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精霊が恐ろしい力を秘めているのは、さっきのやり取りで良く分かった。
アリスの迂闊な行動が命の危険に直結している事だって身を以て知った。
それでもアリスは気が抜ける精霊の姿に癒しを感じる。
最初は冷然とした態度をしていて、近寄り難いと思っていた。
でもそれが勝手な誤解だと分かって、緊張が解れたのかもしれない。
アリスは自分をそんな風に分析した。
「改めて名乗ろう。私はお前たちの言う水の精霊だ」
無表情のままに手を胸元に当て、精霊は名乗る。
アリスでは真似しても真似出来ない気品に溢れる仕草だ。
興奮した様に歓声を上げるアリスを、エルメダは肘で小突く。
頭の弱い同行者の行動は、エルメダに大きな羞恥心を抱かせていた。
「異邦人と古王の血脈よ。お前たちの名は何だ?」
精霊は目の前にいる人のやり取りを気にも留めずに聞いた。
名乗られたなら自分たちも名乗るのが礼儀だと、アリスも思う。
しかしそれとは別に首を捻った。
異邦人と古王の血脈。
聞いた事のない呼称だ。
異邦人が自分の事だとは想像が付く。
この世界から見て、自分は異世界から来た設定なのだから。
しかし古王の血脈とは誰だ。
まさかと思って、エルメダを見た。
エルメダも同じ様にアリスを見ていた。
視線がぶつかる。
疑問を持ったのはお互い様らしい。
しかし答えは今ので分かった。
エルメダは自分の呼び名に対して何かを言う事はなかった。
心当たりがあったのだろう。
古王の血脈。
それがエルメダを指す言葉だ。
「私はエルメダよ」
「私はアリスだ」
疑問が解消した所でアリス達は自分たちの名前を言った。
握手をしようと差し出したアリスの手はエルメダによって叩き落とされた。
精霊自身は気にしないだろうが、一般的に見てそれは不敬らしい。
女神教の近くでやるのは流石に危ないと思った様だ。
確かに迂闊な行動だった気もする。
噂通りだとすると、女神教の聖職者に見つかれば、晒し首にされても不思議ではない行動だ。
でもこんな辺鄙な湖に、そんな人たちがタイミング良く居るとは思えないけど。
「さて。さっきの異常な現象。あれは貴女の仕業よね?」
「ああ。その通りだ」
エルメダが聞いた。
それを水の精霊は、またしてもあっさりと肯定した。
そうだったのかとアリスは納得する。
でも思い返してみると、精霊くらいしか起こせない現象だったかもしれない。
少なくともアリスの知る限りでは、中級の魔物では出来ないはずだ。
そこまで知っていて答えに辿り着けなかった自分をアリスは恥じる。
頭の回転が鈍いのは今に始まった事ではないけど、本当にどうして自分はこうも馬鹿なのかと思った。
(頭が良くなるスキルとかないかなぁ)
下らない事を考えて、溜息を吐く。
そんな物ある訳がない。
手軽に頭脳を強化する技術があるなら、そもそもアリスの頭は良いはずだ。
単純な事にも気付かずに落ち込むアリスは、その鈍い頭で唐突に思い出した事があった。
精霊が止めを刺した毒沼鯰には、元々重傷を負っていた。
それは戦闘に踏み切った要因でもあるくらいには、致命的な怪我だったはずだ。
もしかしてアレも精霊がやった事なのだろうか。
アリスは気になって、それについて質問してみた。
精霊はやはり肯定を返して来た。
「アリスよ、お前の予想通りだ。あの魔物を瀕死にしたのは私だ」
「やっぱり!」
アリスは自分の考えが当たって嬉しそうにはにかむ。
それを見てエルメダは仕方のない奴だと言うように静かに息を吐いたが、水を差したりはしなかった。
精霊の答えに納得したその上で、アリスにはまだ気になる事があった。
「でもあんなに簡単に倒せるなら、どうしてすぐには止めを刺さなかったの?」
毒沼鯰が湖上に浮かび上がってから倒されるまでに、時間はかなり多くあったはずである。
アリス達の戦闘中に横槍を入れるのは、何だか不自然な気がした。
「それは恥ずべき事なのだろうな」
精霊は今までの簡潔な答えとは違って、濁した言い方をする。
アリスが首を傾げると、彼女は油断したのだと付け加えた。
