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 アリスはとろみのある透明なお湯を、両手で皿を作って掬う。

 顔の高さまで持ち上げればお湯は溢れ、水音を立てた。

 溢れる最中で体を伝ったお湯が、アリスの胸の合間に滑り込む。

 エルメダがやったなら、絵にもなったのだろうが。

 辛うじて丘が2つある平原と言った体型のアリスには、過ぎた光景である。


「それで、今まで何してたのさ。別れてから少し時間が経ってるけど」

「んー?」


 浴室に反響した不思議そうな声は、いつもより気の抜けている様に聞こえた。

 エルメダにとってもお風呂とは極楽なのだろうか。

 熱くなった木の縁に寄り掛かりながら、アリスはそんな事が気になった。


「言わなかったっけ。調べ物よ」


 そう言えばそんな事を言っていた様な覚えがある。

 アリスは森での会話を詳しく思い出そうとして、失敗した。

 頭が良く働かないのだ。

 恐らく襲撃の後遺症だろう。

 アリスの精神力と呼ばれる物は、魔法拘束への抵抗で尽きかけていた。

 瞼を下ろせば、この心地良いお湯に揺られながら眠ってしまいそうだ。

 しかしエルメダとの会話の最中で、そんな事をする訳にもいかない。

 濡れた手で顔を拭った。


「何を調べていたんだ」


 出っ張りに座ったまま、お湯の中で足を遊ばせながら、アリスは聞いた。

 もしかしたらこれも聞いていたかもしれなかったが、生憎と覚えていない。

 これは知ったかぶりをしたまま話を続けても意味がない事だ。

 だから正直に質問したのだった。


「精霊と湖についてよ。何度も同じ事を言わせないでよね」

「はーい」


 言われていても2度目だろうと思ったけど、そんな反論はしない。

 そんな神経を逆撫でる言い方をすれば、実に面倒な事態を引き起こすだろう。

 素直な返事と共に欠伸が出た。

 鋭く尖った視線が向けられている様に感じる。

 胸を見ない様に目を閉じているアリスには、不満そうな顔をしたエルメダの事は見えない。

 だから気のせいだろうと断定する。


「エルメダは具体的に何がそんなに気になった。精霊が住む湖に、そこまで興味が惹かれたか?」

「いいえ。そうじゃないわ」


 エルメダから否定の言葉が帰って来た。

 同時にお湯が動き、人が目の前を横切る気配がする。

 薄目で見れば、エルメダが木の縁に手を置き凭れ掛かっていた。

 その壁にはアリスが座っている様な出っ張りはなく、エルメダにとっては良い具合の肘置きなのだ。

 天井に埋め込まれた明かりの光が散らばって煌めくお湯が、エルメダの白い背中を美しく輝かせて見せて、アリスは慌てて目を閉じた。

 天井に埋め込まれた光源から降り注ぐ明るい光が波立つお湯に散らばり、反射した物がエルメダの白い背中を照らした。

 アリスは慌てて目を閉じる。

 濡れて髪が張り付いた肌があまりにも艶かしくて、同性でさえ見続けるのは毒だった。


「黒化した魔物がどうして精霊を封印したのかを知りたかったの」

「あー。精霊を封印しておいて、そのまま何もしないなんて考え辛いもんね」


 精霊は強力な存在だ。

 それに態々手を出すんだから、相応に大それた目的があるはずだ。

 エルメダの調べていた事とは、その事に違いない。


「何か分かったのか?」

「うーん」


 どうやら結果は微妙だったらしい。

 エルメダからは難しそうな唸り声が返ってきた。

 それとは別に、アリスには気掛かりな事があった。

 エルメダと水の精霊の仲についてだ。

 彼女たちの啀み合いは今でも鮮明に覚えている。

 理不尽にも巻き込まれたのだから、忘れる訳もない。

 そんな2人が近くにいて、はたして薬草の森は無事だろうか。


「どうやら黒い加護を与えた者。つまり邪神の狙いは精霊ではなく、湖そのものだったらしいのよね」


 エルメダはアリスの心配をお構い無しに、調査結果を話し出した。

 なのでアリスも一先ず不安を忘れて、その話を聞く。


「精霊を封印したのは、湖から厄介者を排除する為の手段って感じかしら」

「封印が主目的じゃなかったのか」


 アリスは驚きを露わにした。

