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初の集団戦を納得のいかない形で勝利したアリスは、それからも何度か戦闘を続けた。
少ない時は2体程度と楽な戦いだったが、最も多い時は6体のゴブリンとの戦闘が起きた。
その時は流石にアリスも肝を冷やす場面もあり、とても緊張感のある満足のいく戦闘内容だった。
ただ回避が遅れてゴブリンのナイフ攻撃が服を掠めた事は心残りである。
他のゴブリンの攻撃を防いでいたが為に、回避以外の手段を取り得なかったのだ。
もう少し殲滅力を上げる必要があるとアリスは感じていた。
ゴブリンは下級の魔物だ。
それが高々6体集まっただけで苦戦していては先が思いやられる。
今回の戦闘に限って言えば罠による横槍なんてなく、苦戦は即ち純粋な対集団での戦闘力不足を意味していたから。
(だけど問題はないか)
足りない物は補えば良い。
単純明快な法則の元に、アリスは既に問題解決の糸口を得ていた。
度重なる戦闘によってレベルが上がっていた。
それによって空白のスキルスロットがステータスに現れる。
後は街の広場にある女神像に祈る事で新たなスキルを獲得出来るのだ。
どんなスキルが得られるのかはランダムで分からないが、女神の祝福により習得されるスキルに外れはない。
だから新スキルによって弱くなるなんて事は絶対ありえない。
アリスは満足そうに頷いて、それからシステムパネルに表示されている時計を見る。
(ん。もうすぐ日暮れの時間だ)
そろそろ帰ろうとアリスは思った。
夜のフィールドは魔物の危険度が昼とは大きく変わるのだ。
例えばビースト平原には死霊系の魔物が現れる様になる。
野獣由来の魔物が多い事に変わりはないが、しかしそんな事は関係なく厄介なのである。
死霊系魔物の多くは物理攻撃にかなりの耐性を持つ。
それはつまりアリスの天敵だった。
現状では全く戦いたいとは言えない。
もっと有効的な手段を得ないと、もしかしたら勝負にさえもならないかもしれなかった。
面倒な事だ。
アリスは溜息を吐いて、街へと引き返し始める。
本当なら体が動きを覚えている内にもう一度だけ戦闘を行いたかった。
しかし街までの帰路を考えるに、そんな余裕はなさそうだ。
少しの名残惜しさを振り切って足を動かす内に、アリスはふと重要な事実に思い当たってしまう。
(あ。そう言えば宿を取ってない!)
ログアウトは寝ながらに行おうと思っていたけど、これではその予定が狂ってしまう。
大変な失敗をしてしまった。
まだ空き部屋のある宿屋は残っているだろうか。
ゲーム開始から今日で1週間だし、始まりの街を移動した人達も沢山いるだろうが、まだ多くの人が残っているはずだ。
このゲームでは宿屋の数も部屋の数も決まっているらしいから、もしかすると宿を取れないかもしれない。
(有名な宿は満杯だろうな。どこか知られてない宿屋でも探さないと)
アリスはその結論に辿り着き、すぐにある答えを出した。
(そうだ、門番さんに聞いてみよう。街の兵隊なんだから、街の事には詳しそうだし)
そうと決めれば、アリスは早く帰ろうと道を急いだ。
木の根や凸凹道を真っ直ぐと踏破し、来た時よりもずっと早いペースで進んで行く。
行きの時はゴブリンを探したり討伐したりで時間が掛かったのは仕方ない事だが、それを踏まえても異常な速度だ。
まるで罠など完全に無視して歩いているかの様に。
(それにしても、随分と奥まで来ちゃったな。システムパネルにマップが無ければ迷っていた)
視界の片隅に浮かぶシステムパネルに稀に目をやる。
そこに表示されているのは地図だ。
詳細な作りではないが、簡易的な作りでもない、それなりの地図。
そこには街に向かって一直線に向かっていく矢印がある。
その矢印は森の中にいて、最も近い端からも結構な距離が離れている様だ。
ゴブリンが見つからないから、より奥に行こうなどと考えた己の浅はかさを恨みつつ、森の道無き道を行った。
しかし、すぐにアリスは進行を止める事になる。
「えぇ……。マジか」
森の少し開けた場所。
日が傾き始めた空が見える広場には、1体のゴブリンが立っていた。
しかし普通の種ではない。
それだけでアリスは驚きはしない。
ならば何が異質だったのかと言えば、そのゴブリンは他の同種と比べて何倍も大きかったのだ。
装備しているのはドロップアイテムにもあったボロいナイフや腰巻ではなく、禍々しい大刀と重鎧だ。
感じる覇気も比べ物にならない。
自然とアリスの頬を冷や汗が撫でた。
「ゴブリンの上位種かな? まあ何にせよ、最悪なタイミングだよ」
アリスが思い浮かべたのは、システムパネルでログアウトした時のアバターの状態である。
この殺気立ったゴブリンを前に場違いな考えだが、アリスにとっては極めて重要な事なのだ。
もし宿屋を見つけられずパネルからログアウトした場合、アバターはその場で睡眠状態に入る。
これはベータ版から変わらない仕様らしくて、最初期の頃は街のそこら中に人が転がっている事態になったらしい。
街中では最悪そのまま殺されてしまってデスペナルティを受ける事も少なくないのだとか。
アリスは自分のアバターをそんな目には合わせたくない。
しかしそれは難しいそうだと思う。
(見逃してくれなそうだ。それなら倒さなくてはならない)
今が帰りの途中である事を考えると、そんなに時間は使えない。
明らかに他のゴブリンと格が違うこいつを短時間で倒せるとは、アリスには到底思えないのだけど。
なにせ普通のゴブリンにも手間取るくらいだ。
本当に嫌なタイミングに現れてくれた物だと、アリスは大きく肩を落とした。
ゴブリンは不快な声で鳴く。
威嚇だ。
しかしアリスは怯える事はなく、息を整えた。
(仕方がない。もう時間がないのは諦めよう。だからまずはこのゴブリンをぶっ倒す!)
