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1. 春日奈留、ネトゲのキャラになる

「どうしよう……」

 春日奈留(かすがなる)の、心の底から転び出た一言だった。また、大学の卒業式という晴れがましい一日を締めくくった一言でもあった。

 本当なら、こんなはずではなかった。来月から始まる新人保育士としての新生活に、緊張しながらも胸を躍らせているはずだった。それがどうして、卒業式の打ち上げと称した飲み会で自棄酒をしこたま飲んで帰ってきた挙げ句、服を脱ぐ気力もないままベッドに突っ伏して、明日からの身の上を嘆かなくてはならない羽目になったのか――。

 その理由はじつに明快である。

 彼女の勤めるはずだった幼稚園が、つい三日前に突然、経営会社が倒産したので閉鎖すると発表されたのだった。奈留はそのニュースをネットで知った。

 当然、すぐさま園にも連絡を入れたのだけど、電話に出た教員も混乱していた。

「わたしたちも突然のことで分からないんです。なのに、保護者の方々にはなんとか説明しないといけないし……ああ、詳しいことは園長に聞いてください」

「では、園長の連絡先を教えてもらえますか?」

「わたしたちもずっと連絡してるんです! でも、出ないんです!」

 通話は一方的に切られた。後に残された奈留には、途方に暮れることしかできなかった。

 電話では埒が明かないと思った奈留は翌日、園まで赴いた。自分の扱いがどうなるのか、直に問い質そうという腹積もりだったのだけど、園の門はまだ午前中だというのに固く閉ざされていた。

 背伸びして門越しに園内の様子を窺ってみても人の気配はなく、目に付くものといえば、門の表に張り出された紙一枚きりだ。

 『当園は事情により閉園しました。園児の受け入れ先につきましては、市の窓口等にご相談ください』

 丁寧なだけの無責任な文章を、わたしは何度も読み返した。そこには責任者の名前や連絡先すら書かれていなくて、もちろん、来月から就労する予定になっていた二十歳の女性がどうすれば良いのかについても、どこにも記されてはいなかった。

 その場で携帯から園に電話をかけてみたけれど、呼び出し音が延々鳴り続けるだけだった。

 何の成果もなく帰路に着いた翌日が短大の卒業式で、奈留は呆然としたまま式を終え、はっと我に返った打ち上げ飲み会の席でお酒を浴びるほど飲んで、ひたすら大騒ぎして、朦朧としたまま帰宅したのが日付をとうに跨いだ深夜真っ直中のこと――つまり、いま現在のことだ。

 終電はとっくの昔に終わっている時刻なのだけど、果たしてどうやってアパートの自室まで帰ってきたのか、奈留自身にもさっぱり記憶がない。だけど、そのことを怖いと思う余裕すら、いまの奈留にはないのだった。

「ああぁ……明日からどうしよぉ……」

 シーツに顔を埋めながら呻いてみたけれど、本当はどうするべきなのか、ちゃんと分かっている。

 明日からまた就活をやり直さないと……だ。

 他にも一応、とりあえず実家に逃げ帰る、という選択肢も、ちらりと思い浮かんだのだけど、その思いつきは即座に投げ捨てた。

 そんなことをすれば、母と祖母と叔母の三位一体攻撃にやられてお見合いさせられる羽目になることは火を見るよりも明らかだ。そして、一度でもお見合いしてしまったが最後、済し崩しに結婚させられてしまうこともまた、容易に予想できることだった。奈留の母、祖母、叔母はそういう人々なのだ。

 奈留にはまだ結婚なんて考えられない。だとすれば、残る方法はやはりひとつ――とにかくどこかに就職して、一人暮らしを続けることだけだった。

「いまからじゃ、どこも教員の募集は終わっちゃってるよねぇ。田舎のほうに行けば、まだ募集してるかな……ああでも、そういう地域って、かえって子供が少なくて、新規募集なんてしてないのかも……?」

