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「さて」
アリスの疑問を遮って、アラクネは言った。
ほとんど諦めていた物を、念入りに封じ込めた形である。
それに少しの違和感を覚えた。
何と無くと言う直感的な事だから、具体的には言い表せない不確かさだ。
「私たちってまだ自己紹介をしてないわ。誰かさんがはっきりしないから、無駄に時間がとられて」
「うん。そうだね」
アリスは頷く。
アラクネの言う通り、まだ互いの名前さえ知らない。
後ろは完全にスルーした。
事実だし、何も言い返せる気がしない。
「なら、名乗り合うべきよね?」
「うん。呼び方に困るから、そうした方が良いと思う」
別に知らなくても問題はないけど。
それでもアリスは名前を知っておくべきだと思った。
好みだけの話ではない。
何となく、このアラクネとは付き合いが長くなりそうな予感がする。
「ふむ。言い出した私から始めるべきかしら。それで良いわね?」
「オッケーだよ」
よろしいとアラクネは頷いた。
長い赤髪が揺れる。
甘い匂いが鼻を擽った。
香水かなと思ったが、もっと自然な香りである気もする。
「良い匂いがする」
何の匂いかなとアリスは尋ねた。
アラクネは不思議そうな顔をして、その香りを探す。
常人には言われなければ気付かない程度の薄っすらとした匂い。
何とか見つけたアラクネは、理解が及び頷いた。
「お菓子作りを良くするから、きっとその匂いが付いたね」
「なるほど」
納得した顔のアリス。
アラクネはそれを見て溜息を吐いた。
何か言いたそうだ。
ちょこんと首を傾げる。
もう聞き逃さない様に、兎の耳はアラクネに向けられている。
「これから自己紹介をしようって時に、どうして話を切るのかしら」
「あ、ごめん」
興味が向いてしまって、直前の話の流れを忘れていた。
よくある事だと笑って言う。
そこに反省の色はなく、アラクネは溜息を深くした。
「もう。この阿保兎め」
愚痴が小さく声に出た。
耳の神経を尖らせていたアリスははっきりと聞き取る。
怒りや嫌悪やらの感情を、アリスは心に抱かなかった。
美女の可愛いらしい悪口だ。
寧ろ照れた様に笑って、頭を掻いた。
「なんで照れてるのよ!」
アラクネは叫んで、肩を落とす。
理解の出来ない精神だ。
悪口を言われて照れる者がいるとは、アラクネは知らなかった。
突然の大声に慌てるアリス。
アラクネは首を横に振って、もういいわと呟いた。
「私はエルメダ。貴方は?」
「私の名前はアリスだ」
エルメダの名乗りにアリスも応じる。
お互いの顔を見ながらの自己紹介。
アリスは見上げて、エルメダと目を合わせていた。
アラクネは下半身が巨大な蜘蛛だから、多くの人間の男よりも大きい。
当然エルメダもアリスより高い身長だ。
でも、人の部分は同じくらいの大きさだと目測する。
(つまり胸の大きさが負けているのは体の大きさが原因じゃない?)
