4. 中の人と外の人
大鰐が倒れると、MVPを取れなかった半裸のボス狩りリーグ一同は、
「いやぁ、負けちゃったか」
「出遅れたのが痛かったなぁ」
「でも、次の出現時刻はゲットできたし、次こそ獲りましょう!」
和気藹々と騒ぎながら、帰還アイテムを使って帰っていった。
広大な地底湖に、奈留と銀髪美女の二人だけが残される。小鰐の群れも、大鰐が砕け散ったのと同時に消滅していた。
死亡状態で倒れている奈留と、大鰐が消えたところに出現した戦利品を拾っている銀髪美女。
「……ねえ、今度こそ起こしてくれない?」
奈留が声をかけると、銀髪美女が動きを止めた。そして、首から上でだけ、ではなく――身体ごと、奈留のほうに振り返った。
「え……」
奈留の口から驚きの声が漏れる。まさか、呼び止めた相手が本当に足を止めて振り返ってくれるとは思っていなかったのだ。
銀髪美女は、目を大きく瞬かせている奈留の前まで歩いてくると、その傍らに片膝をついてしゃがんだ。
『おや、今度は起こしてくれるのかな? 気紛れなことで』
ノゥエが皮肉っぽく独りごちる。それが聞こえていたわけではないだろうが、銀髪美女は逡巡するようにしばし動きを止めた後、手の中に銀色の薬瓶を具象化させて使った。
薬瓶が音もなく消滅するのに合わせて、横たわっている奈留の全身が淡い銀色に光に包まれた。その光が消えると、奈留はゆっくりと腰を起こした。
『ふう……蘇生されたよ。いちおう、お礼を言っておいてくれないかな』
「うん」
ノゥエの言葉に小さく頷くと、奈留は銀髪美女に目線を向けて頭を下げた。
「……ありがとう。助かったわ」
「いえ……こちらも助けていただきましたので」
銀髪美女も、ぺこりと頭を下げる。そして、誰かと電話しているような沈黙を挟んでから、
「ええと、わたしのプレイヤーからの伝言です。どうか気を悪くしないで聞いてください」
そう前置きして息を吸い込むと、一息に言った。
「おれを助けた、なんて恩着せがましく言われるのは御免だから、これはくれてやる。蘇生してやった上に、激レアドロップまでくれてやるんだ。文句を付けるんじゃないぞ――だそうです」
銀髪美女は言い終わると、ばつが悪そうにぱっと目を逸らす。だけど、両手は別の意思で動かされているかのように――というか、まさにその通り、別人の意思で動かされて、大きな金平糖みたいなものを掌に実体化させた。
『あ、それ、ボスドロップだ。“蛍火石の原石”だよ。ほら、例の宝珠合成に使う素材の……って、トレード申請!? ぼくらにくれるってこと!?』
ノゥエはなおも、興奮気味に喚く。
『やった、やったよ! ボスレアだよ、超高額アイテムだよ。これで、あの子を見返してやることが――』
そこまで言ってようやく、ノゥエも矛盾に気づいたようだった。
『見返す相手から貰ったアイテムで、その相手を見返す……駄目じゃないか、全然。とんだ本末転倒だよ!』
「あら、良かったわ」
奈留がくすりと挑発的にほくそ笑む。
『良かった? 何が?』
「ここで臆面もなく、おこぼれ頂戴しちゃうような人だったら、コンビ解消していたところだったわ」
『え……いやいや。いちおう、ぼくらは相方関係ではなく、雇用関係なんだけど』
ノゥエの溜め息混じりな苦笑を無視して、奈留は銀髪美女に話しかけた。
「わたしは奈留。あなたの名前は?」
「え……白雪、です……」
彼女は――銀髪美女改め白雪は、思わず、といった感じで答えた。答えてから、しまった、という顔をしたのは、プレイヤーの代弁者としてではなく、素の自分で答えてしまったからかもしれない。
「じゃあ、白雪さん」
奈留はにっこり笑いかけると、笑顔のままで続けてこう言った。
「あなたがそこまで借りを作りたくないというのなら、そのアイテムを貰ってあげてもいいわ。でも、その代わりに条件があるの」
「え……」
言われた白雪は驚きに目をぱちくりさせている。慌てて文句を言ったのは、ノゥエだった。
『待って待って。ねえ、待って。条件って何? ぼく、そんなこと言ってないよね。なんで、きみはそういうことを勝手に言い出すの?』
だが、奈留は答えない。まったく聞こえてないふうに、白雪との話を続ける。
「あ、その前にまず聞かせて欲しいんだけど……あなた、その透け透けボディコンな服、気に入って着ているの?」
「えっ!?」
白雪は切れ長の瞳をまん丸に見開かせた。その顔を見れば、答えを聞くまでもなかった。
奈留は、やっぱりね、と頷く。
「あなたは大蠅と戦っていたときも、ずっとつまらなそうにしていたし、さっきだって怖がったり目を閉じたりしていたし……どう見ても、色々と納得していない態度だったもの。プレイヤーの人に無理強いされていたんでしょ」
「あ……え、ぅ……」
奈留の言葉と視線に、白雪は目を泳がせて言い淀む。これまた、図星を突かれて答えに窮していることが一目瞭然だった。