 シーツにべったりと顔を埋めたまま、奈留はぼそぼそと呟く。

「……こんなことなら、普通の大学に行っとけば良かった。そうしておけば、少なくともあと一年は猶予があったし、就職予定先がいきなり倒産なんてことにもならなかったのに……って、いまさらか」

 奈留は自嘲しながら、のっそりと顔を上げる。シーツに染みついた化粧の痕までもが、奈留には自分を嗤っているかかのように見えた。


 翌日、ぎりぎり昼前に起き出した奈留は、熱いシャワーと熱いコーヒーで目を覚まさせると、朝食もとい昼食を求めて外に出た。冷蔵庫に食材はあったけれど、料理する気力が沸かなかったのだ。

 奈留の部屋はアパートの四階で、一階まで降りるには階段かエレベーターを使うことになる。いつもなら、運動のために階段を使うところなのだけど、今日はそんな元気がない。だから、ボタンを押して呼び寄せたエレベーターに乗り込む。

 定員四名までの小さなエレベーターは、いつものように動き出す。昼前という微妙な時間だけに、誰も途中で乗り込んでくることなく一階に着いた。

 二重扉がゆっくり開いて、奈留はエレベーターを降りる。それは毎日のように繰り返している行為で、扉が開いたから足を踏み出す、という条件反射のようなものだ。だから、奈留がそのことに気づいたのは、エレベーターを降りてから数歩、前に進んでからだった。

「え……」

 唖然として立ち止まる奈留。まん丸く見開かれた目に映るのは、だだっ広い真っ白な部屋だ。学校の体育館くらいはありそうな、何もない長方形の空間だった。そして、部屋の中央には、よく分からないロボットのようなものが一体、仁王立ちして奈留を見下ろしていた。

「……!?」

 奈留は叫び声を上げる暇もあらば、まわれ右してエレベーターに逃げ込もうとする。だけど、背後にあるべきエレベーターの扉は、跡形もなくなっていた。目の前には、床や天井と同じく真っ白い壁があるだけだった。壁には継ぎ目らしきものも見あたらず、そこに扉があったことのほうが嘘のようだった。

「これ、え……どういう……あ、二日酔いで幻覚を見てるとか……あっ、そうか。あたし、まだ寝てるんだ――起きろ! あたし、起きろ!」

 奈留は壁にどんどんと額を打ちつけ始める。だけど、頭蓋骨にずきずきと響く痛みは、これが幻覚でも夢でもない現実なのだということを否応なく訴えていた。奈留がそれでも壁への頭突きを止められないのは、振り返るのが怖いからだ。

 振り返って、まださっきのロボットが立っていたら……いや、さっきよりも近づいてきていたりしたら……。

 ――そう思うと、とても振り向く気になれないのだった。

 だが、それで済むわけがなかった。

「ええ、おほん。そろそろ、こちらに向き直ってもらえないだろうか。いや、急にこんなことになったら驚くのもよく分かる。でも、その辺りの事情説明もしたいから、どうかそろそろ落ち着いて」

 ロボットの声とは思えない、とても自然な青年の声だった。のんびりと気怠げな口調は、ばくばくと早鐘を打っていた奈留の心臓を少しくらいは落ち着かせてくれた。

「……」

 奈留は頭突きを止めると、おそるおそる振り返る。

 ロボットは最初に立っていた位置から一歩も動いていない。それでも奈留はしばらくロボットを凝視して、それがいきなり動き出しそうにないことを確認してから、ようやく疑問を発した。

「いま喋ったのは、あんた……?」

「そうだよ」

 答えは確かに、ロボットのほうから返ってきた。でも、ロボットが喋ったのでないことも、すぐに分かった。

 奈留がそれをロボットだと思ったのは、ずんぐりした球体から両手と両足が生えているという見た目だったからだ。球体の大きさはロープウェイのゴンドラほどで、上半分が透明なガラス状になっている。ざっくり言えば、特大のカプセルトイだ。硬貨を入れてレバーをがちゃがちゃ回すと出てくる、上半分が透明で下半分が色つきのカプセルというアレだ。

