリスよ。初代聖女なんて随分と他人行儀な呼び方をしているが、お前はそいつに会った事があるんだぜ」
「えっ」
カルマはニンマリと笑う。
あの優しい面影は幻の様に消え失せている。
「初代聖女の名前はマリアと言う。聞き覚えがあるだろう?」
「マリアって、え。嘘ぉ」
精霊の様に美しい、メイドの姿が思い出された。
見た事のない白い雷も思い出した。
エルメダが言うには、初代聖女は聖なる属性を持っていたのだとか。
アリスの顔が引き攣った。
「でもマリアさんは呼吸をしていた。生きているはずだ」
しかし別の事も思い出していた。
食堂で観察した時、彼女は確かに息をしていた。
それを言うと、カルマは可笑しそうにケタケタと笑い声を上げる。
「マリアは私の最高傑作なのさ。普通の作り方だと、折角の加護が諸刃の剣になってしまうだろう。だからとても拘ったんだ。材料にも、魔法にも。幸いにして、魂が治るまでに時間は腐る程あったからね。研究は好きなだけ出来た」
「じゃあ、マリアさんはゾンビなの?」
「そうだ。しかし何も悲しむ事はない。君もいずれはこっちに来るのだから」
明かされた事実に困惑し、呆然とした。
アリスの受けた衝撃は大きかった。
しかしカルマには関係のない事で、新たな話題を口にする。
「君はこの街から離れたくないかい?」
アリスはゆっくりと首を振った。
全くない。
昨日までなら兎も角、今は街にエルメダがいる。
しばらくは離れたくない。
「……そっか。なら良いや。それはそれで面白そうだし」
カルマは1人で納得したらしい。
いつもに増して変な様子だ。
事実をようやく受け入れたアリスは、それを不思議そうな目で眺める。
「ああ、そうだ。聞いたよ。ダッダラに会ったんだって?」
「ダッダラ?」
知らない人の名前に、アリスは聞き返した。
そんな知り合いは記憶にない。
会ったと言えば、初代聖女くらいなのだが。
「うん? あいつ名乗ってないのか。相変わらずだな」
呆れた様に肩を落とした。
ダッダラと言う人物は、カルマの友人なのだろうか。
「ダッダラ・ウィッチィと言えば、何となく分かるだろう?」
「もしかして魔女?」
「その通り。それも飛び抜けて頭のおかしな奴だ」
カルマは笑って言った。
それによって心当たりも生まれた。
平原で不意打ちして来た謎の人物。
魔法が得意な様だし、あれがダッダラなのだろう。
「頭がおかしいって、カルマより」
「失礼だな。私の頭は正常だぞ」
「それで、何がおかしいんだ?」
カルマの戯言を無視して、アリスは聞いた。
不満そうにしながらも、カルマは答える。
「あいつは魔女の癖に錬金術を研究している。笑えるだろう。黄金程度なら魔法を使えば指の一振りでも作れるだろうに」
「そうなの?」
「そうだよ。それに錬金術は魔法と言うより科学に近い。人が人を超える為に編み出した稚拙な技術だ。魔女が使う魔法に比べれば、どうしても劣ってしまうのさ」
「へー」
それは、何だか夢の壊れる話である。
卑金属から貴金属を作り出す。
それがアリスが錬金術に対して抱くイメージだった。
でも魔法には及ばないと聞き、少しがっかりした。
「さあてと。私の用は済んだし、明日は忙しくなりそうだから、ここで御暇させて貰うよ。残念だなあ。折角お泊まり会の準備をしたのに」
「ふーん、そうなの」
「わぁお、素っ気ない感じだ。実に良いね!」
カルマは手を叩いて喜んだ。
ちょっと気持ち悪いので少し離れる。
「ではまたね、アリス。期待しているよ」
カルマは最後にそんな事を言い残して、扉から出て行った。
厄介事の予感がするけど、それでも良い。
アリスはベッドに横たわる。
今は何より寝たかった。
他の全ては後回しだ。
その夜、アリスはまたしても夢を見た。
街が炎に包まれる夢だ。
そして黒い悪意が空から舞い降りる夢だ。
目も当てられない凄惨な悪夢だったが、不思議とアリスはうなされる事がない。
よほど疲れていたらしい。
夢も届かない深い静寂に、アリスはゆっくりと沈んでいった。