「あの魔物は忌々しい存在だ。私はそれを分かっていながら、簡単に倒せるだろうと油断したのさ」
自分の失態を淡々と語る。
だけどアリスは困惑して頭を悩ませる。
毒沼鯰の最期は呆気なく、実にあっさりと倒れた。
あれ程の力を持つ精霊であれば、あのくらいの魔物なら油断していても倒せる気がする。
でも精霊はそれが出来なかったみたいな事を言っている。
なぜだろうと思う。
エルメダもそれに同じ様な思いを抱いたのだろう。
固く閉じていた口を開いた。
「どんな油断をしても、貴女が魔物1体に手間取るとは思えないのだけど?」
「うん。やっぱりそうだよね」
自分の考えが間違っていない事をエルメダの発言で確信する。
精霊は相変わらず無表情のままに、感情のこもらない声で話す。
しかしそのはずなのに、その声にはどこか悔しさが滲んでいる様にアリスには思えた。
「あれが普通の魔物だったならお前たちの言うように、私は何一つ苦労せずに倒せたはずだ」
普通の魔物だったなら。
精霊の言葉が耳に残る。
あの毒沼鯰は異質だとエルメダが話していた事を、アリスも覚えていた。
しかし、体が大きくなっただけではないのだろうか。
アリスは疑問に思う。
巨大化しただけで女神が直々に作った精霊に抵抗出来るなんて、随分と可笑しな話に感じられた。
「しかしあの魔物は厄介な事に、忌々しい加護を持っていたのだ」
「忌々しい加護?」
「そうだ」
アリスが聞き返すと、精霊は頷いた。
現実の世界がどうなのかは知らないが、この世界の神は1柱だけ。
女神のみだ。
プロローグでそんな話があったのを覚えている。
加護と言うのがこの世界でどんな力を発揮するのかは知らない。
だけど名前からして、神から与えられる物には違いないはずだ。
それをなぜ他でもない精霊が、忌々しいなんて言うのだろう。
「加護の力は私の想定を超えていた。故に私の干渉は遠ざけられ、あの魔物は湖に放置された」
精霊が湖を眺めながら言う。
何だか良く分からない事だらけで、アリスは頭がこんがらがって来た。
しかしエルメダは何かを理解したのか、深刻そうな顔をしている。
意味が分からない。
ちゃんと聞いていたはずなのに、話に置いていかれている。
アリスはしょんぼりと肩を落とした。
「封印されたって事で良いかしら?」
「不甲斐ない事だ。しかしあれは強固な封印だった」
精霊は強く言い切った。
平坦な口調なのは変わらないのに不思議な事だ。
「世界の守護者たる精霊様が情けない有様ね。これじゃあ女神様も安心していられないんじゃないの?」
「ふむ。何も言い返せないな」
エルメダのあまりの物言いに、アリスは目を大きく見開いた。
それは不敬じゃないのか。
喉まで出て来た言葉は、驚愕によってぽかんと開いた口から空気として漏れた。
自分の握手を叩いた奴の台詞だとは思えなかった。
「お前たちには感謝している。お陰で計算よりも早く封印を解く事が出来た」
「あら。随分と自信があるのね。簡単に封印されたのに、私たちが居なくても本当に封印が解けたかしら?」
何だか険悪な雰囲気になりつつある。
慌てながら両方の顔を交互に見る。
互いの顔を見据えたまま、2人とも一瞬だって逸らさない。
冷ややかな余裕に満ちた空の様に青い目と、何の感情も浮かべていない海の様に青い目の、睨み合い。
アリスは胃が痛くなってきた。
「お前たちが何もせずともあの魔物は死んでいたよ。私が与えた傷には回復不能の呪いが込められていた」
「精霊を封印出来るなら、その呪いも解ける気がするけどねぇ」
「あの!加護についての話をしましょう!」
アリスの声は大きく響き、2人の注意を自分に向ける事に成功した。
「本当に無知な奴ねぇ。少しは自分で調べてみなさいよ」
「そうだったな。あまり知られてない事のはずだ。お前にはちゃんと説明するべきだったよ」
意見が割れ、エルメダと精霊は再びお互いを向き合う。
(なぜだぁ!)
アリスは心の中で叫びを上げる。
2人の間には火花が飛んでいる様に見える。
どうしてすぐにこうなるんだ。
アリスは今すぐにでも逃げ出したい気持ちに駆られた。
アラクネと精霊の喧嘩に巻き込まれるのは絶対に御免である。
目を潤ませながら、アリスは2人の間に割って入った。




