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アリスは何とかカルマを引き剥がして、席に座らせた。
そしてやっと落ち着いて、アリスは大きく息を吐いた。
カルマはどこか満足そうだ。
そればかりかニヤニヤと見て来ていて、アリスはとても不愉快に思った。
「話を戻そう」
恥ずかしさが原因の居心地の悪さを感じたアリスは、咳払いの後にそう言った。
聞きたい事はまだあるのだ。
カルマのお遊びに付き合わされるのは時間の無駄だし、気に入らない。
「ここに私を呼んだのはなぜ?」
アリスはようやく最も気になっていた事を聞いた。
地下にある魔女の館とか明らかにヤバそうな場所に拉致した理由。
それを魔女の使いであるメイドは教えてくれなかった。
ちょっと怖い気もするけど、ちゃんと知るべき事だろう。
他でもない自分の事なのだから。
カルマは姿勢を正した。
その顔はこれ迄にない真剣さだ。
アリスは息を呑む。
やはり真面目な話なのだろうか。
不安が大きくなった。
「そうだねぇ」
カルマは手に持っていた空のグラスをテーブルに置いた。
なぜ口籠もるのかとアリスは思う。
変な事はされないよね。
これがマイナスの影響を受ける様なイベントでないのを願うばかりだ。
「まずは自分の目で直接、君の事を見たかったんだ」
アリスはカルマの鋭い眼差しに戸惑う。
さっきまでの子供の様な様子はなく、魔女と名乗るだけはある深い叡智が秘められている。
「その理由は?」
「品定め、とでも言うべきかな。実際はもうちょっと穏やかだけどね」
アリスが問うと、カルマはそんな風に全然穏やかじゃない事を言った。
アリスがびくりと肩を震わせたのを、妖しく笑った。
「それは怖いなぁ」
口に出しながら、アリスは言う。
飄々とした姿を演じようとしたアリスの精一杯の強がりだった。
そんな大根役者も真っ青な演技で騙される者はない。
カルマは面白そうに口角を吊り上げた。
「魔女に品定めされるなんて、悪夢みたいな話だね」
苦々しい顔をしてアリスは言う。
本当に悪夢みたいだ。
どうにも嫌な想像しか出来ない。
これでアリスは今のキャラをかなり気に入っている。
これで魔女のお眼鏡に叶って、もし碌でもない実験に使われたとしよう。
それで永続的なバッドステータスが付与された暁には、アリスは物凄く悲しい気持ちになるだろう。
「立ち位置が変われば、価値観だって変わるだろう。それなら君の悪夢だって覚めるに違いない」
カルマはアリスの言葉をあっさり切り捨てた。
自信に満ち溢れた断言である。
そうも力強く言われてしまえば、アリスも否定する気にもなれない。
嫌だなあと思いつつ、アリスは再び質問に戻った。
「何の為に私の品定めを?」
「それは決まり切った事だ」
カルマは浮かれた様に、とても楽し気な声で言う。
「君の死体の質に大体の見当を付けるためだよ」
アリスは自分の耳を疑う。
言葉の意味を理解出来なかった。
頭の中で文章を組み直しても、その内容に何ら変わりない。
アリスは呆然と言った。
「私の死体……?」
「そうだよ」
「死体の質が気になるのか」
「当たり前だろう」
カルマの余りに堂々と答えるので、アリスは自分が可笑しい様に思えてしまう。
勿論そんな訳がない。
アリスは怯えた様にカルマから距離を取ろうとするが、椅子の肘掛に阻まれ全く逃げられていなかった。
「それでね、アリス。私は君の死体が欲しいんだ」
カルマは瞬きも忘れて、捕食者を前にした小動物の様に震えるアリスを見つめながら請う。
死体が欲しいと言われても、アリスは怖いとしか思えない。
アリスは拳を強く握り締めた。
襲って来た時に抵抗をする為だ。
「そんなに怖がらないでよ。私は別に今すぐ死んで欲しいと思っている訳じゃないんだ」
カルマは戦闘の意思を固めたアリスに、慌てて弁明する。
しかしアリスは疑わしそうな目をしたままで、欠片も信じた様子がない。
「でも今すぐにでも私の死体は欲しいんだろう?」
「うん。すっごく欲しい」
カルマの欲望を正確に読み取って、アリスは凄く嫌そうな顔をする。
困った様にカルマは頭を掻いた。