しどろもどろになっていた白雪だったが、急に息を飲むと、「はい、はい」と誰かに頷く。そして、奈留に視線を戻す。
「あの、わたしのプレイヤーから……早く条件を言え、だそうです」
「そうね。じゃあ言うわ」
奈留が頷く。
『いやいや待って待って。ぼくは条件を付けるつもりなんて、ないんだけど!?』
ノゥエが大声で呼びかけるけれど、奈留は止まらない。
「そのアイテムを貰ってあげる条件は……白雪さん、あなたが被っているトゲトゲの冠と、えろえろしたボディコン装備を脱ぐことよ」
「……え?」
奈留の言い渡した条件に、白雪はきょとんと小首を傾げた。それから、微妙な間を置いた後に返事をする。
「プレイヤーからの伝言ですが……パッション・クラウンの【与ダメ吸収】とシースルー・チャイナドレスの【怯み無効】がなくなったら、いまの戦法が成り立たなくなる。そうなったら、他の装備まで換えなくちゃならない。大出費だ。そんな条件が呑めるか! だいたい、ただで高額レアをくれてやろうと言っているのに条件を出してくるとはどういう料簡だ? 馬鹿も休み休み言え! ……だそうです」
白雪は流れるような早口で、最後まで一語も詰まることなく言い切った。
『よし、良いぞ。そのまま絶対に断ってくれ』
ノゥエも、白雪とそのプレイヤーを応援している。だが、奈留は味方がいなくとも臆さない。
「白雪さん、あなたのプレイヤーにこう伝えて……って、言うまでもなく、こっちの声はプレイヤーにも聞こえているんだったわね。ええと……わたしがあなたを守ってあげていなかったら、死んでいたのはそっちのほうだったわ。そして、MVPを獲っていたのも、あなたじゃなくて、わたしだった。わたしが、あなたにMVPを譲ってあげたの。だから、その大きな金平糖みたいなのも、あなたが持っていっていいわ――分かる? それを譲ってあげるから、わたしの言うことを聞きなさい、と言っているのよ」
奈留は滔々と捲し立てた。
『譲ってあげる、なんて言ってないよ……素直に貰っておこうよ……』
ノゥエも、もう諦めかけている。
しばし黙っていた白雪が口を開いた。
「伝えますね。ええ……自分のほうが強いみたいに吠えるな。おまえなんかより、おれのほうが強いに決まっているだろ。どうやったって、MVPはおれだった。生意気を言ってるんじゃねえよ! ……です」
「生意気なのはどっちかしら? 口でなら何とでも言えるけれどねぇ」
「……それはこっちの台詞だ。けど、そこまで大口を叩くんだったら、いいだろう。勝負してやる。おまえをこてんぱんに熨して、無理やりにでもボスドロップを受け取らせてやる! ……です」
「面白いじゃない、受けて立ってあげる。わたしが勝って、言うことを聞かせてあげるわ」
『だから何で、きみは勝手に決めちゃうんだ……ああ、もういいよ……』
ノゥエの諦め声は誰も聞いちゃいない。
白雪がすっくと立ち上がる。
「ええ……おまえに決闘を申し込む。受けろ! ……だそうです」
その言葉に合わせて、奈留の眼前に羊皮紙のようなものが表示される。決闘の申し込みだった。
「さあ、ノゥエ。挑戦を受けてちょうだい」
奈留の要求に、ノゥエは溜め息で答える。
『はぁ……はいはい、もう何でもいいですよ……』
奈留の身体も立ち上がると、右手を伸ばして、羊皮紙に書かれた「承諾」の文字に触れる。これで決闘の成立だった。
状態が決闘モードに移行すると、キャラクター同士でもダメージを発生させることが可能になる。決闘モードの終了条件は、一方が降参を宣言するか、死亡状態になるかだ。つまり、決着がつくまで終わらないのだ。
白雪の身体が戦闘態勢を取る。腰を落として両脚を広く構えた、足を止めての乱打戦を要求する構えだ。
「ノゥエ!」
『はいはい』
ノゥエもこうなっては覚悟を決めたようだ。奈留の身体を操作して、白雪の前から跳び退らせる。それと同時に、両手に構えた二丁拳銃の銃口を白雪へと突きつける。
『まあ、向こうには距離を詰めるだけの機動力がなさそうだし、攻撃を食らわなければ耐久回復されることもないし……わりと余裕で勝てそうだしね』
「そういうの油断! こっちが売った喧嘩なんだから、必死でやる!」
『ぼくが売ったんじゃないのに……』
「文句言ってないで集中! 来るよ!」
白雪が地を蹴って、奈留へと真っ向から突進する。彼女の表情は突然の決闘開始に戸惑っているようだったけれど、チェーンソーの切っ先を引き摺りながら突進してくる動きに迷いはない。
「あぅ……なんで、こんなことになっているのでしょうか……」
白雪はちょっと涙目になりながらも、ゴルフスイングのようにチェーンソーを下から上へと振り抜く。まだ剣の届く間合いではなかったために、奈留は――ノゥエは反応は遅れた。
掬い上げられたチェーンソーの軌跡から起こった竜巻が、奈留を急襲する。
「避けて!」
奈留が叫んだが、一歩遅い。さらに飛び退こうとした奈留の身体を、竜巻が呑み込み、上空へと巻き上げた。
「きゃっ……!」
