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ゴブリンの森には罠が多い。
初めて来た時も思った事だが、危険よりもとても鬱陶しく感じる。
罠を察知する技能なんてアリスには無いから、踏んだ後で対処をしないとならないのも、それに拍車をかけている。
発動すれば避けられないなら、緊張感は大きかっただろう。
しかしそうではない。
スイッチを踏んでから罠の発動までの若干の間は、ちょっと素早い者にとっては十分な余裕になる。
罠の種類が複数あっても、どれもその場を飛び退けば避けられる、実に容易い物ばかり。
もっと頑張って作れよとアリスは思ったけど、同時にこれ以上の出来は無理だろうとも思う。
ゴブリンの森にある罠は、全て魔法的な仕組みで作動する。
例えば矢が飛んで来る罠がある。
しかしアリスが矢の飛んで来た方向に矢の射出装置を探しに行っても、そんな物はどこにもなかった。
例えば石を落とす罠がある。
頭上を見ていれば、罠が作動した時に石が落ちて来るのは何もない虚空からだ。
当然ながら石を吊るしている装置はどこにもない。
作動するまで何も痕跡がないのだから、理不尽な物である。
事前に罠があると判別するのは特殊なスキルがない限り、極めて難しいだろうとアリスは思った。
「こんな凄い罠をゴブリンが仕掛けるなよなぁ」
ひょいと前に跳ぶと、今いた場所に穴が開いた。
稀に見かける落とし穴だ。
穴を腹立たしそうに睨みながら、アリスは愚痴を呟いた。
ゴブリンは下級の魔物だ。
そんな存在が人間でも作れる物が多くない魔法式の罠を、森の至る場所に設置している事に苛立ちを持つ。
固有スキルの様な物なのだろう。
質はそんなに良くないし、種類も少ないが、魔法の罠を設置出来る便利そうなスキルがあるに違いない。
アリスはそんな予想を立てた。
(まあスキルはあっても、それを使いこなせるだけの知恵が無いみたいだけど)
道中で見掛けた出来事を思い出し、アリスは肩を竦めた。
自分たちが仕掛けたであろう罠に引っかかり、矢を頭に突き刺して消滅するゴブリンの姿は、見ていて哀れだった。
「確か、ここら辺だったよね」
辺りを見渡して、記憶と照らし合わす。
数日前の事だし、あまり周囲を見ていないし、殆ど景色が変わらないから、自信はあまりないけど。
恐らく初死にしたのはここだろうと、あやふやな見当を付けた。
確証を得る為、良く観察する。
地面や木々や頭上の枝葉を目を凝らして見れば、それらしき跡を発見した。
木の幹に鋭く長い傷があった。
あのゴブリンの刀が掠ったのだろう。
他の冒険者の可能性もあったが、時期的に考えてそっちは排除した。
大型ゴブリンと戦ったのは、やはりここなのだろう。
「この辺りを探せば、見つかるかな?」
或いは既に消えているだろうか。
倒されていたり、デスポーンしていたりすると、アリスには困る事態だ。
ここ以外に手掛かりはないし、出来れば近くに居て欲しい。
アリスは適当に落ちていた枝を拾って、軽く宙に投げる。
「よし。あっちに行こう」
枝の先端は森の奥を向いていた。
アリスは他に指標もないので、雑な占いの結果に従い、森の奥に進む事にする。
罠にだけは気を付けて、アリスは悠々と真っ直ぐ歩いた。
(うん?)