 でも重要なのは、そこではない。重要なのは、この特大カプセルトイのなかに人間が入っているということだった。

 大きめのTシャツに草臥れたジーンズという身なりをした、痩せぎすで、撫で肩で、黒髪をぞろっと伸ばしっぱなしにしている青年だった。

「え、ええと……」

 奈留は冷静になろうと必死に勤めながら、ともかく言葉を紡ぐ。少しでも黙ろうものなら、思考がパンクする自信があった。

「あんた、そのロボット? ロボットなの? よく分かんないけど、なんでそんなもののなかに閉じ込められているの? ……というか、ここはどこ? あたし、普通にエレベーターから降りただけだったよね? 何も変なボタンとか押してなかったよね? ねぇ!?」

「まあまあ、落ち着いて」

 カプセルのなかの青年は、どこか億劫そうな口調でそう言ってくる。その言い方に、奈留の内心で膨らんでいた動揺と恐怖は、苛立ちへと性質を変えた。

「……何よ、その言い方」

 奈留の顔から、すぅっと表情が退いていく。目が座っていて、怒りの沸点が閾値を超えたことは明白だったけれど、睨まれている青年のほうは、不思議そうに小首を傾げたりしている。

「言い方? ぼくの言い方に何か問題があっただろうか?」

 きょとんとしている顔からは、相手の動揺をこれっぽっちも慮らない自分の言動が奈留の怒りに火を点けたのだということを、毛ほども理解していないことを物語っていた。

「いちおう確認するけど、わたしをこんなところに連れ込んだのは、あなた……なのよね?」

「うん、そうだよ」

 しれっと頷いた青年に、奈留の脳内に血管のぷちっと千切れる音が響いた。

「うんそうだよ、じゃなああぁいッ!! あんたが何者か知らないけど、こんなことが許されると思っているわけ!? 」

 その一喝に、青年は拍子抜けするほど簡単におたおたし始める。

「え、えっ……あ、ぅ……でも、あなたに今日の予定が何もないことは事前に調査済みでしたし、というかお仕事がなくなって困っていることも知っていますし、だからいまが丁度良いタイミングかなと思ったんですけど……」

「ぐだぐだ言う前に謝罪は!?」

「あ、え、いや……まあ、うん……すいません」

「……チッ」

 もにょもにょと口籠もりながら謝った青年に、奈留は唇の片端をひくつかせて舌打ちした。でもとにかく、言いたいことを言い切ったことで、奈留の怒りも少しは落ち着いたようだった。

「それで……あなた、結局、何者? 宇宙人? 未来人? ここは何なの? わたし、いまどこにいるの? どういう状況なの?」

 怒りが収まってくれば、混乱と怯え、そして最初の疑問が戻ってくる。

「だから、それを説明しようとしていたのに、きみが邪魔するから……」

 青年は不満げに唇を尖らせたけれど、溜息をひとつ挟むと、改めて説明を始めた。

「まずはぼく自身のことだけど、ぼくは端的に言えば異世界人だ。並行世界の住人とか、別次元の地球的な惑星の人間とか、まあそんな感じに認識してくれて構わない。で、そんなぼくたち異世界人は、きみたちよりも遥かに進んだ技術を有している。ぼくが乗っているこのアイソレーターを見てくれれば、理解してもらうえると思うけれど」

「アイソレーター? その、きみが入っているカプセルのこと?」

 奈留は、青年が入っている手足付きのカプセルを顎で指しながら問う。

「そういうこと。このなかに入っていれば、外で災害や戦争が起きても生存可能という優れものだ。空気や食事も自給できるし、身体の清潔も保ってくれる」

「トイレは? 運動不足は?」

 奈留の素朴な疑問に、青年はカプセルのなかで偉そうにふんぞり返る。

「精製される食事は百パーセント栄養だけだから、身体に全部吸収されて排泄されない。筋肉も適度に電気刺激されているから衰えることはない。それに、外部との通信もこの通りだ。万能にして万全なのだよ、このアイソレーターは!」