全身を襲う浮遊感に、奈留は息を飲む。空中に打ち上げられている最中は操作不能で、地面に墜落するか、追撃されるのを待つしかない。
『これは追撃、食らったな』
ノゥエが他人事のように呟く。
白雪は、奈留が竜巻に打ち上げられたのと同時に距離を詰めてきている。両手持ちのチェーンソーを大上段に振りかぶって、ちょうど落ちてきた奈留を唐竹割りに叩き斬った。
大ダメージを意味する破砕音と閃光。
奈留の身体は、さらに勢いを増して地面に叩きつけられる。本当に腰から真っ二つにされたりはしなかったが、そうなってもおかしくなかったほどの衝撃に、奈留は息が止まりかけた。
白雪の攻撃はまだ終わらない。地面に激突して弾んだ奈留を、さきほどの掬い上げる斬撃を放つ――だが、これは当たらなかった。ノゥエが素早く奈留を操作して、白雪の剣技【竜巻起こし】の範囲外まで転がり逃げていた。
奈留は転がった勢いを利用して立ち上がると、距離を取りながら射撃する。二丁拳銃のうち、魔砲銃はシステム的に必中だが、一発の弾代が高いし、連射も利かない。だからノゥエは、火薬銃の連射で白雪を牽制した。
しかし【怯み無効】の宝珠を装備している白雪に、牽制射撃は意味がない。銃撃の数発を食らった程度は意に介することなく、奈留へと肉薄する。
「ノゥエ、避けて!」
『無理だ。もう間に合わない』
と言っているうちにも、白雪のチェーンソーが奈留を袈裟懸けにする。銃を撃った直後の僅かな硬直のせいで、奈留に飛び退く暇はない。それでも咄嗟にしゃがんで回避したが、体勢を崩してしまう。
そこを、白雪の爪先蹴りが襲う。これも咄嗟に、起き上がることを諦めて地面を転がったことで辛くも躱せた――が、そこまでだった。
さらに転がって距離を取ろうとした奈留の身体が、石筍にぶつかる。
「いたっ」
痛みはなくとも、奈留は思わず声を上げてしまう。そんなことで痛がっている場合ではないと思い直したときには、横倒しになっている視界に黒光りする脚甲の爪先が迫っていた。
金属靴の爪先が今度こそ、奈留の腹を打ち据えた。
「うあ――ッ!!」
奈留の身体は砕けた石筍ごと吹っ飛び、さらに何本かの石筍を砕く。
『この場所で決闘を挑んだのは、明らかに失敗だったね』
「だから、他人事みたいに言うな!」
ノゥエの言い草に腹を立てつつも、奈留も認めざるを得なかった。
足下のそこかしこに生えた石筍は、奈留の機動力を削ぎ、逃げ場を狭めていた。
『もっと開けた場所だったら、勝ち目があったかもしれなかったんだけど……でもまあ、べつに負けてもいい勝負だし、どうでもいいよね』
ノゥエとしては、黙っていれば貰えるはずだった高額稀少アイテムが、勝ったら貰えないことになってしまう。負けたほうが、はるかにお得なのだった。
「何を馬鹿なこと言ってるのよ!」
奈留が怒声を張り上げる。
「こっちから売った喧嘩で、負けてもいいとか、つまんないこと言わないでよね。真剣にやって!」
『そう言われても……っと、危ない』
奈留とノゥエが会話しているからといって、白雪が待ってくれたりはしない。
甲高い駆動音を立てて回転するチェーンソーの鋸刃が、片膝立てに起き上がった奈留に頭上から振り下ろされる。
結局、奈留はまた転がって避けた。だが、避けはしたものの、これではいつまで経っても立ち上がれないし、反撃にも移れない。
「ちょっと! これじゃ、じり貧じゃない。早く何とかしなさいよ!」
『そう言われても、向こうはこっちに、その“何とか”をさせないつもりで攻め立ててきているわけで……』
「言い訳を聞いてるんじゃない! 何とかしてって言ってるの!」
『……はいはい』
無駄な議論は御免だとばかりに、ノゥエは気のない返事で了承する。
とはいえ、了承したからといって、あっさり覆るほど状況は優しくない。白雪のプレイヤーだって、奈留に距離を取られたら分が悪くなることは理解しているから、奈留に立ち上がる隙を与えはしない。ノゥエも転がったまま射撃して隙を作ろうとするが、白雪はまったく防御しないで攻撃を続ける。
銃撃のダメージは地味に蓄積されていくが、銃を撃った直後の硬直に重たい斬撃を入れられては、ダメージ交換が釣り合わない。
「ああっ! このままじゃじり貧すぎ……反撃よ、反撃! もっとぎりぎりで避けて、連続でぶち込むの!」
奈留の切羽詰まった様子とは裏腹に、ノゥエの返事は冷めたものだ。
『それが出来たら、そうしているさ。でも、ゲームのシステム的に、これ以上の反応速度は出せないよ』
「そこは気合いで何とかして! っていうか、もっとやる気出せ!」
『それは無理な相談でしょう』
ノゥエは苦笑する。
『勝てば高額レアが貰えなくて、負ければ貰える……これでやる気を出せるほうがおかしいよ』
「ああ……もうっ!」
