10
すぐにでも出発しようかと思ったがその前に、まずはラドへの用事を先に済ませておく。
すぐに終わる事だし、こういう話は早めにしておくべきだ。
カウンターに居るラドに近付く。
不思議そうにしているラドに、アリスは本題を告げた。
「宿泊の延長がしたいです」
「ああ、分かった。そう言えば1日だけの予定だったか。いいぞ。今度は何日泊まるんだ?」
ラドは言われて思い出した様に頷いた。
自分の宿なのに、随分と適当な事だ。
呆れに近い驚きを抱くが、特に言うべき言葉は見つからない。
このままじゃ宿の経営が危なそうだなと、拠点候補が無くならないかと少しの危機感を覚える。
だけど、その時はその時で別の拠点を探せばいいかと淡白な思考をする。
勿論、温泉に入れなくなるのは辛いけれど。
「6泊したいと思っています」
中途半端な日数を言う。
アリスの馬鹿らしい拘りの末の結論だ。
と言うのも、昨日宿泊した事により既に1日が経過している。
だからここで丁度良い数字を出すと、総合的に見て収まりが悪い。
1週間の宿泊と言う切りの良さを求めたのである。
「それじゃあ600イェンになるな。でもアリスの食べっぷりは良かったから、半分の300イェンでいいぞ」
「いや、だからちゃんと払いますよ」
謎の理由で割引されたがアリスは遠慮する。
安くなるのは嬉しくても、その所為で良い宿が潰れるのは勘弁だった。
ラドがもっとお金を稼いでいるとはっきり分かれば喜んでサービスを受けられるのに。
残念そうに肩を落とした。
インベントリから小さな銀貨を6枚取り出し、カウンターに置いた。
アリスが思うに、インベントリには両替機能が付いている。
例えばインベントリ内に大銀貨を入れたとする。
そうしたら所持金は1000イェンと表示され、当然だが大銀貨1枚を取り出す事が出来る。
しかしその他にも小銀貨を合計で10枚取り出せるし、大銅貨は100枚でも大丈夫で、小銅貨を1000枚だって問題ない。
金額が同じなら、好きな硬貨に変える事が出来るのだ。
実に便利な仕組みである。
慣れないお金でのやり取りに戸惑わなくて済むから。
「別に気を使わなくて良いんだがなあ」
「あはは」
口には出さないが、それは難しい話だ。
アリスは慎ましく曖昧な笑みを浮かべて言葉を濁す。
そもそもからして1泊100イェンの時点で大分安くなっているのに、これ以上値引きしてどうするのか。
まあ親切心が上限突破しているだけなのは明らかだ。
にしてもあんまりな極端具合に、アリスは溜息をぐっと堪えた。
「アリスは冒険者だよな。今日は依頼でも受けるのか」
「そうですね。平原で狩りでもするつもりです」
ラドの質問に頷いた。
ビースト平原で魔物を沢山倒し、アイテム収集ついでにレベル上げもするつもりだった。
冒険者協会では常設依頼と言う形で魔物のアイテムの売買がされているから、お金稼ぎにもなるはずだ。
強力な魔物は出ず、罠もないから、のんびりとした戦いになるだろう。
「気を付けろよ。どんな有利な状況でも失敗1つが致命傷に繋がるんだからな」
「ええ。それは良く分かっています」
アリスの脳裏を過ぎったのは上位種ゴブリンとの戦闘だった。
未だにあのゴブリンの正式名称は分からないが、間違いなく強敵だった魔物。
善戦していたのに少しの油断から敗北したのは、強く刻まれた記憶である。
次は絶対に勝つ。
そう誓ったアリスは己の勝利を盤石な物にするべく、平原でレベリングに励もうとしているのだ。
「そうか。それなら良いんだ。行ってらっしゃい」
「あ、はい。行ってきます」
ラドの挨拶に対して、少し気恥ずかしそうにアリスも返した。
慣れない事を言われると対応に困ってしまう。
しかしその戸惑いも、宿から出て少し歩けばすぐに忘れた。
そんな事より余程気にかかる事に注意を引かれたからだ。
(あれ。街の様子が変だ)
通りから昨日の活気が消えていた。