 カプセルの中で両手を広げて悦に入っている青年を見ていると、奈留の口からは自然と溜息が落ちた。

(なんだかもう、怒るのも怖がるのも馬鹿らしい……)

 という気持ちになるのだった。

 青年は奈留が呆れているのに気づいたふうもなく、滔々とアイソレーターの自慢を続けている。

「ぼくたちの文明は時空間を掌握するにまで至ったわけだが、それは人と人との繋がりを決定的に断絶せしめた。物理的な意味でも、精神的な意味でも、生存的な意味でも、だ。時間も空間も個人の自由にできるようになったことの不可避的代償というやつだ。人は一人では生きていけない、という格言がぼくの世界にあったのだけど、ぼくたちは実際にその格言通りの最後を迎えかねない危機に立たされたそうだ。でも、ぼくたちの先達はアイソレーターの発明という手段で、その格言をひっくり返してみせた。おかげでこうして、ぼくたちは集団すなわちコンプレックスから解放された自由すなわちスタンドアローンでいられるという個性を、生存の危機に脅かされることなく享受できているというわけだ」

「要するに、あんたたち異世界人はみんな、そのカプセルに引き籠もっているってわけね」

 青年の並べ立てたご託を、奈留は引き籠もりの一言で切って捨てた。

「……否定はしない」

「科学の行き着く先が引き籠もりの量産というのは、夢がなくて嫌ね」

「それは、きみたちがまだ前時代的な技術と価値観しか持ち合わせていないからだよ。あと数百年か数千年もすれば、この素晴らしさが理解できるようになると思うよ」

「あと数十年生きているのが精一杯ですけどね、わたしは」

 あくまで淡々と受け答えする奈留に、青年も少しばかり鼻白む。

「……きみ、わりと落ち着いているよね。ぼくがマニュアルで読んでいたのだと、このブリーフィングルームに招かれた現地人はもっと慌てるものらしいんだけど。気絶するのも希じゃないらしいよ」

「わたしだって、さっきちゃんと驚いたじゃない。というか、いまも驚いている最中なんですけど」

「いやいや、この状況で普通に会話が成立しているのは、マニュアルによると非常に希な事例らしいよ」

「それ、褒められている? それとも馬鹿にされている? っていうか、さっきから言っている、そのマニュアルというのは何よ?」

「現地人との接触を持つときのノウハウをまとめたマニュアル本」

「そんなものがあるのね……」

 奈留は口をあんぐり呆れ顔で呻いてから、はたと眉を顰めた。

「って、そんなマニュアルが出来るくらい、あんたたち異世界人とやらは、わたしたち地球人を頻繁に誘拐しているの?」

「誘拐というのは人聞きが悪いな。招待と言ってくれよ」

「相手の同意を得ようともせず強制的に招待することを、拉致とか誘拐とか言うと思うのだけど、あんたの世界では違うのかしら?」

「……招待の方法が強引だったことは認めよう。でも、ぼくがきみたち現地人より遥かに進んだ文明世界の人間であることを理解してもらうには、この方法が最もスマートだったとは思わないかな?」

「論点のすり替えね。わたしは結果の話じゃなくて、手段の話をしているの」

「手段に問題があったことは認めよう。謝罪しよう。でも、きみのその言い方は、結果については認めているという意味だよね。この手段を取ったことで、きみはぼくがどういう人間であるかをよく理解できたということだよね」