こんなやり取りをしているうちにも、奈留の耐久ゲージは減り続けている。チェーンソーの打ち込みを二発、三発と躱しても、一発でも食らってしまうと耐久力を大きくもっていかれてしまう。そしてその分だけ、白雪の耐久ゲージは回復する――両者の耐久ゲージはどんどん差を広げていっていた。
「うぅ……!」
奈留は悔しげに白雪を睨む。
「……」
白雪は無言で目を逸らしただけだ。その表情には、操作キャラ同士で決闘している状況に対する興奮も戸惑いもない。上の空という言葉をそのまま形にしたような表情だ。ただ、銃撃を食らうたびに、眉を苦しげに引き攣らせる。
その顔を間近に見つめて、奈留は初めて理解した。
大赤蠅と戦ったときも、大鰐と戦ったときも、そしていまも――白雪は無関心だったのではない。無関心でいようと努めているだけなのだ。そうしていないと、斬られたり撃たれたりする怖さで、どうにかなってしまいそうだからなのだ。
理解した瞬間、奈留は自分の血が頭に流れ込む音を聞いた。眼球が膨れるような錯覚と、呼吸の熱さ。思考が熱気で霞み、その分だけ体温を失った身体が冴え冴えと澄み渡る。思考、神経、筋肉の距離が消える。心と身体がひとつに混ざり合う。
「――ノゥエ。わたしにも呪い装備を着させたい?」
『え?』
いきなり言われて戸惑うノゥエに、奈留は言い放った。
「この決闘に勝ったら、紐でも透け透けでも、何でも着てあげる」
『……何でも?』
「何でも!」
奈留が一際大きな声で叫んだところへ、チェーンソーの回転鋸刃が振り下ろされる。奈留は地面に片手と片膝をついた体勢だ。頭上から落ちてくる斬撃を避けるのは不可能――決闘が始まってからすでに何度も繰り返してきた場面だった。今度も同じ結果になるはずだった。
「あ……」
能面のようだった白雪の唇から、不思議そうな吐息が漏れる。チェーンソー剣を振り下ろした両手に、予想していた手応えが返ってこなかったからだ。
これまで手もなく食らっていた斬撃を、奈留は最小限の動きだけで躱してみせたのだった。
『いくよ、奈留。反撃開始だ』
ノゥエが静かに宣言する。
「そうこなくっちゃ!」
不敵に笑って答えた奈留の身体が、鋭く跳ねた。
白雪もすぐに反応して追撃を仕掛ける。背後へと飛び退く奈留を追いかけて横薙ぎに振るわれたチェーンソーは、しかし、空しく宙を斬っただけだった。
奈留は白雪の前から飛び退いたのではない。白雪に向かって、まっすぐ飛び込んでいたのだった。
大剣を空振りさせた白雪の懐に、奈留は滑り込んでいる。白雪と奈留、二人の顔と顔とが、鼻先を触れ合わせるほど至近に迫る。
「ひ――」
ひゅっと息を飲む白雪に、奈留は不敵に微笑みかけた。
一瞬の静寂が過ぎ去った直後、透けるほど白いチャイナドレスを張り付かせた白雪の下腹に火薬銃の銃口が叩きつけられ、火を噴いた。
銃声は三度響いて、白雪の身体も三度震えた。
密着距離での銃撃三連は、けして軽微なダメージではない。だが、白雪は頭に被っている呪い装備「荊の冠」の出血効果で常時ダメージを食らっていても平気なように、耐久力をとにかく増強させている。この程度では、まだまだ怖じ気づいたりしない。
白雪はダメージを無視して飛び退きざま、チェーンソーを逆袈裟に一閃する。奈留はこれも、間合いを離すのではなく、剣を持つ腕の内側まで間合いを詰めることで躱した。
白雪も今度はすぐさま、腰を大きく捻って、チェーンソーを握る両手を腋へ引きつけながら斬りつける。振り返りながらの一撃だったが、奈留はこれも紙一重で避けてみせた。
白雪の間合いに踏み込んだ奈留は、そのまま擦れ違いながら飛び込み前転の要領で転がって、白雪に背中を向けたまま、彼女が振り返りざまに放った一撃を躱してみせたのだ。
奈留は地面を一度転がっただけですぐ片膝立てに起き上がると、背後に大きく片腕を伸ばして、見ないまま白雪を撃つ。普通なら命中率が大きく下がるところだが、魔砲銃から撃ち出された魔砲は銃口が標的に向いてさえいれば必中する。
「きゃっ」
白雪の悲鳴と、彼女に命中した魔砲の爆ぜる炸裂音。だが、白雪の身体は魔砲の直撃をものともせずに、いまの銃撃で動きの止まった奈留の頭上へとチェーンソーを叩きつける。今度こそ、避けるのは不可能だ。
「前に!」
奈留が吠えたときには、その身体はしゃがんだまま、銃を撃つために背後へ振った腕を追うようにして白雪へと振り返り、二丁拳銃の銃口を彼女の土手っ腹へと跳ね上げた。
振り下ろされたチェーンソーの刃が、奈留の肩口から脇腹を深々と切り裂く。同時に二丁拳銃が弾倉の中身を全弾吐き出して、白雪の下腹部を激しい爆発が襲った。
大剣技【渾身の一撃】と、銃技【撃ち尽くし】の相打ちだ。ダメージ交換は【与ダメ吸収】の分だけ、白雪のほうに分があったと言えるが、追撃を恐れて思わず距離を取ったのは白雪のほうだった。
白雪が下がった分だけ、奈留が踏み込み、右手の銃口を白雪の胸に押しつけんとする。白雪は素早く手首を翻して、胸元に伸びてくる奈留の片腕を撥ね飛ばした――いや、間一髪で奈留は右手を引き戻していた。