そんなに距離を歩かない内に、アリスは奇妙な臭いに気付く。
獣人だからこそ分かった僅かな、しかし特徴的な臭いだ。
眉を顰めて、臭いの元に向かう。
近付く程に強くなる、つんと鼻をつく鉄の様な臭い。
それはアリスが初めてこの森に来た時にも嗅いだ事がある。
左肩に触る。
自分の不足が原因で矢に貫かれた事を、アリスは覚えていた。
あの時に流した血と同じ臭いがここには漂っている。
(まさか)
アリスは慌てて駆け出した。
目線の先には草の茂みがあり、そこから飛び出ている物がある。
それは人の足の様だと、アリスの目でも判断が出来た。
しかし少しも動かない。
走る速度は近付くにつれて遅くなり、最後には恐る恐ると言った様子で、茂みの裏を覗き込んだ。
「うわぁ」
予想通りの光景が広がっていた。
いや、アリスにとっては予想よりも酷い惨状だった。
転がっていたのは3人分の人間の死体。
全ての人が確認しなくても事切れているのが分かる程に、惨殺されていた。
震える手で口を押さえる。
この他にも幾つかのVRゲームで遊んでいたから、アリスは人間の死体を見た事はあった。
しかし、ここまでリアルな物を見た経験は全く無い。
(恐ろしいな無制限設定。ここまで拘って作っているのか)
魔物は倒せばすぐ消える。
だからあまりグロいとは思わなかった。
でも人族のNPCは違う。
彼らは死んでも消失する事はない。
プレイヤーとは違って復活しないし、魔物と違ってドロップアイテムも落とさないのだから。
アリスは涙を浮かべながら、上下に両断されている死体を見る。
綺麗な切り口だ。
ゴブリンの森でこんな事を出来る存在を、アリスは1つしか心当たりがない。
あの大型ゴブリンの持つ刀の切れ味は身を以て知っていた。
「まだ新しいみたいだ」
未だに死体からは血が流れている。
だから新しいと判断して、アリスは目標が近くに居るのを確信した。
地面を良く見れば、そこには血の跡が続いている。
大きな足跡だ。
ここに広がる血溜まりを踏んだのだろうとアリスは思った。
ならば急がないと。
付着した血が薄れる前に見つけられなければ、逃してしまう可能性が高くなる。
この惨劇の場から一刻も早く離れたい心と合わさって、アリスは足跡を追って走り出した。
最後に死体を哀悼から一瞥し、アリスは新しい事実の発見に顔を顰めた。
(あの服装、見たことあるぞ)
死体の1つが身に付けていた服は、アリスの記憶にもある物だった。
この世界に降り立った時に着ていた初期装備と同じだったのだ。
血塗れで切れてもいたけど、つい最近まで着ていたのだから、アリスが見間違えるはずもない。
(もしかしたら、NPCの新米冒険者だったのかも)
アリスは嫌な想像に、苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
自分と死体が重なって見えた。
プレイヤーは死んでも復活出来る。
それが無かったら、自分の死体も同じ様に転がっていたのかもしれない。
それは恐ろしい事だとアリスは思った。
(これがゲームで良かった)
心の底から安堵する。
もし現実で生死が関わっていたなら、安全地帯に引き籠っていたかもしれない。
そんな平和で穏やかな生活をする自分の姿を思い浮かべて、アリスは自嘲気味に笑った。
どうしても、何かの拍子に冒険者として活動する未来が見える。
(勿論、今よりもずっと堅実に動くんだろうけど)
レベリングを重ねて、確実に倒せる相手だけを倒す、作業の繰り返し。
それを考えると、アリスは再びこれがゲームで良かったと思う。
はっきり言えば面倒そうで、ちゃんと出来る気がしなかった。
(起きもしない想像は、一旦止めよう)
アリスは思考を打ち切って、これから起きるだろう戦いを思う。
1度は負けた相手との戦闘である。
アリスも穏やかな気持ちではいられなかった。
それに今しがた見た死体を思い出す。
あの人たちの仇も討とう。
死人を蘇らせる方法に心当たりはないから、それを手向けにしようとアリスは決めた。
見ず知らずの人たちだけど、それ位ならしてやれる。
目的を達成する為の理由が増えて、アリスのやる気は高くなる。
「見つけた」
黒い重鎧の背中を視界に捉えた。
アリスは獰猛な獣の様に凶悪な笑みを浮かべる。
宿敵はまだ此方に気付いてないらしい。
距離があるからだろうか。
アリスはどうでも良い事だと、浮かんだ疑問を蹴散らした。
敵がそこにいるんだから、後は攻撃するだけだ。
単純な答えだけを念頭に置いて、取り敢えずアリスは最高速度を保ったまま突っ込んだ。




