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アリスは両手を広げながら、再び自分の着ている服を見下ろした。
その顔は複雑な表情を作っている。
何と言うべきか、アリスには言葉が見つからなかった。
肌に密着している服に違和感を覚えながら、丸く短い尻尾に風が当たるのを恥ずかしがった。
何の気遣いか、尻尾の部分には穴が開いていた。
顔を赤くして、手を後ろに組んで服の外に出た尻尾を隠す。
この場にはアリスの他には同性のエルメダしかいないけど、それでも大きな羞恥心が湧いてしまう。
「似合っているわよ」
上から下まで観察する目でエルメダは大きく頷いた。
それは余計に恥ずかしい。
こんな格好をしているのに、それを見る者の目は実に冷静だったから。
アリスの目は潤み始めていた。
「もうマントを着て良いかい?」
アリスはその手に既にマントを握り締めながら聞いた。
エルメダは苦笑して、許可を出す。
想定よりも扇情的な格好だったとエルメダは反省していたけど、アリスの反応が面白かったのでそれは心に秘めておく。
「もう。恥ずかしいから、こんなスパイみたいな格好させないでよ」
「何言ってるのよ。スパイがそんな目を引く格好する筈ないでしょ」
アリスは口を尖らせて不満を呟く。
エルメダが突っ込みが来たけど、そういう事ではないのだ。
体のラインが丸分かりな純白の服を、地味な色のマントで隠した。
滑らかな手触りは素晴らしい。
動き易いから戦闘にも支障が出ないし、それも嬉しい。
けれどこれはちょっとねぇ。
アリスはそう思ってしまう。
「確かボディスーツって言うんだっけ?」
大して詳しくないから自信はないけど、合っているはずだ。
ネットの広告に映っていた未成年お断りのゲームに、こんな格好をした女性が居たのを思い出す。
スパイだったか、忍者だったか。
どちらも同じだと考え直す。
アリスは思い切り顔を顰めた。
「ボディスーツねぇ」
エルメダはアリスの様子を気に掛けず、その名称を呟いた。
聞き慣れない単語だった。
眉を寄せて唇を噛んだ。
エルメダは悔しさを覚えていた。
「私が初めてこのデザインを考えたと思ったんだけどなぁ。世界は広いのね」
アリスは笑って誤魔化した。
アリスがしたのは現実の話であって、決してこのゲームの世界の事ではない。
だからエルメダが悔しがっているのは見当違いだとアリスは思う。
自分の不要な発言が勘違いを生んでしまった事が気不味い。
その感情から逃れる為に、アリスは服への褒め言葉を口にした。
「不思議と良い感じに体に馴染むよ、この服。エルメダは腕が良いんだね」
「そ、そうかしら?」
照れてエルメダは動揺する。
趣味に関しては褒められると素直な反応を示すらしい。
大勢の人前でエルメダの服作りの腕を褒めちぎるとどう反応するのか。
碌でもない悪巧みをアリスは思い付く。
受ける被害を考えると恐ろしくて、実行に移そうなどとは微塵も思わないけど。
「でも皆は変だって言うのよね」
エルメダは本当に不思議そうな顔だ。
こんなに可愛いのにと呟いている所を見るに、本気でそう思っている。
今のアリスはエルメダの感性が他から外れているのを確信している。
それで何の気なしに言い放った。
「エルメダの作る服が変だという評価される理由が、何となく分かったよ」
マントから覗く肢体を際立たせている服装を頑張って隠す。
アリスはこのマントにボタンが欲しくなって来た。
いっそローブでも買おうかと考えていると、矢の様に鋭く強い視線に貫かれた。
「……へぇ?随分な物言いじゃない。詳しく聞かせて貰うわ」
(ん。言い方を間違えたな。これは怒らせちゃったかもしれない)
殺気が混じる怒気に肌が粟立つ。
それは予想もしていなかった。
引き攣った短い悲鳴が口から出る。
恐る恐る発生源に目を向ければ、エルメダの周りには混濁した黒い瘴気が漂っているかの様に見えた。
それは恐らく魔力だろう。
精霊の力を見た時と似た感覚だから、アリスにはすぐ分かった。
アラクネとは言え、人にそんな事が出来て堪るか。
アリスは声に出さずに絶叫する。
(ヤバイな。言い方を間違えた。確実に怒らせちゃったよ)
焦ってはならないと心を落ち着かせる。
これが非常に不味い事態であるのは、疑い様のない事実だ。
エルメダの怒りに触発されたのか、テントに使われている糸が、アリスの足に絡み付いて来る。
逃がさないと伝えているみたいで、アリスは無性に泣きたくなった。
「あ、えっと。勿論、良い意味で変って言ったんだよ!」
「それ、お世辞にもなってないわよ」
底冷えした声が言う。
両足の糸の締め付けが強くなり、拘束は腰まで広がる。
「だけどね、アリス。私は寛容だから一応聞いてあげる。良い意味の変って、何かしら?」
アリスは両手を重ねて口を押さえた。
