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始まりは速度が乗ったアリス渾身の跳び蹴りであった。
スキルの補正によって強化された攻撃は絶大な威力を誇る。
重鎧の守りを貫いて、大型ゴブリンの巨体を浮かび上がらせ、弾き飛ばした。
ゴブリンから金属音の悲鳴が溢れる。
鎧がけたたましい音を立てて、ゴブリンが地面を転がった。
アリスは無事に着地した。
足で勢いを殺して、地面に立つ。
爛々と目を輝かせて、アリスはゴブリンが立ち上がるのを見る。
宿敵が目の前にいる。
その事実だけでもアリスの戦闘意欲を高まらせる。
直前にあった冒険者たちの酷い末路を見ていても、戦意が萎える事はない。
真正面から勝つ為に、アリスは敢えて追撃をしなかったのだ。
ゴブリンはすぐに立ち上がった。
不意打ちを受けても、目に見えてダメージを負った様子はない。
ただしダメージが小さかった訳でもない様だった。
鋭い憎悪を宿らせて、赤い瞳が襲撃者であるアリスを睨む。
それは初めて時には感じなった、強い思念であった。
アリスの頬は自然と緩む。
どうやら自分を完全に敵視したらしい。
研ぎ澄まされた殺意を真っ向から受け続けながら、アリスは不敵に笑う。
私は強くなったぞ。
そうとでも語るかの様な雰囲気だ。
お前はどうだと聞いている様でもある。
ゴブリンは大刀を振った。
その瞬間、落ち葉を舞い上がる。
アリスの髪を後ろに大きく靡かせ、風が吹き抜けた。
強くなったのは相手も同じらしい。
(なるほど。簡単には倒せなさそうだ)
魔物も成長するらしい。
アリスは舌打ちしたくなるほど厄介な事実を知った。
考えれば当たり前の話であるが、アリスは全く気付いていなかった。
初めて会った時のままなら、何の苦労もせずに勝てただろうに。
しかしアリスは笑みを深めた。
目の前の敵が以前よりも強くなっていると言うのに、それを喜んだ。
(どれだけ強くなったかな?)
嬉しくて心が弾む。
何がそんなに嬉しいのかと言えば、やはり宿敵が強くなった事だ。
アリスには捻くれた考えがあった。
このゴブリンは自分を倒した存在だ。
自分が初めて負けた存在なのだ。
自分を負かしたのに弱いのは許せない。
だからその存在には強くあって欲しいと思っていた。
願いは叶い、宿敵は他の冒険者チームを潰せる程に強くなっていた。
(どれだけ強くたって構わないか)
どんなに力を付けようと、アリスはこの大型ゴブリンを倒すと決めていた。
幾ら負けても、幾ら時間がかさっても、最後には必ず超えてみせる。
目標がどんなに高くても、何ら関係などなかった。
負けても再び挑むチャンスがあるのだから、無粋である気はするが。
アリスはプレイヤーの特権から目を逸らし、眼前の敵にだけ集中する。
「私が勝つぞ」
その宣言が通じたのか、ゴブリンの殺気が濃くなった。
そして大きく吠える。
金属を引っ掻いた様な音が大音量にして襲って来て、アリスは顔を顰める。
戦闘は楽しみだが、魔物の声は不快でしかない。
(うるさいなぁ)
出来れば叫ばないで欲しい。
アリスはそう思ったが、この願いはきっと届かないだろう。
魔物の声がもっとマシだったなら良かったのに。
獣人の、それも兎の耳だと、この声は本当に厄介だ。
ゴブリンが再度吠えた。
そして重鈍な体で走り始めたのである。
(来た!)
