38
夕食を食べ終わり、焼肉に刺してあった木の串は火に焼べた。
もう使う事がないだろうから、最後に薪として利用した。
投げ物としての価値はあったかもしれないとは思っている。
けれどそれなら鉄の串を買った方が威力が高いし、何よりもタレと肉汁が染み込み変色している木の串を、使い回す気にはなれなかった。
赤く揺らめく炎だけが照らす暗い森の中で、アリスは立ち上がって背伸びをする。
それから座っていたから着いたズボンの土汚れを手で払う。
石の椅子は駄目だ。
アリスは次からは遠出する時は椅子も持ち運ぼうと決めた。
石は硬くて、思ったよりもお尻が痛い。
顔を顰めながら、少しの恥じらいからエルメダに見えない様に軽く摩る。
「火は消さなくて良いよね」
消すのは怖いと思いながら、エルメダに対して確認を取る。
魔物がひしめく夜の森で、いざという時の武器にもなり得る光源の1つを失うのは恐ろしい事だ。
そんな中で寝るのは、もっと恐ろしい。
アリスのエルメダを見る目は、上目遣いで祈るかの様だった。
野営については全く知らないから、何が正しいのかアリスは分からない。
だから火が点いたままでは森に燃え移る可能性を無視出来ず、その不安から出た質問であった。
「私はどっちでも良いと思うわよ」
何の興味も無く、エルメダはテントの方に歩いて行った。
テントは何重にも連なった糸で四方八方の木々から吊るされていて、既に完成されているらしい。
それはまるで蜘蛛の巣の様にも見える。
これなら多少重い物が乗った所で何の影響もなさそうだった。
エルメダの蜘蛛部分は岩みたいに硬く大きいから、きっと重量もそれなりにあるはずだ。
しかしここまで厳重に設置されていては落下の心配は全くなさそうであった。
アリスは失礼な事を思いながら、テントを見る。
(と言うか、外観がさっきから随分と変わっているな)
薪拾いに行く前は、ここにはドーム状の白一色のシンプルなテントが浮いているだけだった。
なのに帰って来て、夕飯を食べる頃には完全に面影は消えていた。
蜘蛛の巣状に張り巡らされた糸の中央には繭の様な球体が鎮座している。
そこはテントが浮いていた場所だ。
エルメダは糸でテントまで補強したのだろうか。
とても安全そうな寝床だ。
「因みにだけど。火が燃え広がるのを心配しているなら、それは無駄よ」
「えっ?」
エルメダは驚きの声を聞いて、したり顔でアリスを見る。
そんな事だろうと思っていた。
絶対に見当違いの小さな事で悩むと予想していた事が大当たりして、エルメダは得意な様子である。
アリスはそれが少しだけ癪に触る。
けれど自分が単純なのは毎度の事だし、それよりも発言の根拠が気になった。
「それは絶対?」
「勿論よ」
エルメダは自信を持って頷いた。
それでもアリスは訝しげな目を変えず、不安そうに焚き火を眺める。
炎の勢いは強い。
この寒い森の中でも体が温まる位だ。
アリスなんかはマントを脱いで、それをインベントリに入れている。
これだけ強い火だと、火事になる危険がないと言われても、アリスには早々信じられない話だった。
「もう!アリスはなんでそんな無駄に疑い深いのよ」
意味が分からない。
そう言うかの様に首を振る。
人の言葉を疑う前に、他に気にすべき事があるだろうとエルメダは思った。
でも言ってしまえば、アリスは変な意味の捉え方をして余計に駄目な頭になる気がしたから、それは胸の内に留める。
深い息を落とす。
「細工してあるのよ。他に燃え移らない様に、糸で炎の動きを制限しているの」
「マジかよ」
アリスは呆然として呟く。
目を凝らして焚き火を見る。
夜の暗闇の中で対照的に炎は明るい。
観察しようにも正確に焦点を当てるのが難しく、エルメダの言う仕掛けを見つけるのは困難だった。
「ん!」
それでも諦めずに観察を続けると、炎の光を受けて輝く、細い線を発見した。
焚き火の周りを漂う様に浮遊しているそれが、エルメダの仕掛けであるとアリスは確信した。
しかし、これに何の意味があるのか。
寧ろ糸なんてすぐに火が燃え移って、危ない様にアリスには思えた。
「これ大丈夫なの?」
焚き火に人差し指を向けながら、アリスはエルメダを振り向いた。
エルメダはテントの下に潜り込んで、頭上にある底を、何かを確かめるみたいに念入りに触っていた。
その作業を続けながら、エルメダはアリスの質問に答える。
「火に対して使うのに、それが普通の糸な訳がないでしょう。大丈夫よ」
エルメダはテントの底を突き、こんな所ねと頷いた。
テントの出来はエルメダの満足が行く物だったらしい。
見た目の異様さがアラクネの美貌と合わさった所為で、実に禍々しい光景だ。
何も知らない人がこらを見たら、どんな魔物の仕業かと思うに違いない。
アリスは自分ならそう思うだろうと確信していた。
今さっきまで気にしていた糸については既に思考の外である。
本当なのかという疑念は未だに抱いているけど、エルメダがここまで言うのだから信じる事にした。
(でもせめて祈っておこう)
森が火事になるのは不味い。
放火魔と疑われる可能性があるから。
そうはならない様に女神に軽く祈りを捧げる。
