28
目的地の湖は、森とは違ってとても明るい場所だった。
頭上を覆っていた枝葉がなくなり、空が開けているからだ。
まだ天高い位置にある太陽が煌々と輝いて、眩い光を落としている。
微かな風に揺れる水面は太陽の煌めきを映し、光を反射させていた。
森を抜けて日の下に出ると、アリスは咄嗟に目を瞑った。
薄暗い所に長時間位過ぎた所為なのか、強い日差しが目を刺激する。
真面に目を開けていては、失明してしまうんじゃないかと思ってしまう。
アリスは手で傘をして、目の周りに影を作った。
眩しいのは変わらない。
しかしとても弱まった。
目を細めながら、アリスは湖を見渡す。
「ずいぶんと広いな」
目の前一面の湖に、アリスは嘆息する。
遠目に対岸を見る事も出来るが、それも微かな物だ。
彼処に人がいたとして、人だと判別するのも難しいだろうと思った。
この面積の中から精霊や、その痕跡を探す必要があるのか。
苦労しそうな未来を幻視し、不安が心に重く伸し掛る。
重さに負けた様に肩をがくりと落とし、アリスはエルメダの顔を見る。
「この辺で不思議な物を見なかった?」
流石のアリスも、この広さの中を手当たり次第に探そうとは思わないらしい。
だから情報を集めよう。
流石にノーヒントだとは思えないし、どこかに手掛かりがあるはずだ。
その為に、情報源の最有力候補であるエルメダに、まずは聞く。
森の中で着いて行くと言われる前。
そこでエルメダの口から出た湖についての短い独り言を、アリスはしっかりと聞き取っていた。
それにイベントの最中に出会った人物が鍵を握っているなんて、良くある話だ。
「見たわよ」
エルメダの答えは簡潔だった。
それも嬉しいことに肯定だ。
でもアリスは喜ぶ前に、驚いていた。
やけにあっさりと答えが手に入りそうな雰囲気だ。
(いや、待てよ)
アリスはそんな風に思ったが、改めて出会いを思い出した。
エルメダとの出会いは、完全に偶然の産物である。
切っ掛けはアリスが木を蹴り倒した事。
それまで木の上にいて、休憩をしていたらしいエルメダは、吹き飛ばされ、地面に降りた。
アリスはそれに気付かなかったし、エルメダが文句を言いに来なければ、出会いは無かったはずだった。
もしかしたら、普通では発見が困難なくらいの隠密能力を、エルメダは有しているのかもしれない。
獲物が罠に掛かるのを待つアラクネならば、あり得ない話ではない。
そう考えるとヒントが簡単に手に入るのも、当たり前なのだろう。
アリスが思うに、鬱蒼と生い繁る森の木の上にいるアラクネを見つけるなんて、極めて難しい事だ。
「どんな物を見たの?」
「うーん。そうねぇ……」
アリスが詳細を尋ねると、エルメダは難しい顔をした。
言葉に表せないほど奇妙な物を見たのかな。
アリスはそう思ったが、エルメダの答えは想像とは違っていた。
「アレは影だったわ」
「影?」
聞き間違いではないと確認すべく、アリスは聞き返した。
エルメダは1つ頷いた。
「そうよ。それも大きな影だった」
「大きな影ねぇ」
湖を眺めながら呟く。
それは果たして精霊だろうか。
もしくはそれも手掛かりなのか。
アリスは難解な問題を解くかの様に頭を悩ませる。
そもそも精霊の姿を知らないから何とも言えない。
だけど希望としては、精霊は美女であるべきだと思う。
それは単なるアリス個人の好みだ。
だから当然違う事も考えられる。
エルメダの言う大きな影の正体が、もしも精霊だったなら、アリスの望みは絶たれるのは間違いないだろう。
巨人の精霊は望んでいないからだ。
(精霊は幻想的なのが良いなぁ)
巨大な体には大きな畏怖を抱く。
しかし強烈な迫力に負けて、その分だけ繊細な神秘性が損なわれるに違いない。
アリスはそう思った。
そして同時に嫌な想像だと断じる。
何よりアリスは綺麗な物が好きだった。
「影の正体って何だろうね?」
「さあ?貴方の探す精霊か、それとも別の何かなのか」
エルメダはそこで言葉を切り、視線を湖へと向けた。
