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門の前に立ち、アリスは目の前に広がる平原を眺める。
ビースト平原。
その名前の通り下級の獣型魔物が生息する場所だ。
攻撃的な魔物や癖のある魔物が少ない為、初の実戦には丁度良いエリアである。
ざっと見渡しただけでも、何組もの魔物と戦う人たちの姿が見える。
プレイヤーとNPCを区別する方法は殆ど無いため、その人たちがアリスと同じ初心者プレイヤーなのか、それともこの世界で生きるキャラクターなのかは分からなかった。
何にせよここがとても人気なエリアだという事は一目瞭然であり、アリスは少し難しい顔をした。
(これだけ人がいると魔物の取り合いが起きそうかも)
それはアリスにとって望ましい展開ではない。
効率が悪いし、何よりも楽しくなさそうだ。
アリスは力試しがしたいのである。
自分の限界を超えて殴り合いをしてみたいのである。
それに横槍が入るのは御免だ。
「うーん。こうなればゴブリンの森に行こうかな」
決心した様に呟いた時だった。
それに待ったの声をかける者が現れた。
「兎の獣人のお嬢ちゃん。そいつはやめとけ。危ねえから」
声の方向に振り返れば、そこにいたのは門番の男だ。
アリスが街で見かけた装備品よりも上等そうな装備をしている。
「森の危険度は平原とは比べ物にならない。一人で武器も持たずに向かうのは無謀だ」
「危ないのは知っています」
門番の有難い忠告に、アリスは肯定を返した。
正直に言えば自分には少し早いと考えている。
ゴブリンの森は非常に面倒なエリアだと攻略サイトでも有名だ。
出て来る魔物が突出して強い訳ではない。
ゴブリンの個体能力は武器を持った人間の子供にも劣る程度でしかないのだから。
なら何がそんなに厄介なのかと言えば、ゴブリンが設置したトラップや悪環境で行われる大人数による奇襲である。
「でも止めません。今行くか、後で行くかの違いなので」
しかしアリスは微笑みながらそう言い切った。
その程度の事では臆さない。
物事を深く考えてないとも言う。
勿論だが慢心なんてしてないし、油断だってない。
駄目だったならやり直せばいい。
これはゲームであって、現実ではないのだから。
「行くにしても装備を整えて、護衛を雇ってからにするべきだ」
「護衛は要らないです。邪魔になります」
門番は尚も親切にしてくれる。
しかしアリスには無用な物で、護衛など以ての外だ。
戦闘に横槍が入らない様に森に行こうとしているのに、護衛を雇ってしまえば本末転倒である。
「大層な自信だがなお嬢ちゃん。お前が考えているほどゴブリンの森は優しくないぞ」
脅かす様な声色。
反面、この人は優しい人なんだなとアリスは思う。
NPCは死ぬと基本的に蘇らないと聞く。
だからプレイヤーの死に戻りなんて常識の外で、それが門番をここまで拘らせるのだろう。
自分の死を、全くの他人であるこの人は心配してくれているのだ。
「闘いに行くのに、優しさなんて望んでいません」
その点を踏まえて、アリスは自信過剰気味に宣言をした。
門番を安心させる為に、少しでも頼もしく見られる様にと。
だが時と場合は考えるべきだ。
見るからに粗末な装備で、武器も持たず、冒険の経験さえなさそうな子供がそんな発言をすればどう思われるかなんて、明らかなのに。
「随分な思い上がりだな」
「いいえ。門番さんが心配し過ぎているんです」
門番はあからさまに呆れた様子だ。
それもそうだろう。
ここまで無駄に強情な娘は中々いないに違いない。
ちらりと自信に満ち溢れた獣人の少女の顔を見て、諦めた様に肩を落とす。
説得出来る自分の姿が、欠片も想像出来なかった。
「ああ、そうかい。分かったよ。だがせめて武器くらいは用意しろ。少しはマシになるはずだ」
「武器……? ああ、それについては安心して下さい。私の武器はちゃんとここにあります」