戦闘が開始された。
アリスは全身に力を満たす。
不思議な事に、力の流れ方が速くなっている様に感じられた。
そんなスキルは持っていないはずなのに変な話だ。
しかし、それは今考える事ではない。
アリスの眼の前では、ゴブリンが大刀を振り上げていた。
小さく横に避ける。
振り下ろされた大刀は地を砕き、衝撃を撒き散らした。
アリスは力任せに耐え凌ぎ、握り締めた拳をゴブリンの腹に突き立てる。
「いだっ」
ゴブリンは激痛に悲鳴を上げ、堪え切れずに何歩か後退した。
その口からは赤が伝っている。
今度のダメージは大きかったらしい。
しかしダメージを受けたのはゴブリンだけではなかった。
攻撃した側のアリスにも大きな反動があった。
手を押さえて慌てて下がる。
硬い鎧を素手で殴るのは愚かな行為だったと反省する。
攻撃力が高くなっても自分の防御力は薄いのだから。
「くそぅ。熱くなり過ぎた!」
すぐさま修正する。
冷静に戦えないと、不測の事態への対応が遅れてしまう。
それが原因で負けるのは、2度と経験したくない。
アリスは戦い方を決める。
これからは鎧の無い部分を拳で、鎧のある部分は掌で攻撃する。
アリスが間合いを詰める。
ゴブリンも迎え撃つ様に大刀を構えた。
「てやっ」
薙ぐ様に振るわれた剣を飛び越して、アリスはゴブリンの顔に蹴りを放つ。
破裂音がして、ゴブリンが仰け反る。
反動からゴブリンから離れた場所に降り立って、怯んでいる間に更に攻撃を重ねるべく再び走り寄る。
ゴブリンが痛みに歪んだ顔を上げた時、アリスはそこに刻んだ傷を見た。
ゴブリンは右目から血を流していた。
アリスの蹴りが眼球を破壊したらしい。
怒り狂った様に叫び、ゴブリンは大刀を振り回した。
地面が揺れる程の力で大刀を大地に叩き付ける。
それは迫力がある光景だけど、アリスは全く恐れを抱かない。
何しろゴブリンは冷静さに欠いている。
どれだけ武器を振り回しても、そこには隙しかなかった。
「それじゃあ駄目駄目だよ」
アリスの全力の一撃がゴブリンの顎を捉えた。
打ち上げる様に放った拳は、狙い通りにゴブリンの体を浮かせる。
<格闘術>によって強化され、<怪力>で底上げされた威力が、<浸透勁>により防御を貫きダメージを与える。
今度は骨が砕ける音が響いた。
血を吐きながら背中から倒れて行く。
大刀は手から離れ、宙を舞う。
しかしアリスの気は緩まない。
まだゴブリンは消滅していなかった。
(止めを刺さないと)
しかしアリスも空中にいた。
全力で攻撃した為に、後の事は全く考えていなかった。
すぐに追撃が必須なのに、このままではそれが出来ない。
アリスは頭を働かせ、周囲に何かないかと視線を向ける。
「あ!」
答えはすぐに見つかった。
運の良い事にゴブリンが持っていた大刀が目の前にあった。
どこかに飛んで行くそれを咄嗟に捕まえて、アリスは全身を使い体を捻って、ゴブリンに向かって投げ付けた。
砲弾の様に放たれた大刀。
その鋭く重い刃は鎧を砕き、ゴブリンの胴体を貫いた。
断末魔が轟く。
間近で聞いたアリスは耳を押さえて、バランスを崩して地面に転がった。
「耳が痛いよ……!」
高い耳鳴りが聞こえる。
両手で両耳を押さえたまま、アリスはゴブリンが倒れた場所に目をやった。
そこに宿敵の姿はない。
あるのは既に消えつつある淡い光の粒子とオーブのみ。
アリスはオーブの色を見て驚いた。
(またレアドロップ?)