 青年は口角をにやっと持ち上げて、嫌味ったらしく言う。奈留も言い返そうと息を吸ったのだけど、すんでのところで嫌味合戦よりも大事なことを思い出した。

「そんなことより、わたしは一体どういう理由で、こんなところに拉致されたわけ?」

「あ、そうだよ。こんな無駄話をするために呼んだんじゃないんだった」

 青年は、んっ、と咳払いを挟んで続ける。

「ええ……さっきも言ったけれど、ぼくたちは基本的に一個人で完結した生活を送ることが出来る。でも、それじゃつまらないから、色々なことで他者と関わっている」

 そこで言葉を切って、青年は奈留を見る。

 ぼくの言わんとするところを理解できるかい、と問いかける目だ。

「……他人と関わる必要はないけれど、他人と関わっていないのは嫌だ?」

 そう答えた奈留に、青年は痩けた頬にうっすら笑窪を作って苦笑する。

「当たらずも遠からず、かな。面倒のない範囲で他人と関わりを持つのは楽しいものである、という認識かな」

「細かいニュアンスはどうでもいいわよ。要するにあんたは、他人と関わりたいからという理由で、わたしを攫ってきたわけね。信じらんない! 馬鹿じゃない!?」

 奈留は両手で胸元を庇うようにして眦を吊り上げる。

「早とちりしないでくれよ」

 青年はカプセルの中で肩をすくめて、苦笑を深める。

「それも、当たらずとも遠からず、な答えだね。でも、ひとつひとつ答えるのはかえって面倒だから、まずはぼくの話を最後まで聞いてほしい。いいかな?」

「……分かった」

 奈留が頷くと、青年も小さく頷き返してから話を再開させた。

「ええと、さっきどこまで話したっけ……ああ、そうか。他人との関わり方について、だったね。まあ端的に、きみたちの概念に即して一言で言うと――ネットゲームだ」

「は?」

 黙って聞いているつもりだったけれど、奈留はついつい口を挟んでしまった。

「ネットゲームって……はぁ? あんたたちにとって、他人との関わり(イコール)ネットゲームだっていうの?」

「そういうこと。だって考えてもみてくれ。ぼくたちは生活における必要上の理由で、他人と関わる必然性がない。つまり、他人と関わる理由は純粋に、遊びや楽しみのためでしかありえないんだ」

「ううん……分かるような、分からないような……」

「付け加えて言わせてもらうなら、ネットゲームと言っても、きみたちの知っているそれとは大きく違っている。不特定多数の人間がひとつの世界で遊ぶ、という根底の概念は同じだけど、それ以外は別物だと言っていいね」

「ああ、知ってる知ってる。あれでしょ、仮想現実とかメタバースとか、ゲーム世界を実際にプレイヤー自身が歩けたりするんでしょ」

 奈留は、はいはい、と呆れたような顔をしたが、青年はきょとんと首を傾げた後、肩を揺らして苦笑した。

「そういうタイプのネトゲも昔はあったっぽいけれど、いまは違うよ。普通にゲームキャラを操作して遊ぶのが主流だ」

「あら、そうなんだ。進んだ文明とか言うわりに、わりと普通なのね」

 ちょっぴり残念そうにそう言ったところで、奈留はまた、ふと訝しげに眉根を寄せた。

「でも、そのネットゲームと、わたしと……何の関係があるの?」

「良い質問だね」

 青年はカプセルの中で満足げに笑うと、少々芝居がかった仕草で片手の人差し指をぴんと立てた。

「ぼくがネットゲームをするために、どうしてきみの協力が必要になるのか――」

 わざとらしく間延びした言い方をしながら、にやにやと得意げな顔で奈留を見る。

「早く言え」

 奈留は苛立った顔で舌打ち。

 もっと興味に満ちた反応を期待していた青年は、少し鼻白んで空咳を打つ。

「ん、んっ……まあ、あまり勿体つけるほどのことでもないんだけど、つまり、こういうこと。ぼくたちの間でいま一番流行っているネットゲームの操作キャラクターというのは……きみなんだ」