アリスは両手を目の前に掲げる。
細長い指と、きめ細かな白い肌。
門番の記憶にある中でもトップクラスの綺麗な手だ。
貴族の令嬢だと言われても信じてしまいそうな程に。
しかし、その手に武器はない。
不思議そうに門番は聞いた。
「うん? 俺には手しか見えないが、何か持っているのか?」
「見えているじゃないですか。私の武器は両手と両足です」
その言葉の意味を少考する。
しかし理解するには至らなかったらしい。
奇妙な物を見る目で、アリスを見据えた。
「……お前は何を言ってるんだ? 素手で魔物に何が出来る」
「人も魔物も同じです。剣で倒せるなら、拳でも倒せるはず」
アリスの言う通り、威力さえあれば拳でも魔物は倒せる。
人の力でそれをするくらいなら武器を持って戦った方が余程効率的だし、安全なのだが。
「話が通じん。もしかしてこいつ、混乱中か?」
「私はこれよりないほど正常ですよ」
門番のあまりの物言いに、アリスは頰を膨らませた。
自分の頭を混乱の状態異常にかかっているかの様に言われたのだから、その憤りも自然な物だ。
ただしその暴言の原因はアリスにあるし、抱かれた疑念もまともだ。
武器と言われて真っ先に自分の手足を思い浮かべる奴を門番は知らない。
それよりも混乱中だと言われた方が納得が出来る。
「それより私、そろそろ出発したいんですけど。平行線の話し合いは時間の無駄だと思います」
門番の戸惑いを無視して、ふと思い出した様にアリスは言った。
アリスの為を思って言っているのに本人にはまるで響いていない様子で、門番は深く溜息を吐き出した。
「ああ、分かったよ。お前は無駄に頑固だから言うことを聞きそうにないし、確かにこれ以上は時間の無駄みたいだな」
「あれ? 意見が合うとは驚きです」
門番はアリスの皮肉じみた言葉を聞き流し話を続けた。
「だから俺の我が儘も聞いて貰おう。これを持っていけ」
腰に括り着けられた袋から門番は何かを取り出した。
それは袋以上の長さであり、どう考えても収まりきらない。
魔法の袋だろうか。
珍しそうな道具の気配にアリスは目を輝かせた。
「その袋は何ですか? もしかしてこれが噂の魔法道具?」
「凄い食い付きだな……。お前の予想通りこれは魔法道具だ。だが、それは今重要な事ではない」
門番はこれ見よがしに袋から取り出した物を見せ付ける。
面倒そうな顔をしたが、アリスも空気を読んで袋への好奇心を一旦閉まった。
「これは剣、ですよね?」
「ああ。前に使っていた奴だ。新しいのを買ったから予備用に取っておいたんだが、俺よりも必要な奴が目の前に現れたからな」
門番の目がそれはお前の事だと言っているが、アリスは気付かないフリをした。
反応すれば余計に面倒そうだと思ったからだ。
だけどすぐに思い出された事実が、アリスの無反応を終わらせた。
「あの、貰えませんよ。そんな高価な物」
このゲームにおいて武器は高価だ。
初期所持金は多めに貰えるのだが、それでもなお高い。
門番がくれると言う剣がどれだけの物かは不明だが、美しい刀身を見るに上等なのはほぼ確実だ。
そんな物を貰うのは、アリスにとって躊躇われる事だった。
「いいや、受け取れ。でないと再び無駄な時間を過ごす羽目になるぞ」
その声色は本気だった。
アリスがここで剣を受け取らないと本気で平行線の話し合いが始まる事が容易く想像出来る。
しかも絶対に逃がさないと言った様子で、有り体に言えばとても怖い。
「むぅう。……ありがとうございます」
悩み抜いた末にアリスは剣を受け取る方を選んだ。
拳の応酬は好きだが、言葉の応酬は大の苦手だった。
「では、私は森に行くので」
「おう。気をつけてな」
微妙に不機嫌そうに言い切ったアリスを快活な笑みで見送る門番。
無料で武器が手に入ったのだから得をしたと喜ぶべきだろうが、そんな気分にはなれなかった。
何だかとても負けた気がする。
別れ際に見た門番の憎たらしい笑みを思い出し、アリスは低く唸った。