伸ばした右手を引き戻した勢いで、奈留は腰をぐるりと三百六十度捻って、その場で真横に一回転。その遠心力を載せて突き出された左手の銃口が、白雪の眉間に押しつけられた。
白雪は大剣を空振りした直後の僅かな硬直から、まだ脱していない。【怯み無効】でダメージを受けた際の硬直を無効に出来ても、自分の攻撃によって発生した硬直は無効化できない。
「――ッ」
白雪が唇を引き攣らせる。
奈留が引き金を引く。
銃声と衝撃が弾けた瞬間、白雪の身体も硬直から脱した。
きっと白雪のプレイヤーは、首を傾けるよう操作して、銃口から逃れようとしたのだろう。だが、外部装置から発信された信号が白雪の運動神経に命令を下すよりも、奈留の意識が自身の指に引き金を引かせるほうが数千分の一秒、早かった。
これが本物の水を湛えた地底湖だったら音を吸っていたのかもしれないが、銃声は思いの外、長く残響する。その銃声がまだ消えないうちに、白雪の身体は前のめりに崩れ落ちた。
決着がついたことを示すファンファーレが、鮮やかに鳴り響いた。
「ふぅ……」
奈留の口から長い長い溜息が漏れる。
「……あの、」
白雪がおずおずと呼びかけてきた。彼女は耐久力ゼロの死亡状態で、俯せに倒れているままだ。すぐ前に立っている奈留を見上げることもできないでいる。
「何? あ、起こして欲しいのね。ノゥエ、起こしてあげてよ」
『言われなくても、そうするつもりだったよ』
ノゥエは奈留はしゃがませると、手の中に蘇生薬を実体化させた。けれど、白雪は少し戸惑ったように言う。
「起こしていただけるのは助かると思うんですけど、そうではなく……」
「他にも何か?」
奈留は小首を傾げつつも、蘇生薬を使って白雪の耐久ゲージを回復させた。
ゆっくりと腰を起こす白雪。
「こっちもさっき起こしてやったんだから、礼は言わないぞ……と、わたしのプレイヤーからの伝言です」
「はいはい。こっちもそんなの期待しちゃいないわよ」
げんなり顔の奈留に、白雪はまた、おずおずと話しかける。
「あの、それで最初に言おうとしていたことの続きなんですけれど……」
「そういえば、何か言いかけていたっけ……で、何?」
「はい。ええと……」
白雪は、電話越しに話しかけられたような間を置いてから、改めて口を開いた。
「さっきのあんたの動き、どう考えてもおかしかっただろ。遠距離キャラが近接キャラに接近戦を仕掛けて競り勝つなんて普通じゃない。というか、反応速度がおかしすぎだっただろ。|操作技術(Pスキル)がどうとかのレベルじゃなかっただろ。あれは絶対に、システム的に不可能なレベルだった。はっきり言うぞ、チートだろ!? ……です」
一戦した後も変わらない長広舌を噛まずに言い切った白雪は、満足げに口元を綻ばせた。
奈留はちょっと気圧されている。代わって答えたのは、ノゥエだった。
『その答えは単純にして明快さ。奈留、彼女たちにも教えてやってくれ』
そう前置きしてからノゥエが説明したことを、奈留は訝しげに眉根を寄せながら聞いた。
『――というわけさ。どう、分かったかい?』
「ニュアンスは、たぶん」
奈留はぎこちなく頷いた。
「あの……」
白雪が申し訳なさそうに説明を求めてくる。
「あ、うん。なんか、こういうことみたい」
奈留は、いまノゥエから聞いたばかりのことを白雪に向けて復唱した。
「プレイヤーがキャラクターの運動神経に対して信号を送るとき、キャラクターもまったく同じ信号を出していれば、キャラクターの身体は一切の抵抗なしに動き出せる。それはコンマ一秒あるかないかの差でしかないけれど、その一瞬があれば攻撃を回避できる……だって」
「……そんな説明、こじつけだ! システムの仕様上、プレイヤー側での操作がキャラクターの行動に反映されるまでの時間差は、反応も認識も不可能な誤差の範囲だ。そんなものが勝負に影響するわけないだろ! ……だそうです」
白雪の口を介して伝えられた反論に、ノゥエはせせら笑った。
『まあ確かに、いまのは単なる、ぼくの推論だ。でもさ、理由がどんなものだって同じことだろ。ぼくたちが勝ったという事実の前には、さ』
奈留はその言葉を、白雪と、その耳を通して聞いているだろうプレイヤーにも伝えた。
白雪はしばし黙す。ときどき小さく頷いているのは、プレイヤーの言葉を聞いているからだろう。だがそのうちに、最初は遠くを見ているようだった彼女の表情は、次第に戸惑いの表情へと変わっていく。
「え……あ、はい……分かりました……」
見えない相手に向かって頷くと、白雪は切れ長の瞳をまっすぐ奈留へと向けた。
「……あんたの言いたいことが分かったよ。おれはこいつの身体を使って、おれ一人の力で戦っていた。でも、あんたたちは二人の心をひとつにして、二人の力で戦っていた。一対二じゃ勝てるわけがない、簡単な話だよな。でも、そんな簡単な話が、おれには分かっていなかった。それが敗因だった。そういうことなんだよな、目が覚めたよ。礼を言うぜ、ありがとうよ……です」