 邪神は女神の力を削るため、配下である精霊を封じたのだと思っていたのだ。

 しかしそれは見当違いだったらしい。

 ならばなぜ。アリスは分からなかった。

 女神に警戒されれば、対処される。

 邪神と女神の力量差など知る術はないけど、それでも目的を達成するのに重大な障害を作る事になるだろう。

 そんな危険を冒してまで、邪神は何がしたかったのか。


「力の溜まり場よ」


 アリスの抱いた質問に、エルメダは端的に答えた。

 確かにそんな単語を聞いた覚えがある。

 精霊が言っていたはずだ。

 この湖は力の溜まり場であると。

 それがどういう意味を持つのか、アリスには良く分かっていないけど。


「力の溜まり場に集う星の力は莫大よ。取り込み続ければ、どんな者にも強力な進化をもたらすはず」

「なるほど」


 邪神はその星の力とやらを使って、自分を強化しようとしているのだろう。

 アリスは冷や汗を流した。

 狙い通りに進んでいたら、邪神は女神を害せる力を手にしていたかもしれない。

 阻止出来て良かったと安堵する。

 邪神なんて明らさまに危険な存在が、この麗しき幻想の地を征服するなんて、アリスには到底許せる事ではなかった。

 女神に祈りを捧げ、温かい返事があった時から、アリスはこの世界が大好きになっていたのだ。

 それをようやく自覚して、アリスは決意に満ちた顔で目を開いた。

 黒化魔物狩りをしよう。

 良いアイテムが手に入り、害悪な存在を消せるのだから、一石二鳥だ。


「でもさ。邪神は星の力で強くなったとして、どうやって女神を倒そうとしたんだろうね」


 女神がどこにいるのかは誰も知らない。

 天上に住むと言われてはいるが、天上の具体的な場所はどこにも記されていないのだから。

 邪神は恐らくこの世界の、それもこの星にいるはずだ。

 薬草の森の湖から星の力を奪おうとする輩が、全く別のどこかにいる訳がない。

 邪神は女神がいる場所に行ける手段があるのだろうか。


「さてね。そんなの私には分からない。でも、これだけは言えるわ」


 エルメダはアリスを振り向き、意地悪そうに口の端を吊り上げて笑った。


「神なんて名乗る奴の考えなんて、人にとっては碌でもない物ばかりなのよ」


 穿った見方だとアリスは思った。

 もしかしたらエルメダは女神が嫌いなのかもしれない。

 それだけでなく精霊なんかの関係者や、勿論邪神も。


「女神の力は優しいんだけどなぁ」


 呟いた言葉はエルメダの耳まで届かず、アリスは残念に思えた。

 新たなスキルを得る時の感覚が共有出来ないのは、実に損な事の様に感じる。

 エルメダは木の縁から体を起こした。

 肌が赤くなっている。

 実に長いお風呂だったし、火照ったのだろうと推測出来た。

 階段の様になった段差から、エルメダは浴槽から出た。

 アリスも追っ掛ける様に、出っ張り部分で立ち上がり、お風呂から上がる。

 濡れた体を柔らかいタオルを拭き取り、バスローブを着た。

 エルメダは入浴前とは別の服を着ている。

 実に準備の良い事だ。

 最初に入った時、自分は碌な用意もしていなかったのを思い出して、アリスは不貞腐れた。


「どうしたの?」

「何でもないぞ」


 エルメダの質問をアリスは仏頂面で返しながら、階段を上る。

 エルメダとは途中で別れた。

 泊まる部屋の階が違うらしい。

 知り合いなのだから隣部屋を使えば良いと思って、どうしてかと聞けば、アラクネが人間用の部屋に泊まれる訳がないと教えられた。

 道理である。

 体の構造からして違うのだから、ベッドの形も異なるはずだ。

 アリスは納得しながら部屋に戻る。

 そして扉の前に立った時、違和感を覚えた。

 何が原因でそれを感じたのかは分からないが、普段なら無視出来ないほどにはっきりとした感覚。

 しかし、この時のアリスは疲れていた。

 僅かな躊躇の後、気の所為だと扉を開けた。


「や! こんばんは。来ちゃった」


 そこには屈託のない笑みを浮かべた、見知った女性が立っていた。

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