「私はアリスを害する気なんて微塵もないんだよ。確かに手に入るなら今すぐにでも欲しいけどね」
カルマは複雑に絡み合った様々な色をした欲望をその目に宿しながら、しかしそれらを完全に抑えて、はっきりと宣言する。
「でもね、アリス。私は君を凄く気に入ってしまったんだ。君は私の予想以上の驚きで満ちていて、予測以上の成長を遂げしまう。だから私は君が欲しい」
カルマの言葉に、アリスはぞわぞわとした気持ちになって、ちょっと照れ臭そうに目を逸らして頬を掻いた。
カルマはアリスから目を離さず、更に言葉を紡ぐ。
「けれど私は気が長い。それに優しい。だからアリスを手に入れるのは、君が死ぬまで待ってやるよ」
あんまりな言い方に、アリスは引き攣った笑いを浮かべる。
酷い言い分だったが、アリスとしては少しホッとしている。
プレイヤーが死ぬと魔物の様に光になって、女神像の前でリスポーンする。
デスペナルティはあるものの、自分は死んでも死体にならないとアリスは思っているから、余裕がある。
直ちに影響がないなら、後は別に関係ないとアリスは考えていた。
「私の死体を手に入れたとして、それを何に使うのよ?」
「魔法の素材だ。あまり悪用はしないから、心配しないで大丈夫だぞ」
「あまり、なのか」
「うん。絶対にとは言わないよ。それだと嘘になっちゃうからね」
自分の死体を悪用する気であるカルマにアリスは呆れた目を向ける。
カルマはいつの間にか赤いワインで満たされているグラスを手に取り、軽く持ち上げてウインクをした。
「カルマは死体が好きなのか?」
アリスは唐突に頭に浮かんだ疑問をそのままカルマにぶつけた。
肯定が返ってくる事をほとんど確信した質問だったが、予想とは違ってカルマは首を傾げる。
「そういう訳じゃないんだよなあ」
「あれ、違うんだ」
「当然だろー!」
アリスはカルマの事を死体愛好家の変態だと考えていたので、驚きだった。
失礼な評価を付けられていたのを何となく察して、カルマは頬を膨らませる。
ではなぜ態々人を招いてまで死体の予約をするんだろう。
アリスは不思議に思う。
「だって死んだだけの綺麗で優れた者が地面の中で腐り果てるなんて、絶対に損だろう?」
「いや、そんな風に思った事はない」
アリスは即座に首を振って否定した。
そんなの同意しかねる。
カルマとは価値観が決定的に違う様だ。
でもそれも当然なのかもしれない。
アリスは人で、カルマは魔物だ。
優れた知性と理性があるだけで、種族が白と黒の様に根本的に違うのだから。
「そう言えば」
「ん。何だい」
「カルマは私の事を調べていたと言っていた気がするんだけど」
「ああ。私にしては時間をかけた調べ物だったよ。君の過去が殆ど見当たらないんだから、実に厄介だった」
「やっぱり調べていたのか。ならいつから私の事を知ってたんだ?」
調査がされていたなら、いつから調べ始めて、どの程度まで調べたのかをアリスは知りたかった。
「うーん。初めて君を見かけたのは、地上の様子を見物していた時だったかな。場所は路地だったはずだね。その時は変な獣人がいるなって思っただけだが」
アリスはこの世界で初めて夜道を歩いた日の事を思い出した。
あの時、どこからか不気味な視線を感じたはずだ。
どうやらあれはカルマが原因だったらしい。
「君に興味を持ったのは、私のメイドの隠密術を破った時だ。それは単なる偶然だったみたいだけどね」
「隠密術?」
まるで心当たりがない事を持ち出され、アリスは困惑する。
「君が薬草の森に向かった日、メイドとすれ違っただろう?」
「ああ、あの時の!」
あれって隠密術だったんだ。
それを知らず知らずの内に破っていたらしいと聞き、アリスは偶然って素晴らしいなと思った。
そのお陰で人知を超えた美しさのメイドを見る事が出来たのだ。
例え自分を気絶させて拉致して来たのがその人だったとしても、今でも良い思い出である。
「それから暇潰しを兼ねて偶に君を観察していたんだ。そうしたら君が女神像へ祈りを捧げる所に出くわしたのさ」
「んん?」
スキルを手に入れた時、女神像の広場で謎の視線の追跡があった。
全く正体が分からなかったけど、今の話を聞く限り、犯人は目の前にいる魔女である可能性が高くなった。
腹立たしさを感じる。