アリスは強く地を蹴った。
ただひたすらに目の前の敵のみを見続け、一直線に直走る。
ゴブリンもアリスに比べれば緩慢な動きで武器を構えた。
衝突寸前、互いに攻撃を放つ。
アリスの固く握り締めた拳はゴブリンの顎に直撃した。
鈍い音が森に響き、ゴブリンは僅かに一歩退く。
対してゴブリンの振り下ろした大刀は地を砕くだけに留まった。
刀が当たる前にアリスは僅かに横に回避し、攻撃を外させたのである。
自分の攻撃を避けられ、にも関わらず敵の攻撃が通った事に、ゴブリンは腹を立てた。
そして大刀を持っていない左腕を勢いよく振るう。
追撃をかけようとしていたアリスは慌てて大きく退く。
見た目通りには力があるらしい大柄なゴブリンの攻撃は、下手をすれば一発でノックアウトさえあり得ると、アリスに警戒を抱かせていた。
凶器は大刀だけでないとは、同じゴブリンなのに格差が酷い。
アリスは不安に騒めく心を抑えつけ、落ち着き始めた頭で強力なゴブリンを観察する。
(あの鎧は砕けそうにない。大刀も弾けないだろうな。きっと捌くのも難しいだろう)
淡々と自分の実力で出来る対抗手段を考える。
でも思い付くのは最初からあった作戦とも言えない物だけ。
(うん。やっぱり護りがない顔正面を狙うしかないか)
手痛いハンデだ。
自分よりも大柄で力強くタフな奴を相手に、その上に制約まである。
難しい戦いになるのは明らかだ。
それでもアリスの闘志は消える事がなく、寧ろより燃え上がっていた。
(こいつを倒せたなら凄く気分が良さそうだ)
口元に凶悪な笑みを浮かべる。
アリスは自らが偉大なる猛獣になった気さえした。
兎耳がピンと張り、全身に力が漲る。
それがゲームシステム的なプラスの効力を発揮している訳ではないが、それなのにアリスは全能感に似た気分の高揚を感じていていた。
(真っ直ぐ、強く、撃つ!)
口から声にならない音を漏らし、アリスは敵の顔に拳をぶつけた。
ゴブリンは雑音の様な短い悲鳴を上げて、アリスを遠ざける様に大刀で周囲を薙ぎ払う。
それを掻い潜りながら再び殴る。
一歩も退かず、連打を浴びせる。
(これならいける!)
ゴブリンは愚鈍だ。
それは大きくなっても変わらない。
拳骨の連撃は確実にゴブリンにダメージを与え、その顔を血の赤に塗れさせていく。
ゴブリンは逃げる様に下がり、アリスは追う為に前に出る。
相手の反撃を回避する事と攻撃に神経を集中させていたアリスは、しかし土の地面には不似合いな硬質な物を踏んだ感触に気が付いた。
寝ぼけ頭に冷水をかけられた様に目が覚める感覚。
痛みを思い出す嫌な予感がひしひしとする。
人間よりが幾分か鋭い耳には、真横から風を切って迫る矢の音が届いていた。
(トラップ!?)
咄嗟に上半身を反り、矢を避ける。
服を擦りながら彼方に消える矢を安堵しながら見送った。
学習の成果である。
戦闘中にも罠の警戒は怠らない。
森で最初のゴブリン戦での経験は確実に実を結んでいた。
しかし、その隙はあまり大きい。
同格の敵を目の前に、相手から目を離し、体勢も不安定。
自分の手抜かりに思い至った時には、既に遅過ぎた。
アリスが見たのは自分に振り下ろされる大刀。
顔が引き攣った。