 と言いながら、青年は立てていた人差し指をぴっと前に倒して、奈留を指した。

「……はい?」

 奈留も自分で自分を指差して、目をぱちくりとさせる。そして、錆び付いた歯車のようにぎりぎりと首を傾げた。

「わたしがネットゲームの、操作キャラクター……って、どういう意味よ。さっぱり意味がまるで全然、分からないんだけど……」

「ぼくが今度始めようと思っているネットゲームは、仮想現実ではなく本物の惑星を舞台にしている。そこを歩いたりするキャラも当然、本物の人間だ」

「本物の惑星に本物の人間って、それはもうネットゲームじゃなくて、サバイバルゲームとかスポーツとかでしょ」

「いやいや、等身大ネトゲですよ。だって、本物の人間を自分の操作キャラクターにして遊ぶわけですから」

 ぜか敬語になる青年。そこに突っ込むことも忘れて、奈留は口をあんぐり開けたまま呆然としていた。

「……」

 何か言おうとするように口がかくかく痙攣しているのだけど、顎がかっくり開きっぱなしのままで、疲れた夏場の犬みたいな息遣いしか出てきていない。

 その様子をどう受け止めたのか、青年は変わらぬ調子で説明を始める。

「ゲーム用に改造された惑星に、操作キャラクター役の人間を投入する。キャラ役の人には受信用の情報素子を受け取ってもらって、ぼくがここから操作させてもらう――ほらね、ネットゲームでしょ」

「な……何が“ほらね”で、どのあたりが“ネットゲーム”なのよ……」

 奈留がどうにかこうにか上げたツッコミの声は、弱々しい呻き声にしかなっていない。なぜなら、この時点で既に、青年の言わんとするところに勘づいてしまったからだ。

「ねえ……まさかとは思うんだけど、そのキャラクター役とかいうのを、わたしにやらせようとか思っているんじゃ……ないよね?」

 だが青年の答えは無情にも、

「よく分かったね!」

 だった。

「分かりたくなかったわぁッ!!」

 両手で頭を抱えて叫んだ奈留とは対照的に、青年は嬉しそうな顔だ。

「いやぁ、話が早くて助かるな。じつは、操作キャラになってもらうことをどう説明したものか……と悩んでいたんだよね。だから本当に助かるよ」

「ちょっと待って。その言い方はなんだか不穏なんだけど!?」

「不穏というと?」

「あんた絶対、わたしがもう了承した気になってるでしょ! わたし、そんなのやらないからね! 操作キャラにされるとか絶対、嫌な予感しかしないし!」

「大丈夫だよ。操作キャラになったからといって、死んだり怪我したりするようなことはないから」

「死ぬとか怪我とかいう単語が出てくるだけで、もう不穏すぎなんだけど!?」

「本当に平気だって。実際の人間と惑星を使うといっても、そこはあくまでもゲームだからね。安全第一設計だって。保証するから」

「そんな保証しなくていいから、わたしを帰してよぉ!」

 奈留は再び、背後の何もない壁をどんどん叩いて喚く。

「まあまあ、待ってよ。話は最後まで聞いてくれよ。けして損はさせない……いや、得になることだとも言えるよ」

 青年の言葉に、奈留は壁叩きを止めて、不審げな顔を振り返らせる。

「……得になることって、どういうことよ?」

「春日奈留さん。きみはいま、唐突に仕事を失ってしまった。だから、新しい仕事を探さなくてはいけない――そうだよね?」

 いきなりずばりと言われて、奈留はむっと仏頂面になった。

「そうだけど、それが?」

「ぼくの操作キャラクターになることを仕事にしてみるのはどうかな」

「はぁ!?」

「ぼくたちは、きみたちの社会にもいくつか会社を持っているから、きみには表向き、その会社に勤めてもらう形にしよう。もちろん、きみたちの社会で使用されている通貨を給料として支払うよ。福利厚生だとか何だとかも出来る限り、きみの意に沿うようにしよう。どうだい、悪い話じゃないだろう?」