アリスはそこで思考を強引に打ち切る。
危なかった。
遅ければ、嫉妬と言う名のどす黒い負の感情に囚われる所だった。
「胸元ばかり見て、どうしたのよ?」
エルメダは怪訝そうに聞く。
動きが固まったと思えば途端に視線を逸らすアリスは、明らかに不自然だった。
だからエルメダの質問は当然の物だ。
「えっ!?」
エルメダにとっては当然の質問でも、アリスにとってはそうじゃない。
狼狽して、咄嗟に誤魔化す方法を思い付く。
「いや、えっと。オシャレな服だなぁと思って」
不自然さ溢れる答えだ。
言いながらアリスも思った。
これで誤魔化される奴はいない。
(追求されたら、どうしよう)
不安に思う。
そうなってしまったら真実を話さなくてはならない。
それは嫌だ。
胸の大きさの話を、この暴言アラクネにするのは、良い餌を与える様な物だとアリスは考えている。
だけどそれ以上に嫌な事もあるのだ。
例えば、性欲に頭をやられた男の様に、大きな胸に目が奪われていたと誤解される事である。
兎であっても、発情はしていない。
アリスは、それだけは絶対に避ける心積もりだった。
結果的には、無駄な心配だった訳だが。
「この服が、お洒落?」
エルメダは俯き気味に、その言葉を反芻する様に呟く。
あるいは意味を理解する様に、空回りする思考を更に早める。
尋常じゃない雰囲気に、アリスは自然と緊張を覚え、息を呑み込む。
音を立てて、エルメダは顔を上げた。
小さな悲鳴がアリスの口から漏れた。
「そうでしょう! そうなのよ! 私の服はお洒落なの」
エルメダは口早に言った。
急に身を乗り出して来られて、アリスは思わず背を反らし、1歩後ろに退がる。
何かの地雷を踏んだのは分かった。
冷や汗が流れる。
運が良いのは、これが褒めた結果に起きたと言う事。
怒ってはいないみたいだから、きっと危害は加えられないはずだ。
アリスは願う様に思った。
「母様も姉妹も友達も、みんな変だと言ってたけど、やっぱりこれはお洒落よね。私は間違ってなかったんだわ!」
「は、はぁ」
曖昧に頷いたアリス。
まるで話に着いていけていない。
エルメダはそんな事は瑣末も気にせず、話を続けている。
何だか大変な事になった。
意気揚々と語るエルメダを眺めながら、他人事みたいに思った。
(にしても、変な服ねぇ)
エルメダの着ている服を見る。
布を何枚も組み合わせた風なゆったりとした服だ。
アリスの記憶だと、現実では偶に見かける服装だった。
だから変だとは思わない。
エルメダの美貌と合わさり、よく似合っているから、逆に優雅に見える。
でもこちらの世界では、その服装を見た事がないのも事実である。
(恐らく、時代にあってないんだろう)
アリスはそう思った。
現代から見ると、昔の人の服が変に見えるのと同じなのだ。
未来に栄える服装が変に見えても不思議じゃない。
つまりエルメダのセンスが先走り過ぎたんだな。
そんな失礼な評価を心の中で下して、納得したとばかりに頷く。
アリスが思考の渦から戻った時、エルメダの服の話も終わりを迎えようとしていた。
良かったと胸を撫で下ろす。
よく分からない話を延々と聞かされるのは参ってしまう。
「アリス! 貴方は馬鹿で可笑しな人だと思っていたけど、それだけじゃなかったのね。少なくとも、服を見る目はちゃんとあったんだわ」
「むぅ。なんか凄い馬鹿にされているぞ」
アリスは複雑な感情を抱いた。
自分の望んだ通りに誤魔化せたのに、心に望まぬダメージを受けた気がする。
頰を膨らませてエルメダに視線を注ぐ。
エルメダはくすくすと笑いながら、軽い謝罪を口にした。
「でも、アリス。貴方服を見る目はあるはずなのに、ダサい服を着てるわね」
唐突にエルメダが言った。
言われて、自分の服を見下ろす。
初期装備なだけあり、とても地味だ。
魔物との戦闘によって出来たであろう解れも見える。
ただし、ださいと言われる程ではない、はずだ。
「そんな事ないでしょ?」
アリスは手を広げて服を見せる。
エルメダもそれをよく見た。
だが結局、首を横に振った。
「どう見ても駄目ね。やっぱりダサいわ」
エルメダの評価は覆らなかった。
彼女の服についての拘りはかなりの物だと、アリスも良く分かっている。
そうでなければあんなに服の事を話さないだろう。
エルメダにとって、今自分が着ている服がどれだけダサいのか、アリスは判断も付かない。
でも強く言い切られたのを考えると、少なくとも素人の意見では揺るがない評価なのだ。
「動き易いんだけどなぁ」
少し落ち込みながらアリスはぼやいた。
「動き易い、ねぇ」
エルメダは何かを思案する様に復唱した。
何を考えているのか、アリスは興味を持つ。
しかし追求はしなかった。
これ以上、ダサい云々と言われるのは悲しくなるからだ。
街に帰ったら服買おうかなと思う。
ダサいと言われた物を着続ける程、自分に頓着がない訳ではないし、この服に執着がある訳でもない。
でもお金がかかるから、買うのは厳しそうだ。
所持金を思い出し、すぐに考え直した。
依頼の報酬を貰っても、満足がいく量にはならない。
溜息を吐く。
アリスはいずれ服を買うとだけ決めておいた。
しばらくは、この初期装備で頑張ろう。
エルメダの評価を気にしながら、アリスは諦めて頷いた。




