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 アラクネは上半身が人間、下半身が蜘蛛の姿をしている。

 性別は女性だ。

 男性のアラクネなんて、アリスは聞いた事がない。

 不気味な蜘蛛の下半身を見なければ、基本的に美女揃いだ。

 彼女たちに服の文化は薄く、裸体を晒している事が多いから、馬鹿な男が挙って鑑賞しに行くと聞いた事はあるけど。

 美しい見た目とは裏腹に、魔物であるなら階級は中級に位置する、実は強力な種族である。

 ワイバーンと同じ階級だと聞けば、その力の一端を窺い知れる事だろう。

 最も、今回は魔物の心配はいらない。

 言葉を喋っていたから、彼女は人のカテゴリにいるアラクネだ。


「あら、無視かしら。それともその長い耳がお飾りなだけ?」


 アリスが目の前にアラクネがいると言う衝撃的な展開に目を白黒させている。

 珍しい。ここに居るのは珍しい。

 現状を飲み込むのには時間が必要だ。

 しかしアラクネは、どうにもその様子が不満だったらしい。

 不愉快そうに口を尖らせる。

 アリスはそれを取り繕ろうと慌てた。


「き、聞こえてたとも」

「ふぅん?」


 冷ややかな目がアリスを見据える。

 耐え切れず、顔を背ける。

 答えはこの美しいアラクネを満足させる物ではなかった。

 話し下手を自覚するアリスだ。

 予想された当然の結果だった。


「なら、無視したって事になるわね」


 アラクネは意地悪そうに言った。

 弧を口元に描き、笑みを浮かべる。

 反応を楽しんているのは明らかだ。

 だけどそれに気付けるほどの余裕はアリスにない。

 忙しなく左右に手を振って、必死に違うと訴えた。


「私、ちっとも無視してない!」

「何そんなに慌ててるのよ。図星?」

「違うって!」


 真実を言うなら、怖いのだ。

 同じ人であっても、アラクネの価値観は人間と大きく異なる。

 彼女たちは頭が良い。

 特殊な糸の罠を張り巡らせ、どんな獲物でも確実に捕らえる手腕は、知恵なき者には出来ない事だ。

 だけどそれ以上に、もっと暴力的だ。

 尽きる事のない破廉恥な男が、アラクネの逆鱗に触れて血祭りにされる事件は、頻繁に起きている。

 勿論それは、裸体見たさに出かけて、理性のブレーキを壊し、本能の操り人形になった愚か者たちの自業自得だ。

 だけど、もし何かの拍子に地雷を踏み抜いて、その暴力が自分に向かうと考えると、アリスは顔が引き攣る思いになる。

 アラクネは凶悪なのだ。

 それは魔物じゃなくても変わらない。

 理由さえあれば、彼女たちはどんな暴力をも肯定する。

 抵抗はほぼ無意味だ。

 下級魔物と中級魔物の差が絶対であるのと同じ様に、並の手段で獣人はアラクネには敵わないのである。

 スキル2つ程度では埋まらない格差だ。


「無視した訳じゃないんだよ」


 散々考え抜いた挙句に、出て来た言葉がそれだった。

 疲れ果てた様に肩を落とす。

 アリスの話術は所詮この程度。

 アラクネは鼻で笑う。

 完全に人を馬鹿にした笑い方だ。


「それくらい知ってるわよ」


 アラクネはしれっと言い切った。

 唖然として、口は丸く開きっぱなしだ。

 こいつは何を言ってるの。

 何度も瞬きを繰り返す。


「気付いてるでしょう。貴方をからかったの」


 そこで言葉を切る。

 安堵と呆れがごちゃ混ぜになった目をするアリスを、アラクネは見逃さない。

 顔には悪どい笑みが表れた。


「まさか、気付いてなかったんだ。思ったよりも鈍いのね。兎なのに」


 腹が立つ言い方だ。

 アリスは口をへの字に曲げた。

 その顔が余程面白かったのか、愉快そうに声を出して笑うアラクネを、アリスは半眼で眺める。

 だがアラクネに気にした様子はない。

 寧ろ笑いが大きくなっている。

 アリスは頬を膨らませた。


「ああ、おかしい。貴方って変な子ね」


 一通り笑って満足したのか、アラクネは笑いを止めてそんな事を言った。

 目尻に浮かんだ涙を指で拭う。

 変なのはお前だとアリスは思った。

 でも言うと怖いから黙っておく。


「貴方が何も言えなかった理由は、ちゃんと分かってるわ」


 アラクネはきっぱりと言う。

 確かに分かりやすかっただろうとアリスは考える。

 思い返せば無様だったかもしれない。

 驚いて硬直するなんて、明らさま過ぎるくらいだ。


「私が美しかったから、貴方も見惚れていたんでしょう」


 豊満な胸を張り、アラクネは自信で満ちた顔をする。

 余裕の笑みを浮かべる姿からは、高貴さを感じられる。

 アリスは言われて、アラクネの事をよく見てみる。


(なるほど。確かに、凄く美人だ)