人の往来も目に見えて少なくなっている。
立ち止まって辺りを見渡せば、店を出している商人たちもどこか困惑気味だ。
まるで絶望してしまったかの様に路傍で座り込む人までいる。
まるで暗く重い空気が街を覆っているみたいだ。
アリスは眉を顰める。
嫌な雰囲気である。
(何があったのかな)
最後にこの通りを抜けてからまだ1日も経っていないのに、がらりと豹変した街の様子を疑問に思う。
イベントにしては、人が少なくなる理由が分からない。
少し頭を悩ませ、ふと今朝の出来事を思い出した。
なるほど。
それならこの暗い雰囲気にも納得出来る。
(ログアウト不能の影響かあ)
あれだけプレイヤー専用の掲示板が荒れていたのだ。
街の雰囲気にまで余波があっても不思議ではない。
随分と沢山の人が不具合に悩まされていつのだろう。
アリスが予想していたより、よっぽど数が多かった。
このゲームには自分の様な暇人は極少数なのかもしれない。
良く出来たゲームなのに残念だ。
暇な人ほど楽しめるはずなのに、何で人気がないのかな。
しかしその答えはさっぱり分からず、アリスは考えを打ち切った。
(何にせよ、早く元に戻って欲しいな)
街の雰囲気が昨日の様に明るくなる事を祈って、アリスは再び歩き出した。
冒険者協会は目と鼻の先まで近付いていた。
(あ。ここの雰囲気は変わらないのか)
協会の中には、昨日同様お酒を飲み交わす人で溢れていた。
朝っぱらなのに顔は真っ赤で、随分と出来上がっている。
明るい雰囲気は嬉しいが、それ以上に呆れる。
冒険者業は休みなのだろうか。
アリスはどんちゃん騒ぎから離れる様に、受付嬢の元に向かった。
「あらアリスさん。おはよう」
「あ、おはようございます。受付嬢さん」
カウンターに近付くと声を掛けられた。
声の主は昨日対応してくれた受付嬢である。
取り敢えず知り合いである事にホッとする。
そしてアリスはこの人に聞きたかった事があるのを思い出した。
自分の用を後回しにして、先にそっちを尋ねる。
「そう言えば、聞き忘れていました。受付嬢さんの名前はなんて言うんですか?」
「ああ、まだ言ってなかったわね。私はテレリ。よろしくね」
そう言ってテレリは軽く会釈をした。
アリスも同じ様にする。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
アリスは目標の1つを達成し、実に満足気だ。
この調子で今日の目標を全て達成しようと気合いを入れる。
その為に、まずは常設依頼の確認からだ。
「あの常設依頼を受けたいのですが、何かの手続きっていりますか?」
「いいえ。アイテムがあればその場で報酬を渡せるわ。特別な手続きはないから安心して」
なるほど、とアリスは頷いた。
それならこのままビースト平原に行っても問題なさそうだ。
礼を言うと気にしないでと言われた。
「そう言えば街の様子が変なんだけど、アリスは何でか知ってる」
「んー。いいえ。知らないです」
「そう、分かったわ。有り難う」
テレリからの質問に、アリスは嘘を答えた。
街の事を心配しているのだろう。
不安そうな様子に心が痛む。
しかし、仕方のない事だ。
なぜならテレリはゲーム内の住人だから。
ログアウト云々と言った所で意味は通じない。
アリスは申し訳なくなり、感謝の言葉を告げて協会を出た。
自分には何も出来る事はなく、それがとてももどかしかった。
だからせめて、早く街が元に戻ってくれる様に心から願う事にする。
それからアリスは南門へ向かった。
着いてすぐにロイの姿を探したが、どこにも見当たらない。
どうやら非番らしい。
もし居たら良い宿屋を教えてくれた事に対して礼を言おうと思っていたのに、タイミングが悪い。
まあ居ないならば仕方がない。
態々探し出す気にもなれないし、今日の所は諦めておこう。
また会った時にでも言う事にする。
そう決めた。
門を潜り抜け、街を出た。