相変わらずの長台詞だったが、白雪はさらさらと淀みなく言ってのけた。顔にまだ戸惑いの色が浮かんでいるのは、自分が復唱した言葉の意味をあまりよく分かっていないからだろう。
『お礼なんていいのに。さあ、奈留。ボスの戦利品を貰って帰ろう』
ノゥエは朗らかにそう言ったが、奈留は当然のように無視して、白雪に微笑みかけた。
「お礼を言われるようなこと、わたしたちはしてないわ。でも、勝負は勝負だから、約束は守ってもらうわよ」
「約束……」
言われて思い出したらしく、白雪はぽつりと呟いた。
「そう、約束」
と、奈留は笑みを深める。
「わたしたちが勝ったら、白雪さんにエッチな格好をさせるのは止める――そういう約束だったわよね」
「……分かっている。おれも男だ。約束を果たす――」
白雪は例によってプレイヤーの言葉を代弁し始めたが、その途中で驚いたように瞳を瞬かせた。
「どうしたの?」
奈留が問いかける。
「あ、いえ。あの、ええと……おれもこれからは、キャラクターに自分好みの装備を押しつけたりしないで、良い関係を築けるように努力するよ。そして、そのときこそ、今度はおれたちが勝つ。こいつはそのときまで預かっておいてやるよ……だそうです」
そう言った白雪の頬は、ほんのり赤らんでいる。その理由が、自分が男好みの服装をさせられていると告白したからなのか、それとも、その男から告白めいたことを言われたからなのかは、本人にしか分からないことだ。
『ぼうはもうさっぱり、展開についていけないんだけど……ねえ、奈留。どうして向こうのプレイヤーさんは、何か悟っちゃったみたいなことを言っているんだい?』
ノゥエが疲れた声で聞いてくるが、
「わたしに聞かないでよ。まさかここまで超速改心するとは、さすがに思っちゃいなかったもの」
奈留の返事もまた、げっそり疲れたものだった。
二人が気の利いたことのひとつも言えないでいるうちに、白雪は深々と腰を折って一礼すると、帰還石を使って街へと帰っていった。
急にしんとした地底湖の畔で、奈留が口を開く。
「わたしも疲れたし、そろそろ帰らない?」
『あ、そうだね。ボスが再出現する前に戻ろうか』
「街に戻ったら、今夜はそこで解散にしていいわよね。もう終業時刻まで、そんなにないんだし」
『いや、それは却下』
「なんで!?」
『戻ったら、買い物に付き合ってらうよ。決闘に勝ったら、紐でも透け透けでも何でも着てくれるって、約束してくれたよね』
「……え、何のことかしらぁ?」
『ぶりっこしても駄目だよ。というか、ちょっと気色悪いから止めたほうがいいと思うな』
「何ですってぇ!?」
奈留は目尻を吊り上げて怒鳴るが、身体のほうは勝手に動いて、手の中に帰還石を実体化させている。
『さあ、戻るよ。戻ったら自室でカタログチェックだ。じつは以前から気になっていた装備が、いくつかあるんだよね。手持ちのお金で全部買えるかなぁ。安値の出物があるといいんだけど』
「え、ちょっとやだ……なんであんた、そんなにノリノリなのよ……きもっ!」
『きもい? それは聞いたことのない言葉だな。スラングというやつかい?』
「エッチ、変態、すけべって非難してんのよ!」
『それは誤解だ。ぼくが興味を持っているのは呪い装備の運用についてだ。そのことと、呪い装備の多くが、たまたま扇情的な見た目をしていることに因果関係はないからね』
「はいはい。男はみんな、そう言うのよね。大丈夫、俺に下心はないよ……って!」
『へぇ、きみにもそういうことを言ってくれる異性がいたんだね』
「過去形で言うな! いまだって、本気を出せば男の一匹や二匹や十匹、余裕で引っかけられるんだから! っつか、いまがまさに女盛りど真ん中だっつの!」
『はいはい、分かった分かった。話は後で聞くよ』
ノゥエは生返事しながら帰還石を使用した。
その後……奈留は結局、朝までノゥエに付き合わされた。ノゥエはもう眠いとごねる奈留に残業代を支払い、翌日を丸々休みにすることまで約束して、際どい見た目の装備を何着も何着も試着させまくったのだった。
◆
初めての決闘から一週間ほど経ったある日――。
「きゃああっ!!」
高い青空に見下ろされた緑の丘陵に、奈留の悲鳴が高らかに響く。だがべつに、敵性体から攻撃を受けたりしたわけではない。むしろその逆に、熊の姿をした敵性体に強烈な蹴り技を叩き込んだところだった。
『おいおい、変な声を出さないでくれよ。こっちがびっくりするじゃないか』
「だったら、こんな攻撃させるんじゃないわよ!」
『何を言っているんだ。この蹴り技は、いまみたく距離を詰められたとき対策で覚えた新技じゃないか。いま使わなくて、いつ使うのさ』
「だったら、こんなスカート穿かせるなぁ!!」
声を荒げた奈留の身なりは、遠目にはこれまでとあまり変わらない。ホルターネックのドット柄タンクトップに、肩口のふわっと膨らんだパフスリーブのボレロ。プリーツスカートに左右丈違いのソックスだ。