 顔立ちが整っている。

 上半身だけを見れば体つきも、サキュバスみたいに艶やかだ。

 ゆったりとした服を着ているから、正確な体型は不明だ。

 それでも分かる大きな胸を持っているんだから流石である。

 アリスは思った。

 忌々しい。

 滑らかな長い髪は夕焼けの様な赤さで、対照的に瞳は天の高い蒼穹の様な青だ。


(珍しい色をしている)


 これはアラクネの下半身を見ての感想だ。

 蜘蛛の部分はルビーの様に紅く、岩の様にごつごつとしている。

 本当に宝石みたいだ。

 アリスは頷く。

 このアラクネが大きな自信を持つ理由は良く分かった。

 彼女は確かに傾国と称えられても過言じゃない美しさだ。

 でも、アリスは呆然とする程は見惚れなかった。


(メイドさんを見ちゃったからなぁ)


 街ですれ違ったメイドの美貌は次元が違っていた。

 あれは正しく人知を超えてた美と言えた。

 あの姿を見た以上、大抵の美しさには耐性が出来てしまう。

 アリスが行動不能に陥らなかったのも、主にそれが原因だ。


「何か反応しなさいよ。せっかく私が冗談を言ってあげたんだから」

「うん? 冗談だったのか」


 不満そうに言ったアラクネに、アリスは心底驚いた顔で返した。

 目の前のアラクネが美人なのは間違いない事実だから、てっきり本気で言ってるのかと思っていた。

 予想外だと驚愕を露にするアリスを、アラクネは呆れた風に見る。


「当たり前でしょ。そこまで自惚れてないわよ」


 そうだろうか。

 アリスは首を傾げた。

 会ってからそんなに経っていないが、結構自己愛が強そうな気がするけど。


「それに。貴方は分かり易いもの。自分の考える事がすぐに顔に出る。見ての通りの単純さね」


 小馬鹿にした様にアラクネは付け加えた。

 よく自覚している事だ。

 それが原因で被害を受けた事はほとんどないから、治そうとは思っていない。

 ただ単純だと言う評価については耳が痛い。

 どうにも治せない性質だった。


「まあ、そんな事はどうでも良いのよ」


 アラクネは会話の流れを断ち切った。


「それで、さっさと答えなさい。この木を倒したのは貴方ね?」


 話を最初まで強引に戻す。

 そして指で示したのは、ゴブリンと戦った時に倒してしまった木があった。

 ほぼ断定された言い方だ。

 アリスは自分ではないと言い逃れるのは不可能だと悟る。


「うん。私が折っちゃった」

「そう」


 短く無感情な返事だった。

 さっと血の気が引いた。

 怯えながらにアラクネの顔を伺う。

 人形みたいに美しい顔立ちが今は余計に恐ろしい。


「不慮の事故だったんだ。まさか蹴っただけで折れるとは思わないじゃないか」

「へえ。蹴ったんだ。随分と力を込めたみたいね?」

(あ。これは説明間違えた)


 違うんだと否定する。

 ゴブリンが悪いのだと責任を押し付ける。

 情けない行動だが、アリスは必死だ。

 真正面から戦って敗れたならともかく、いつの間にか怒りを買っての死に戻りは嫌だ。

 それで昨日分の経験値を失うのはもっと嫌だ。


「そう言えば、この木がどうかしたの?」


 話題を変えようと試みた。

 変わっていないが。

 アリスにしては頑張った方である。


「別にどうもしてないわ。貴方が木を折った時、私がその天辺にいて、空に投げ出された。その程度の事よ」

「ごめんなさい」


 すぐに謝る。

 アリスは直角に礼をした。


「良いわよ。謝らなくても」


 アラクネの言葉に、緊張が走る。

 言外に仄暗い意味が込められていると邪推する。

 下げた頭に何かが触れた。

 その何かは、耳を重点的に撫で始める。

 突然過ぎて変な声がアリスから漏れる。

 僅かに顔を上げてみれば、それはアラクネの手だった。


「思ったよりも良い触り心地ね」

「えぇっと? ありがとう?」


 間の抜けた顔で礼を言う。

 アラクネは再びおかしそうに笑った。


「このくらいの事で怒らないわよ。危ない場所で油断した私も悪いのだし」


 頭を撫でていた手が退けられた。

 恐る恐る元の姿勢に戻った。

 アラクネの目は倒木に向いている。


「この木を蹴り倒すなんて、凄い力ね。流石は獣人と言うべきかしら」


 アリスも倒木を見る。

 確かに太い幹だ。


「最も貴方の場合は、種族以外の、別の理由もありそうだけど」


 含みある言い方でアラクネは呟いた。

 獣人の優れた耳を持ってしてしっかりと聞き取れなかった。

 アリスは疑問を浮かべる。

 何て言ったのか気になる。

 だがアラクネは教える気がなさそうで、仕方がないと諦めた。

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