金色に光るオーブを、アリスは不思議そうに拾い上げる。
毒沼鯰に続いてここでも手に入るとは、運が良かったのだろうか。
それは無いとアリスは考える。
例え運が良くても、この高い頻度で落ちるのならば、他のプレイヤーによって報告があるはずだ。
しかし以前見た情報サイトにレアドロップの記載はなかったはずだし、変だなと思った。
(まあ良いか)
アリスがオーブを開くと、中に入ってたのは武器だった。
あの大型ゴブリンが使っていた大刀だ。
使える気はしないけど、有り難く貰っておこう。
アリスはインベントリに大刀をしまう前に、それをよく観察した。
改めて見ると不気味だ。
固まった血の様な黒い刀身は日の光を怪しく反射し、柄の端には同じく黒い頭蓋骨の装飾がされている。
頭蓋骨の目に埋め込まれた水晶玉は鮮血の様に赤くて、異質な雰囲気を醸し出している。
アリスは趣味が悪いと思いながらも、大刀を仕舞った。
珍しい物には目がないのだ。
良い物を手に入れたと、アリスは嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「お見事です」
戦利品を手に入れて浮かれていたアリスは、その声を聞くと、まるで冷水を浴びせられた様に現実に引き戻された。
即座に顔を上げれば、目の前には人がいて、アリスは大きな驚きの声を上げて跳び退いた。
まるで気付かなかった。
アリスの胸は早い間隔で大きな音を刻んでいる。
口から心臓が飛び出るかと思った。
恐らく隠密系の能力だろう。
そう推測して、アリスはその人に非難の目を向けようとした。
「あ……!」
そして目の前の人が誰かを視認すると、アリスは更に驚く。
目を丸くして、微かに頬が赤くなった。
その人はメイド服を来ている、美しい女性だ。
先日街ですれ違った事はアリスの記憶に新しかった。
「1人で黒化した魔物を倒すとは、驚きました。素晴らしい成長だと言えます」
「ええと? あの、はい。ありがとうございます」
アリスは混乱の極みにあって、意味も分からず礼を言う。
その魅惑の口から発せられた震えてしまいそうなくらいに麗しい声で、自分が褒められている事だけは何となく確信した。
「って、あれ? 黒化って何?」
ふと口に出した。
全く意味の分からない単語だ。
アリスは聞いた事がなかった。
メイドは妖精の様に無垢な笑み浮かる。
「黒い加護により変化する事を黒化と呼びます。知っている人には通じる程度の呼び方です」
「そうなんですか」
なるほどと頷く。
アリスは大型ゴブリンに対して、腹立たしい思いを抱いた。
黒い加護とは精霊の話を聞く限り碌でもない代物だ。
そんな物に頼っていた宿敵に、アリスは勝手に失望する。
すぐに首を横に振り、その考えを払い捨てたが。
アリスは自分の思い出を自分で汚すのを避けようとして、話を逸らす。
「ところで貴女は誰ですか?」
咄嗟に出たのは、ずっと気になっていた質問であった。
街で初めて会った時から知りたかった事である。
「ああ!そうでした」
メイドはパチンと手を合わせる。
子供の様な快活さで、アリスを向く。
「主様が貴女に会いたいと駄々を捏ねまして。申し訳ありませんが、ご足労願います」
一転、子供らしい雰囲気は変わり、冷静な顔をしてアリスに話かけた。
メイドが自分をどこかに連れて行こうとしているらしい事は、アリスにも分かった。
アリスは断る気なんかないけど、どうにも強制的らしい。
それを示す様に、メイドはアリスの手首を掴んでいる。
「無理矢理ですか?」
アリスは惚けた風を装って聞いた。
思い付いた悪戯は、メイドを困らせる為の物である。
「抵抗するつもりなら、私にも考えがあります」
メイドとの対話を楽しもうとしたアリスの考えとは裏腹に、メイドは浅はかな思惑を飛び越した。
手首を掴むのとは反対の左手に、白い雷を纏う。
「あ、それは不味いかも」
そんな事をせずとも着いて行くと、慌てて誤解を解こうとした。
しかしメイドの行動は迅速だ。
「少し眠って貰います」
白き雷がアリスの胸に押し付けられた。
体が跳ね、毛が逆立つ。
アリスの目の前は真っ白になって、そのまま暗黒に落ちて行った。