余計な心配をした自分の苦労を返せとアリスは思った。
「1人の人族を相手に女神が直接干渉するだなんて、私は想像もしていなかったよ。びっくりした」
「へえ」
「あの時から君を調べ上げたんだ。勿論難しかったけどね。君をここに招待すると決めたのも、その時だ」
カルマは興奮した様に早口で、楽しげに語った。
アリスが思っていたよりも、カルマは前から自分の事を知っていたらしい。
取り敢えず、自分の活動は殆どが知られているのだろう。
カルマが敵ではなくて良かったとアリスは安堵した。
「それとさ。ずっと気になって痛んだけど、カルマが使いで寄越したメイドさんの名前は何て言うの?」
アリスは自分の情報は全て知られている者と諦めて、今度は別の事を聞いた。
街ですれ違ったり、ゴブリンの森で気絶させられたり。
色々と接点があったのに、未だに名前を知らないことを、アリスは歯痒く思っていたのだ。
「ふむ。あいつ名乗ってなかったのか」
そんな事を呟いて、カルマはアリスから視線を逸らした。
そこはアリスからすれば右の方向で、カルマとの間の空間である。
どうしたのかと思うよりも早く、一瞬闇が揺らめいた。
揺れが治まると、そこにはいつの間にかメイドが立っていた。
「紹介しよう。我が館で1番のポンコツアホメイド、マリアだ」
「こんばんは、アリス様。完璧メイドのマリアです。先ほどは失礼致しました」
マリアと名乗ったメイドは、両手をお腹の前で重ね、深々とお辞儀をした。
何の匂いか、優しい香りが鼻を擽る。
主従で評価が大きく違う様だが、ジョークの類だろうと思って、アリスは深く気に留めない事にした。
「さて質問は終わりかな」
「ああ。うん。取り敢えずは、もうないかな」
「なら食事に戻るかい?」
カルマは食事を指差して聞いた。
アリスは申し訳なさそうに否を返す。
「いいや。もう夜遅いと言うか、日を跨いでるし、食事は遠慮したいかも」
「なるほど。よく分からないけど、そう言う物なのか」
さっきパネルを見たついでに確認した今に時間は、思っていたよりも遅かった。
カルマは不思議そうにしながらも、分かったと頷く。
ゲーム内とは言え、真夜中にこれらを食べる勇気はアリスになかった。
しかしアリスは料理の山を見て、本当に悪い気持ちになる。
折角作って貰った物を無駄にしてしまうから、それに罪悪感を抱いているのだ。
「なに、気にする事はない。私の使用人は全員が大食らいでね。これくらいの量なら10分も経たずに完食出来る。寧ろあいつらは喜んでいるはずさ」
「これを、平らげる?」
アリスが見る限り、料理は正しく山の様にある。
稀に放送される大食い番組でも、ここまでの量は出てこない。
奇妙に思えたが、使用人の数が多いのだろうと自分を納得させ、分かったと頷いた。
「それじゃあ夜も遅いし、ここに泊まっていけよ」
カルマの提案を、アリスは慌てて首を横に振り断る。
寝ている間に何をされるか分かった物じゃないからだ。
「そうか? 残念だなあ」
言葉通りに心底落胆した様子で、カルマは言った。
だけど撤回する気はない。
キャラの安全がかかっているのだ。
アリスの固い意志に、カルマも潔く泊まらせるのを諦めた。
兎の優れた聴覚は、小さな舌打ちがあったのを聞き逃さなかった。
「では、せめてこれを渡しておこう」
そう言ってカルマが取り出したのは、闇色の鍵である。
光を飲み込む様な黒さをしている。
「何それ」
アリスはそう言いながら、鍵を恐る恐る受け取った。
硬貨程度の重さしか感じないのは、間違いなく<怪力>の影響だろう。
質感は硬いゴムの様だ。
アリスの力でも曲がらない頑丈さも持ち合わせているらしい。
「この館へと続く門を開く鍵さ。アリスにやるよ。死にたくなった時、自分からここに来れないのは不便だろう?」
「そんな機会はないと思うけど」
「それでも持っていて損はない。インベントリにでも入れておきなさい」
インベントリの事も知られていた。
隠してはいないけど、本当に全部調べられているんじゃないかと思えてしまう。
カルマの情報収集能力にアリスは舌を巻く。
「ではアリスは宿に帰るんだよね?」
「うん。ここは街中にあるらしいし、そうしようと思う」