ただ、スカートの丈だけが十センチは短くなっていた。股下十センチ未満という未体験の世界に、奈留はログインしてからずっと戦々恐々だった。
「こんな、こんなっ……ただ歩いているだけでもヤバいのに、あんなに脚を上げてキックさせるとか……バク宙させるとかああッ!!」
ノゥエが奈留にやらせた蹴り技は、至近距離の標的を蹴った反動でバク宙して飛び退くという、その名も【射出機蹴り】だ。ちょっと走るだけでもお尻が見えてしまうようなスカートでそんな蹴り技を使ったら、もう当然、下着の柄までばっちり丸見えだ。
『いいじゃないか。ここにいるのは熊MOBだ。見られたって構わないだろう』
「あんたが見てるでしょ!」
『それこそ構わないだろう。だって、きみがいま装備している下着を選んだのも、ぼくなんだから』
「言うなあぁッ!!」
絶叫したところで事実は変わらない。
「うっ、うぅ……最悪よ……こんな引き籠もり系男子の選んだ下着をつけさせられるとか……消えたい……うぅっ」
残念ながら、泣いても事実は変わらない。
そんな奈留に、ノゥエはあっけらかんと一言。
『もしかして、柄が気に入らなかったとか?』
「何一つ気に入っとらんわあぁッ!!」
絶叫したり啜り泣いたり忙しすぎて、奈留の喉はもう限界を訴えて掠れかけていた。そして、奈留とノゥエがそんな漫才をしているうちに、気がつけば奈留の周りは熊の群れに取り囲まれていた。
「あ……」
『しまった』
二人して呻いたけれど、後の祭りというやつだった。
すっかり取り囲まれていては蹴り技を出したところで逃げることもできず、寄って集ってぼこぼこにされたのだった。
耐久ゲージを真っ黒にした奈留が倒れると、
『あーあ、死んじゃった』
「死んじゃった……じゃないわよ! 気分良いものじゃないんだからねっ!」
『悪かったよ。でも、きみが戦闘中に喚いて、ぼくの集中を邪魔してきたのが悪いんだからね』
「言い訳!」
『言い訳じゃない。事実だ』
「屁理屈!」
『屁理屈でもない』
……などと、またも漫才を始めようとしていた二人のそばから、攻撃対象を失った熊たちは三々五々に散っていく。
その熊たちの動きが急に変わった。
『あっ』
先に気づいたのはノゥエだった。熊たちが、どすどす重たい足音をさせて駆けていく先には、一人の女性キャラクターが立っていた。
その銀髪は見間違えようがない。白雪だった。ただし――
「装備が変わってる!」
奈留は喜色満面に言った。
白雪の装備は、以前のものから一部が様変わりしていた。厳つい黒金属の腕甲、脚甲に蜘蛛の巣柄のストッキングは以前のままだが、胴部の装備は透けるほど白いミニ丈チャイナドレスから、袖無しの白衣と、右側が踝丈で左側が膝上丈の斜め裾な緋袴という巫女装束風の出で立ちに変わっている。
手にしている得物も、両手持ちのチェーンソー型大剣ではなく、すらりとした片手持ちの槍になっている。そして、空いた逆手には、銀色の丸盾が装備されていた。
だが、奈留が何よりも喜んだのは、彼女の銀髪を禍々しく飾っていた荊の冠が外されて、代わりに金細工の小冠を被っていることだった。
ノゥエが興奮気味に捲し立てる。
『あの槍はたぶん店売り品だけど、盾のほうは“女神の盾”だ。敵からの攻撃を確率で反射する固有能力を持ったA級レアだよ。あの巫女装束セットにも確率でダメージ無効にする固有能力があるし、小冠はたぶん……【常時回復】の固有能力を具えたSレア“戦姫の小冠”だ。前の装備も凄かったけれど、今度のも凄いや!』
その言葉を奈留の耳はほとんど聞き流したけれど、とにかくひとつ分かったことがあった。
「あのトゲトゲの冠を外したということは、もう出血の状態異常でダメージを受け続けなくてもいい、ってことなのよね」
『うん、そうだね。その代わりに【与ダメ吸収】と【怯み無効】もなくなってしまったけど、それを補うために【ダメージ反射】と【ダメージ無効】を揃えたんだろうね。ダメージが発生しなければ怯みも発生しないから、【怯み無効】の劣化版として運用できないこともないからね』
「……ごめん。日本語でお願い」
『彼女の戦い方を見ていれば分かるよ』
ノゥエは溜め息混じりに会話を打ち切った。奈留も余計なことは言わず、熊の群れと戦っている白雪の姿を見つめた。
熊たちは白雪を取り囲み、奈留をぼこぼこにした豪腕振りまわし攻撃を四方八方から浴びせかける。盾で防御できない背面からの攻撃もあったし、そもそも熊の数が多いから、何発かは食らっている。というか、白雪はほとんど防御行動を取らないで攻撃に専念している。どうやら、盾は【ダメージ反射】のためだけに装備しているようだ。
以前と変わらない戦いぶりに見えたけれど、攻撃を食らってからが微妙に変わっていた。
何発かに一発の割合で、ダメージ発生の打撃音ではなく、キィンと硬質な金属音が鳴る。そして、その音がしたとき何回かの一回の割合で、熊の一匹がダメージを受けて怯んだ動作をする。