ここに女神像はなく祈りが届くとは思えないけど、そんな事は気にしない。
湖には水の精霊も居るから、火事になっても全焼は避けられるだろうと、アリスは打算的に考える。
「何してるのよ」
「いや、何でもないよ」
怪訝そうにエルメダに問われ、アリスは慌てて誤魔化した。
別に悪い事はしていない。
だけど疚しい所を見られた気になった。
「そう。まあ別に何してようが貴女の勝手だから、どうでも良いけど」
素っ気ない物言い。
エルメダらしい人を突き放す言葉だ。
でもアリスは小さく笑った。
そんな筈がないと、今までの付き合いで何となく分かったからだ。
半日にも満たない短い間の関係だけど、エルメダも人に言えない程度には単純な性格をしている。
そんな風にアリスは思った。
(さてと。私も寝る準備をしよう)
カーテンを開けテントに入って行くエルメダを見て、アリスも行動を開始する。
暑くて1度仕舞ったマントを再び取り出した。
落ち葉が敷かれているとは言えど、地面は硬いし、寝転がれば服が汚れる。
マントがそれを和らげてくれるのを期待して、それを着た。
地上で寝ようとするアリスに、テントから顔を覗かせてエルメダは声を掛けた。
「アリスはテント使わないの?」
一瞬アリスは何を言われているのか分からなかった。
考えなくても明快な事だ。
しかし、自分はテントを持っていないから地面で寝る。
そんな考えに囚われていたアリスは、エルメダの言葉の意味を理解するのに時間が掛かった。
少しの静寂が夜の森に落ちる。
火が弾ける音を背景に、漸く内容を悟ったアリスは驚きの声を上げた。
「えっ!?私もテントで寝て良いの?」
何を今更。
エルメダは心底呆れ果てる。
右手を額に当てて、大袈裟な溜息だ。
アリスがやれば間違いなくコミカルな仕草なのに、綺麗な容姿のエルメダがやるとクールな印象を与えられる。
エルメダはアリスの頭の弱さに頭痛を感じながら、弱々しく言った。
「当たり前よ。私が同伴者にだけ苦痛を押し付ける訳がないでしょう」
「……うん。そうだね」
言われて見れば、確かにそんな気がして来た。
何だかんだ言いつつエルメダはアリスの手伝いをしていた。
釈然としない思いには蓋をして、アリスは全力で肯定する。
「ほら、早く来なさいよ。久し振りに戦闘して私も疲れたんだから」
「はい!」
エルメダの毒沼鯰との戦闘を思い出す。
そして確かに疲れるだろうと思った。
数えきれない量の糸を全て同時に操りながら、それらに毒沼鯰の防御を貫く威力を持たせていた。
普通ならば疲れるだけでは済まない力の使い方だ。
エルメダの言う事は最もだったので、アリスは急いでテントに駆け寄った。
そしてエルメダの手を借りて、中に入れさせて貰った。
喜びで輝くアリスの顔を、エルメダは優しい目で眺めた。
「わぁお!」
テントはアリスが予想する物とは良い意味で異なっていた。
床も壁も絨毯の様にフワフワで、更に触り心地も格別だ。
市販のテントのそれではない。
アリスは目を輝かせて床を撫でる。
「このテントどこで買ったの?」
自分の所持金では買えないだろうと分かっていても、知っていて無駄にはならないはずだ。
お金が溜まれば買えば良いのだから。
アリスはそう考えて聞いた。
「自作よ。材料なんて私達にとっては幾らでもあるからね。でもどこにも売ってないわ」
しかしエルメダの返答は簡単にアリスの考えを裏切った。
素直に凄いとアリスは思う。
それと同時に残念そうに肩を落とした。
「そっか。通りでテントが白いんだ」
アリスが商店で見たテントは、どれも地味な色をしていた。
それらの多くが丈夫な魔物の皮を使っているからだろう。
エルメダのテントが白いのは高級品の証明だとアリスは思っていた。
しかしアラクネの糸を使っているなら白くて納得である。
アラクネの作り出す糸は丈夫さと最高の手触りを併せ持っていて、技術さえあるならテントだって作れそうだ。
糸からテントを作るなんて、狂気染みて大変そうだとアリスは思った。
「アリス。私はもう寝るわ」
「あ、うん。分かった」
エルメダは手で欠伸を隠しながら言う。
アリスが思っているよりもエルメダの疲労は大きいのかもしれない。
エルメダが寝るなら自分もそうしよう。
アリスは柔らかい壁に寄り掛かった。
体が壁に沈み込む。
感嘆の声を上げた。
尊敬を抱きながらエルメダを見れば、彼女は不思議な姿勢をしていた。
天井から吊り下げられた布に、上半身が寄り掛かっている。
床に伏す蜘蛛の部分と合わさると、エルメダは大きなソファーに座っている様に見える。
アラクネは寝るのも大変なのだろう。
下半身が巨大な蜘蛛だし、普通に寝転がる事は出来なそうだ。
ランダムで選んだけど、ほぼ人間と同じ姿で良かったと思った。
「おやすみ」
エルメダはそう言うと、指を振った。
テントの入り口が閉ざされ、そこから入って来ていた光が途切れる。
そうなると今まで気にならなかった眠気が吹き出す。
重くなった瞼を閉じて、アリスは睡魔に身を任せた。
「おやすみ」
それからすぐにテントには2人分の寝息が微かに聞こえ始めた。