しくじった。
頭から血の気が引いていく。
致命的な失態を演じた気がする。
下手な誤魔化しは、本当に命に関わる。
そんな最悪な考えが拭えない。
経験値のロストとか、そんなのは別に問題じゃない。
ただ折角の貰い物をすぐに自分の血で濡らすのは、絶対に避けるべき事だとアリスは思った。
「エルメダのセンスは未来的なんだよ。今の時代よりもずっと進んでいて、普通の人には異質に見える」
アリスの話術で激怒したエルメダを丸め込むのは不可能。
だからアリスは開き直った。
思っている事をそのまま伝える。
その内容は真実ばかりで、嘘は一切含まれていなかった。
「異質?」
ゆらりと首を傾げたエルメダに、自信に溢れているかの如くアリスは力一杯に頷いた。
顔色が蒼白でなく、冷や汗をかいていなければ、もしかしたら堂々とした姿に見えたかもしれない。
現状では恐怖に震える哀れな子兎と、その天敵である捕食者が向かい合っている様にしか見えないけど。
「うん。だって街で見たことないデザインだもの。これ」
貰ったばかりの服をアリスは指差した。
一般的な服ではない。
だから変に見えるし、異質に見える。
アリスが言いたかったのは、つまりそう言う事だった。
これまで服にほとんどの興味を抱かなかった者の言葉だ。
実に軽い。
軽過ぎてエルメダは変な笑いが出そうになった程だった。
「そう。貴女はそう思うのね」
エルメダは声を震わせながら呟く。
そして俯いたまま動きを止めてしまう。
髪が垂れ下がり顔を隠して、どんな表情を浮かべているのか、アリスからは分からない。
アリスは忙しなく目を動かす。
エルメダの姿が怖かった。
下半身を包む様に巻き付いている糸を剥がそうとする。
腹を凹めて空いた空間に指を滑り込ませて、引き千切ろうと試みる。
しかし糸は硬い。
寧ろ手の方に糸は食い込み、鋭い痛みを感じた。
慌てて指を引き抜くと、赤く細い跡が付いている。
出血はしていないが、これ以上するなら怪我は避けられないだろう。
せめて体がもう少し丈夫ならやりようはあるのだけど。
力不足に悔しさを感じながら、抵抗を諦めて大人しくエルメダの裁定を待つ事にした。
「1つだけ聞くわ」
エルメダは透き通った青い瞳をアリスに向けて言った。
そこに怒りはない。
純粋な疑問を浮かべている。
アリスは息を呑む。
磨かれた宝石の様な、あるいは極まった芸術品の様な美しい無垢の表情に見惚れていた。
「な、何でしょう?」
捻り出した声さえも驚きが篭っていた。
アリスとしては泰然とした態度を取るつもりだったのに、情けない風に見えてしまったかもしれない。
「結局の所、貴女は素直に私の服をどう思っているのよ」
「あー。それね」
アリスは頷いた。
その質問になるだろうと納得する。
まだ拘束されていない手を顎に当てて、少し真面目に考えてみる。
アリスはエルメダがくれた服を決して馬鹿にはしていない。
こう言った服も良いものだと思う程度には広い感性があった。
その感性が良い物か悪い物かはアリスの知る所ではないが、自由とは素晴らしい物だな明後日の方向の考えを閃く。
その時にアリスは自分の結論を見つけたのだった。
「きっと。この世界で何よりも優先されるのは自分の好みなんだと思うよ」
ゲームとは主に娯楽品である。
楽しむを目的とした物を嫌々する者もいないだろう。
ホラーゲームは抜きにして。
主観的な考えからアリスはそれを確信していた。
そしたここがゲームの世界なら、その生活は娯楽で満たされている。
そのはずだとアリスは思った。
自分の作りたい服を誰も気にせず作れば良い。
アリスは言外に言う。
「でもその上で言うと、私はエルメダの作る服が好きだよ。最初に会った時も言った気はするけどね」
そもそも行動を共にした切っ掛けが服を褒めた事だった。
アリスは昨日の出会いを薄っすらとだが思い出した。
服狂いにドン引きしたのだけは、今でもはっきりと覚えていたのだが。
「この服だって変わらない。体のラインが丸分かりで恥ずかしいけど、このシンプルさは好みだし、この質の良さはとても凄いと思っている」
「……なるほど。よく分かったわ」
エルメダは目を細めて頷いた。
そして下半身をテントと一体化させる様に拘束していた糸が解かれ、アリスは自由を取り戻した。
「ごめんなさい。私とした事が、完全に冷静さを欠いていたわ」
エルメダは謝罪の言葉を口にして、頭を下げた。
アリスも同じ様に頭を下げる。
「こっちこそ。変な言い方をしてごめんなさい」
アリスは自分の失態を謝る。
これはアリスが引き金を引いた事だ。
避けれた事態である。
なのに相手にだけ謝らせるのはアリスには心苦しい事だった。
それはこの場において良い行動だった様で、険悪なムードは無くなった。
喧嘩は収まり、ようやくアリスは穏やかで心休まる朝を迎えられたのである。