「でも私は、この湖に巨大な何かが住むとは聞いた事がないわね。遠くからでもしっかり見えるほど大きな影を持つのだもの。噂になってないのは可笑しいわ」
「なるほど」
それは確かに可笑しい話だ。
今まで歩いて来た雑草が踏み締められて出来た通り道。
狭くて舗装も出来ていないけど、道はこの湖まで繋がっていた。
誰かが通っているのは確かなはずだ。
アリスは噂話に疎いから兎も角、エルメダは物知りだ。
家出をしてからずっと旅をして来たらしいから、それも納得の行く話。
なのにそのエルメダでも噂の1つも聞かないのは、異常と言って良いだろう。
「変な話だね」
「全くよ」
2人揃って頷いた。
ふとアリスは気になる事が出来て、エルメダの顔を見上げる。
「何かしら?」
「もしかしてエルメダは精霊よりも影の正体に興味があるの?」
エルメダはにこりと笑った。
良く出来ましたと言っているかの様だ。
「大当たりかよ」
「良いじゃない。別に損したりはしないでしょう?」
「そりゃそうだけども」
不貞腐れて剥れた顔をする。
その顔を見て面白そうに笑ったエルメダは、美しい見た目とは裏腹に、実に可愛らしい声を出した。
アリスがじろりと睨む。
「最初に言えば良いのに。何で捻くれた事をするのかなぁ」
嫌味な発言は、さらりと無視される。
悔しそうにアリスは舌打ちをした。
エルメダは余裕の表情をしている。
それが我慢出来ず、脅かしてやろうと威嚇の様に唸る。
結果は言わずもがな、人を馬鹿にした笑みが返って来た。
「まるで小動物みたいな威嚇ね。可愛らしいわよ、平原兎みたいで」
それは罵倒だ。
平原兎みたいに弱い奴だとだと言われているのだ。
弱いから可愛らしい、と。
しかしアリスは恍けた顔をして、体の動きを止めた。
瞼を何度も開閉させながら、考える。
もしかして今のは褒められたんじゃないかと。
可愛らしいと言う単語が頭に引っかかっていた。
「あれ。予想外の反応だわ」
エルメダが自分を褒めた。
どうにもそれが奇妙に思えて、アリスは混乱する。
もう1度、考え直してみよう。
平原兎みたいに可愛らしい。
アリスの記憶では、エルメダはそう言っていた。
アリスは兎の獣人だ。
だから引き合いに出されたのがこの辺りでは有名な平原兎でも違和感はない。
(つまりこれは変じゃない)
では別の所に見落としがあるのか。
判断を下して、より詳しく検証する。
例えば平原兎の姿についてだ。
本当に彼らが可愛いのか、疑問である。
平原兎を良く見た経験はアリスにない。
すぐ逃げてしまうからだ。
討伐してもアイテムだけ残して消えてしまうから、観察なんて出来る訳がない。
でもエルメダは違う。
なぜなら巧妙に糸を操れる。
あの技術を持ってすれば、怪我さえさせずに捕獲するのは簡単だろう。
森から湖の道中みたいに、魔物の動きは簡単に封じられてしまう。
エルメダなら平原兎を間近から観察出来るに違いない。
(うーむ。分からなくなったぞ。平原兎は可愛いのかな?)
変な事で悩み出したアリス。
呆れを含んだ溜息を吐いて、エルメダは軽く頭を叩いた。
「いたっ!」
突然の衝撃に目の前が歪んだ。
アラクネにとっては軽い力でも、油断してはいけない。
彼女たちは指に繋がるだけで魔物を封殺する存在だ。
アリスは涙を目尻に浮かべつつ、エルメダに文句を言う。
「何をする!?」
「私は馬鹿にしたのよ、アリス。説明させないで欲しいわ」
「うわ、やっぱり! 予想通りだったわ」
アリスは抱いた疑念が正しかったと証明されて喜んだ。
刹那の後、それが間違った感情であるのに気付いて、顔を赤くする。
「もう。分かり難い!」
勘違いの恥ずかしさと、暴言への怒りを同時に味わう。
アリスはエルメダに詰め寄った。
沢山の文句を、全て適当な返事をして受け流すエルメダは、実に面倒そうだ。
しかしその口が弧を描いているのを見るに、エルメダが抱く感情は、決して面倒なだけではないみたいだったけど。




