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「せ、聖女様!?」


 横から聞こえた大声に、アリスは飛び上がって驚いた。

 良すぎる聴力が災いして、高い音の耳鳴りが頭の中に反響する。

 ペタンと折れた耳を両手で抑え、頬を膨らませながら、涙目でテレリを睨む。


「あ、ごめんなさい。大丈夫?」


 テレリが心配そうに顔を覗き込んだ。

 アリスは慌てて大丈夫だと言った。

 耳が多少痛くなったのは、実際どうでも良い事である。

 ここでテレリの手を煩わせて、彼女に悪感情を抱かれるのは、アリスの望みではない。


「聖女って、この人が」


 アリスは白い女性を見ながら聞いた。

 緊張した面持ちでテレリが頷く。

 それから失礼よと小声で言った。

 目の前にいるんだから敬称を付けろと言っているのだろう。

 その通りであるかもしれない。

 テレリの発言が事実なら、この人は10代目聖女だ。

 他でどうだかは知らないが、少なくともこの街では重要人物である。

 気分を害していないか顔色を伺うと、白い女性は最初から変わらず微笑みを浮かべている。

 アリスは困惑気味に女性を観察した。

 なぜそんな重要人物がこんな場所にいるのだろうか。


「驚かせてしまったみたいですね」


 聖女の発言にアリスとテレリは同時に頷いた。

 息ぴったりな全く同じ動きだ。

 それが可笑しかったのか、聖女は可愛らしくコロコロと、鈴を転がすような声で笑った。


「なぜこの様な場所に?」


 テレリが聞いた。

 アリスは何も言わずに答えを待つ。

 同じ事が気になっていた。

 ここは外壁に近い街の外れだ。

 アリスの想像では、聖女は恐らく大聖堂に住んでいる。

 そんな人がここ居るのは、控えめに言っても違和感しかない。

 しかし聖女は最もらしい答えを返した。


「騎士の皆さんが一生懸命に泥棒探しをされているので、微力ながら私も手伝いをしているのです」

「なるほど。そうでしたか」

「いかにも聖女っぽい理由ですね」


 テレリは納得を示した。

 頷きながらもアリスはそんな事を小さな声で呟いて、テレリにマントを軽く引っ張られた。

 失礼の文字が見えるくらいに感情的な目で、テレリがアリスを一瞥した。

 注意されてしまった。

 アリスは反省して、しょんぼりと肩を落とした。


「お気になさらず。これは聖女らしく取り繕っただけの建前ですから」


 テレリに少し叱られて、アリスが凹みかけた所を、阻止したのは聖女だった。

 とんでもない発言をして、そんな場合ではなくしたのである。

 慌てたのは一般人の2人だ。

 現役冒険者と元冒険者なのに小心者で、聖女の暴言とも取れる暴露に、心底肝を冷やした。

 幸いにも遠目に見ている騎士たちは話を聞き取れていなかった様で、特に動きに変わらない。

 またしても2人揃って安堵の息を吐き出し、それを聖女は楽しげに眺めた。


「……誉れ高い事ではあるんですけど、聖女と言うのは本当に窮屈な役目なんです。街の散策さえ、こうでもしなければ碌に出来ません」


 とても残念そうに言う。

 しかし役目通りの優しい微笑みを崩していない。

 こんな話をしていても、騎士たちが異変に気付く事はないだろう。

 聖女と言う幻想が儚く崩れ去る。

 歴代の聖女がどうだったのかをアリスは知らないが、今代は随分と計算高い人であるらしい。


「それでも護衛くらいつけているべきだと思うんですけど」


 周囲を見渡しても、近くにそれらしき人の姿はない。

 これではいざという時に聖女の身を守れないのではないだろうか。

 聖女を害そうとする不届き者が、この女神教が統治している街に居るとは考え辛いが、万が一と言う事もある。

 更にプレイヤーが存在しているのだ。

 もし悪質な者に襲われて、無事で済むとは考えられない。


「それも心配には及びませんよ。この服が私の身を守ってくれますから」


 聖女は白い修道服のスカートの裾を微かに摘み上げた。

 繊細に編み上げられたレースの装飾が揺れて、それが聖女をより幻想的な姿に見せる。

 一見して色違いなだけで普通の修道服の様だが、何か特別な仕掛けでもあるのだろうか。


「これは初代聖女様がその力を込めて作った服です。強力な聖なる結界によって邪悪を払います」

「邪悪?」

「はい。例えば極悪人が目の前に現れたとしましょう。この服を着ている私には、その者の攻撃は全く通りません。勿論、初代様以上の力を受ければ、その限りではありませんけど」

