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ダンスが終わって、渦中の人であるリチャードがアイリスを伴って近付いて来たので、自然と彼女の前に立つ。
「リリーナ、お前はイルーゼに心を許したな。私とは笑みを浮かべることも無いのに、あんなに楽しげに……
君は不誠実な女だったのだな」
「殿下、先に彼女を辱しめたのは貴方だ。婚約者のエスコートもしなかった貴方が、リリーナ様を責めることはできないはずですが?
それに不誠実というならその隣に居るアイリスはなんですか?
貴方が先に彼女を裏切ったというのに、その発言はいただけないですね」
何も返す言葉が無いのか、リチャードはグッと奥歯を噛んだ。するとアイリスが突然前に出て、リリーナに手を上げようとしたので、オレはとっさにアイリスの手を掴んだ。
「なんで、なんでなのよ!イルーゼ貴方はもう私のものなのに、なんでその女と居るのよ」
「私のもの? 一体何の話か分からないけど、アイリス、オレはもう君を愛してないよ」
「そんな嘘よ! だって私は誰からも好かれて、この世界の中心に居るの! なのになんでイルーゼは私の側に居てくれないのよ」
「オレは君を愛してないからだよ。くだらない話を続けるつもりはない。リリーナ行くよ」
するとリリーナはオレの腕に手を絡ませたので、オレは彼女を連れて早いうちに会場を後にする。そして中庭でリリーナと向き合う。会場から漏れる音楽を耳にオレは彼女に手を差し出す。
「オレと一曲踊ってくれるかい?」
「ええ喜んで」
月夜の庭園で踊る彼女は、本当の月の女神のようで、儚く消えてしまいそうに見えるくらいだった。
彼女の気が済むまで永遠と踊り続け、一息ついた頃、彼女は顔を赤くしオレを見つめた。
「イルーゼ、貴方が居なかったら私挫けていたところだったわ。
貴方が居てくれたから私は前を向いて居ることができた。
だから本当にありがとう」
「オレはいつだって君を支えたいと思っている。だから君は笑っていてくれ」
「ええ分かったわ」
パーティもお開きになり、自室に戻る。彼女を守るためなら何でもする覚悟があった。嫉妬したリチャードは彼女を責めた。当初の予定通りに進んでいるのに、もやもやする。彼女に気を許し過ぎてる自分がいた。オレは間違いなく彼女に恋をしている。けれど現実では彼女はリチャードの婚約者であることに変わりはない。リチャードが彼女に振り向いた時点でオレの恋は叶わないのだ。
昨日のことはやはり学内新聞に掲載されていて、これは噂の火消しが大変だろうなと思ったが、そんなことしなくてもよくなった。一番懸念していた、彼女がアイリスを苛めているといった噂が消えたからだ。
その代わりと言っては何だけど、オレとリリーナの恋愛関係が明るみに出た。それに対してのコメントを求められたが、口にはしていない。どう答えても言葉は曲がって書かれてしまうし、そのことで彼女を傷付けたくなかったからだ。
いつものようにランチをしている彼女の空気が幸せそうだからか。周りの空気も明るく変わっていて、心地よい時間が流れていく。
そこへ突然リチャードが現れ、オレと彼女はぽかんとしてしまう。リチャードはオレを睨みつけ、彼女の方に視線をやると言った。
「リリーナ、オレは君と婚約破棄をするつもりはない。どこに気をやろうと君はオレのものだ。」
「今更私に目を向けるのですか。私のことなど好きでもないのに……
貴方は、貴方の大好きなアイリス様、のもとへ通ったらいかが?」
「彼女とは何もない。」
「そんな嘘信じられませんわ。イルーゼ、私はここに居たくはありません。だからここを後にしましょう。では殿下ごきげんよう。」
強引にオレを連れ出した彼女の顔は歪んでいた。泣きそうで苦しげな顔、リチャードの愛を捨てたのに、今更愛しているだなんて言われて、正気でいられる方がおかしい。生徒会室に着いた途端、彼女は静かに泣き出した。本当は泣きわめいて、なんでだと問い詰めたいくらいに追い込まれているのに、それすら彼女は許さず我慢をしている。
今ここで彼女に触れたら、きっとオレのことを好きになる。それはいけないことなのに、悲しんでいる彼女をオレはほっとけなかった。そっと彼女の髪を撫でれば、彼女は一瞬驚いた顔をして、そして声を出して泣いた。
「私は殿下が好き、でもそれはもう昔の話だわ。やっと殿下を諦められたのに、なんでよ。アイリスと婚約すればいいじゃない」
これでは彼女は籠の鳥だ。永遠に自由はない。政略結婚に愛は関係なくても、こんなひどい話はない。
胸が痛かった。彼女のためにリチャードの心を変えることはできた。けれどそれは間違いだった。彼女を泣かせているのは誰でもないこのオレだ。彼女の気持ちを置き去りにして、リチャードとの恋愛をすすめたオレのせいだ。
「私はもう殿下に興味はないどころか。憎んでさえいるのに、この憎しみを愛に変えるなんてできはしないわ。」
君の恋を憎しみに変えたのはオレだ。
彼女に会わせる顔がないのに、今彼女を一人にはできない。慰めることしかできないオレに、彼女はすがるような目を向けてきて、オレはそれに逆らえず抱き締めた。
本当に彼女を幸せにするにはどうしたらいいのか。
彼女とちゃんと向き合わねばならない。彼女はリチャードを憎んでいると言った。憎しみと愛情は表裏一体だ。彼女がリチャードを憎めば憎くむほど、愛情も深くなる。言葉ではリチャードを詰っているが、気持ちが高ぶっている今、それが本心だとは限らない。なら彼女とリチャードの時間を少しずつ作るしかない。そしてそこにオレの感情は要らない。オレは覚悟を決めた。