『ダメージ無効も反射も効果音は同じだから分かりにくいけれど、両方合わせると四割くらいは能力発動しているように見えるね。それだけ被弾率を抑えられれば、【常時回復】の回復量で黒字に出来るというわけか』
ノゥエの解説を、奈留は頭の中で反芻する。
「ええと……えっと……うん。要するに、前みたいにずっとじくじくダメージ受けまくり食らいまくりな戦い方じゃない、ってことでしょ!」
『……まあ、間違ってはいないよ。むしろ、常に耐久値が回復している状態だしね』
「それって気持ちいいのかな?」
『え……いや、そんなことはないと思うけれど……』
「まっ、微妙に痛い感じでいなくちゃらないんでなければ、そこはどうでもいいのよ。それに、戦う巫女さん、って感じで格好良くなったしね!」
『いちおう言っておくけど、彼女と同じ装備は無理だよ。あれを一式揃えるには、いまの資産のざっと十五倍強は必要だからね』
ノゥエは恐々とした声で釘を刺した。
ぷっ、と奈留が吹き出す。
「あっは、何よそれぇ」
『え……ぼく、そんなに笑えるようなことを、いま言った?』
「彼女にブランド品おねだりされた彼氏じゃないんだから、あっはは!」
『……日本語は分かるつもりだったんだけど、ごめん』
口をあんぐり開けて呆れている姿が、見えなくとも見えてくるような口振りだった。
奈留とノゥエの掛け合い漫才が一段落したところで、白雪と熊どもの戦闘も終わりを迎えた。
最後の熊が粉々に砕けて消えたのを見届けると、白雪は槍をくるりと回すようにして背負い、戦闘態勢を解いた。そして、奈留のほうへと近づいていく。
「あの……プレイヤーからの伝言で、起こしてもらいたいか、だそうです」
『そうしてくれると助かる』
ノゥエの答えを、奈留は白雪に伝えた。白雪はすぐに蘇生薬を使って、奈留を蘇生させた。
「ふぅ……ありがとう、白雪さん」
腰を起こした奈留が微笑むと、白雪も戸惑ったように微笑を浮かべた。
「いえ、こちらこそ……ありがとうございました」
そう言って、白雪はぺこりと首肯した。
「……?」
奈留はきょとんとした顔。起こしてもらったのはこちらなのに、どうしてこちらがお礼を言われたのだろうか……と書いてある顔だ。
白雪は返事をしようと息を吸ったが、そこで動きを止めて、誰かに「はい」と返事をすると、改めて奈留に話しかけた。
「ええと……これは前に起こしてもらった借りを返しただけだ。勘違いするなよ!」
奈留にびしりと指を突きつける動作までつけた、いかにも芝居がかった決め台詞だった。
「え、ええと……以上、です」
白雪はそう言って長い睫に縁取られた瞳を恥ずかしげに惑わせると、口早にこう付け加えた。
「あ、あの、これはわたし個人からの伝言ですけど……色々とありがとうございました」
先ほどと同じ、感謝の言葉だ。
「えっと、何をありがとう?」
奈留は今度こそ、声にして聞き返す。
白雪はまた少し視線を惑わせたけれど、思い切って奈留をまっすぐ見据えると、
「わたしのために怒ってくれたこと、わたしとプレイヤーに話し合う切欠をくれたこと……色々全部、本当にありがとうございました。このご恩は忘れません」
そう言って、顎が喉につくまで深々と首肯した。
まさかそこまで改まって感謝されると思っていなかった奈留は、大いに照れてしまった。
「え、あっ、いやぁ……そんな、なんか照れちゃうなぁ。いやぁでも、同じキャラクターをやってる者として義憤に駆られたというか、人として当然のことをしたまでというかぁ……いやぁはっはっはっ」
わざとらしく笑う奈留に、白雪もくすくすと鈴を転がすように笑んだ。が、ほどなくして声を収める。
「ええと、プレイヤーからで……おれたちはもう行く。念を押すが、もう完璧に貸し借りなしだからな! ……です」
白雪はそう言うと、もう一度頭を下げながら奈留に背中を向けて、歩き出した。
奈留は地べたに座ったまま、その背中を見送る。
……と、白雪がふいに足を止めて、奈留のほうに振り返った。
「あの……プレイヤーが絶対に言えと申しますので、お伝えします……」
白雪はおずおずと申し訳なさそうにしながら、奈留を見て言った。
「おまえの新しいパンツ、なかなか良い柄じゃないか。虎縞パンツなんて、ちょっとハイセンスすぎて普通じゃ似合わないだろうってのになぁ……です。すいません……すいません!」
白雪は首から上だけで何度もぺこぺこ謝りながら、今度は足を止めることなく楽しげに駆けていった。
白雪の謝る声だけが、しばらく尾を曳くように聞こえていた。奈留はその声が聞こえなくなるまで、目も口もあんぐり見開かせて固まっていたが、
「こ……こっ……これはっ、わたしの趣味じゃない……ぎっ、ぎにゃああぁ――ッ!!」
怒りのあまり噛み噛みになる絶叫を、緑生い茂る丘陵マップにこだまさせたのだった。
ネトゲのキャラの中の人 了