「分かった」
アリスが宿に帰ると言うと、カルマは渋々と頷いた。
魔女とは言っても監禁まではしてこないらしい。
そうされると場所的に逃げられる気がしない。
アリスはそっと冷や汗を拭った。
「ならマリアよ。送ってあげなさい。宿までだ」
「はい。ご飯残しておいて下さいね」
「ああ」
「約束ですよ。あとお肉を取っておくのも忘れないで欲しいです」
「分かったから、さっさと自分の仕事をしろ」
カルマはマリアにぞんざいな対応をして、追い払う様な手振りをする。
なんだかほのぼのとした光景である。
アリスはこの隙にマリアを観察した。
この館の主人的に、マリアも死んでいるのではと思ったからだ。
しかしそれは杞憂だったらしい。
マリアはちゃんと呼吸をしていた。
ゴブリンの森で掴まれた時、体温が冷たかった様な気もしたのだが、それは自分の気の所為だったのだろうと、アリスは納得した。
「それでは行きましょうか、アリス様。着いて来て下さい」
「はい」
アリスはマリアに言われるまま、彼女の後を歩く。
足音を立てず静かな歩みをするマリアの姿は、アリスの目には優れたメイドとして映った。
カルマがワインを飲みながら陽気に手を振ってくるので、苦笑混じりにアリスも手を振り返した。
食堂の大扉の前に立つと、マリアは黒い鍵を持った。
アリスが今し方貰ったばかりの鍵と似ている。
「おお!」
手に持った鍵でマリアは扉を軽く叩いた。
すると扉が歪みだし、その大きさと形を変えた。
なるほど。あの鍵はこう使うのか。
アリスは魔法的光景に感動しながら、使い方を記憶した。
マリアが扉を開けると、見覚のある部屋に繋がっていた。
そこはアリスが使う宿の部屋だ。
「凄いなあ……」
アリスの呟きに、マリアが反応する。
胸を張り、鼻高々に言う。
「そうでしょう。主様には幾つも欠点がありますが、こう言う事に関しては素晴らしい技術も持ちます」
「へえ。カルマは魔法道具を作るのが上手いんだ」
「いいえ。時短道具を作るのが上手なんです。主様は怠け者なので」
「あ、そうなんだ」
あっさりと主人を馬鹿にした事に、アリスは呆気に取られる。
そんな事は少しも気にせず、マリアは口を尖らせた。
「主様は酷いお方ですよ。折角お仕事が楽になる道具を作っても、私には滅多に使わせてくれないんです」
「へえー」
「他のメイドにはお許しになるのに、それってずるいですよね?」
「そ、そうですね」
マリアの勢いに流され、アリスは何も考えずに頷いた。
幾つか思う所はあったけど、言っても仕方がない事だ。
心の中で言い訳をして、自分の行動を正当化させる。
マリアはアリスの答えに満足そうに微笑んでいる。
「そう言えばアリス様。お金を稼ぎたいなら主様の下で働く事をお勧めしますよ」
「え?」
突然のマリアの言葉にアリスは困惑を隠せない。
どうしたのかと顔を見ると、マリアは実に優しそうな顔をしていた。
「アリス様がそれを望めば、主様は喜んで館に迎え入れるでしょう。主様は気に入った者に対しては基本的にかなり甘々ですから」
「はあ……」
「勿論、私も歓迎しますよ。後輩が出来るのは良い事です」
マリアは妖しく微笑む。
私たちはいつでも貴女を迎える準備が出来ています。
とても甘く優しい声で、そう言った。
その言葉にアリスは総毛立ち、何とも不可解な恐怖を覚えた。
クスクスと笑うマリアが全く別の生き物の様にさえ見えてしまった。
「では、私はこれで失礼します。近いうちにまた会える様な気はしますが、再開を楽しみにしています」
マリアはそう言って深くお辞儀をした後に、部屋の扉から出て行った。
アリスは知らず知らずの内に、自分が肩で呼吸をしていた事に気がつく。
なぜ自分がこんなにも恐怖を感じるのか分からない事が、更に恐ろしかった。
震える手でパネルを操作する。
「あ。レベルが上がってる」
未だに残り続ける恐怖感を上塗りする様に、喜ばしい事実を口に出した。
黒化ゴブリンの討伐と、魔女との遭遇イベント。
中々に濃い一日だったし、経験値も美味しかったのかもしれない。
ようやく震えが治まった頃に、アリスは動き始めた。
疲れて瞼が重くなっている。
アリスは大きく欠伸をして、やっと恐怖から逃れた。