「へえ」


 アリスは胡散臭そうに修道服を見た。

 事実なら反則的な装備である。

 初代聖女は有名な人だし、英雄とも称される事がある。

 単独で上級魔物を討伐したと言う伝承まで持っている。

 そんな人を超える実力者など、今はほとんど居ないはずだ。


「ところで、私も貴女に聞きたい事があります」

「お、おう?」


 聖女はアリスの目を見て言った。

 あまりに真っ直ぐな視線に、アリスは驚いて吃り、言葉が崩れる。


「貴女は屍魔女の事を随分と気にしていた様ですが、それはなぜでしょうか?」


 聖女の顔は真剣そのものだ。

 今まで途切れる事なく浮かべていた笑顔の仮面さえ仕舞われている。

 アリスは自分が事件の容疑者になっている事を悟った。

 カルマ・ウィッチィ本人ではなくとも、その関係者だと疑われているのだろう。

 心の内で舌打ちを鳴らす。

 その推理は間違っていない。

 何せ昨晩食事に誘われた仲である。


「ええと」


 アリスは頭を働かせる。

 ここで嘘を言うのは簡単だが、それは悪手である様な気がする。

 聖女が目を光らせている。

 計算高い彼女がこうも堂々と聞いてくるのだから、何か考えがあっての事かもしれない。

 もし嘘を見抜かれたなら、たちまち最重要参考人にランクアップだ。

 大聖堂に連行されて、幾人もの尋問官に囲まれた自分の未来を想像し、アリスの顔が青褪める。

 正直に話そう。

 カルマに恨みはないが、己の身の安全が第一だ。

 彼女には犠牲になって貰おう。

 当然、出来る限りの抵抗はするけど。


「この前、お前の死体をくれと言われました」

「ほう! そうでしたか。いかにも屍魔女らしい頭が腐敗し尽くした様な言葉ですね。それで?」


 聖女は嬉しそうに両手を合わせた。

 しかしその眼光は鋭い。

 おまけに毒を吐いて、アリスに話の続きを促す。


「そ、それだけです。時間も遅かったので帰りました」

「……本当に?」

「本当です!」


 アリスは必死になって頷いた。

 聖女は少しだけ疑わしそうにしたが、すぐに信じて、質問を切り替えた。


「では貴女が屍魔女と会ったのはどこですか?」


 アリスは一瞬だけ考えた。

 カルマの館は隠されている。

 本人が言った訳ではないが、場所的に間違い無いだろう。

 それを暴露するのは躊躇われる。


「……ゴブリンの森です」


 アリスは偽りを答えた。

 すると聖女が目を細める。

 全身に寒気が走った。


「……それ嘘ですよね」

「ああ! 間違えました! ゴブリンの森で会ったのは従者の方で、本人とは彼女の館で会ったんでした」


 聖女の追求にすぐ様アリスは訂正した。

 どうしようもなくヘタレである。


「なるほど、館ですか。そんな物を持っていたんですね」


 聖女の一挙一動に震える。

 アリスはテレリに躙り寄った。

 しかしテレリは微かに距離を開けようとする。

 巻き込まれたくないらしい。

 アリスは咄嗟にテレリの腕を掴む。

 見捨てないでと目に涙を浮かべなが、無言の懇願をした。


「その館がどこにあるか、貴女は分かりますか?」

「私は気絶させられてから運ばれたみたいなので」

「だから、覚えていないと」

「見てもいません」


 アリスは背筋を伸ばして答える。

 館の場所を教えるのは、致命的に嫌な予感がした。

 なぜかは分からないが、命の危機的な物を感じたのである。

 その予感に従って、アリスは全力で誤魔化しにかかった。

 追求されませんように。

 聖女は大きな溜息を吐いた。


「……どうやら嘘ではないみたいですね」


 そう言って残念そうに項垂れた。

 どうやら誤魔化し通せたらしい。

 アリスの緊張感が途切れ、強張っていた全身から力を抜いた。

 聖女には悪いが、望ましい形になって良かった。

 アリスは安堵の吐息をもらした。


「まあ良いです。館に住むと分かっただけでも収穫ですし。貴重な情報ありがとうございました」


 聖女は深々と頭を下げた。

 偉い人から礼を言われた2人は揃って慌てふためく。

 アリスは更に騙した事による罪悪感から、申し訳ない気持ちになった。


「また新しい事が分かったら、ぜひ教えて下さいね」

「はい! お任せ下さい」


 顔を上げた聖女はそう言って、アリス達に微笑んだ。

 テレリはやる気に満ちた言葉を返す。

 聖女の頼み事だからだろうとアリスは推測する。

 美人の頼みだし、アリスもそうしたかったが、今回はできない。

 カルマに対してそんな事をする義理はないのに、なぜかそうしないといけない様な気がした。


(まあマリアさんの為になるなら、それで良いか)


 アリスは納得ができる理由を見つけ出した。

 これからもカルマたちの情報は極力隠す事を決める。

 聖女はアリスが密かな決意を固めた事には気付かなかった。

 はっきりとした返事に満足して、満面の笑顔を作る。


「では私は情報収集に向かうとします。またお話ししましょう」


 聖女はそう言って去って行った。

 離れていく背中を見送って、2人は肩の力を抜く。


「緊張したわ」

「私もです」


 アリスとテレリは顔を見合わせ、笑顔を交わした。

 予期しない出会いに戸惑ったものの、知りたかった事は知れた。

 次は依頼の確認だ。

 適当なのが有れば良いんだけど。

 アリスはテレリと別れて、協会の中に入った。

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