 青年はにこにこ笑いながら、奈留の返事を待つ。奈留が断るとは、これっぽっちも思っていない顔だ。実際、何となく反発したい気持ちだった奈留も、はたと冷静な顔になる。

「……念のために聞いておくけど、具体的な拘束時間と給料の額は?」

「細かいところは相談に応じるつもりだけど、午後零時から四時まででいったん休憩を入れて、二時間後の午後六時から十時まで――と考えている。それで給料だけど……まあ、このくらいで」

 青年は片手の指を何本か、立ててみせた。それを見た途端、奈留はぎょっと目を丸くする。

「うそ……そんなに!?」

「もちろん、これは基本給。社会保障だとかがお望みなら、ここから天引きさせてもらうけれど、どちらにしても季節ごとにはボーナスも出すよ」

「ボーナス……」

「まあ要するに、この国の標準的な額の給料は確約するよ、ということだ。どうかな、悪い話じゃない……かなり好条件の、とても良い話だと思うんだけどな」

「……」

 奈留は答えない。口を噤み、真剣な顔で思考を働かせている。青年もこれ以上の言葉は重ねず、奈留が答えを出すのを黙って待っている。

 殺風景な白い部屋に落ちた沈黙は、そう長くは続かなかった。

「分かった。やるわ」

 いかにも不承不承といった感じで、奈留が言った。

「よし、契約成立だ。じゃあ、それに署名してくれ」

 透明カプセルの中で青年がキーボードを操作するような仕草をすると、、不透明なカプセル下部の一部が、ちょうど車のダッシュボードみたいに開く。カプセル外部からにょきりと伸びた二本の機械腕(マニピュレーター)が、その中から一枚の紙を取り出して、奈留の前にそっと差し出してきた。

 これは何かしら、と顔を近づける奈留。

 契約書だった。わりと小さめの文字でもって、長い文章がずらりと書き連ねられている。

「長々と書いてあるけれど、いま話したことそのままの内容だよ」

「黙ってて」

 奈留は契約書を両手で引っ掴み、上から下まで熟読し始めた。青年もカプセルの中で肩を竦めただけで、遮ろうとはしない。

 またしばしの間、沈黙が落ちる。今度の沈黙が終わるまでには、たっぷり十分間余りの時間を要した。奈留は文面を三度は見直して、ようやく納得した様子で顔を上げた。

「いいわ、署名する。書くものを貸して」

「はいはい」

 またもカプセル下部のダッシュボードから機械の腕によって取り出された万年筆が、奈留に手渡される。

 万年筆を受け取った奈留は、ふと奇妙そうに眉根を寄せて苦笑した。

「こんなSFじみた機械に乗っているくせに、万年筆なんて古風なものを持っているのね。というか、あなたの世界にも万年筆なんてものがあるのね」

「そりゃ、あるさ。ぼくらもきみらも、人間という生き物である点は同じだし、築いてきた歴史もだいたい同じだもの。ただ、ぼくらの文明のほうが、きみらの文明よりも千年ほど先輩というだけだよ。それに……」

 青年は少し恥ずかしそうに言葉を濁して、笑った。

「万年筆って、なんか格好いいと思わない?」

 奈留の返事は溜息と、

「馬鹿でしょ」

 の一言だった。


 ◆


「ここがゲームの世界……」

 ゲームの舞台である大地に降り立った奈留は、予想していたより遥かに生々しい光景に息を飲まされた。

 足下には柔らかな緑の下草が広がり、ぐるりと見回した先には木立がまばらに茂っている。頭上を見上げてみれば、抜けるような青空に流れる白い雲。時折、鳥が悠々と飛んでいくのも見える。

「って、本当にゲームの中なの? ただの緑地か公園にしか見えないんだけど」

 奈留は訝しげに言いながら、その場にしゃがんで下草を撫でてみる。

「ほら、手触りだって本物の草よ。造花とかじゃなくて、本物の草よね、これ」

『と思うだろ。でも偽物なんだな』

 そう答えた青年の姿はない。声だけが、まるで見えないヘッドホンをしているかのように、奈留の耳元で響く。

 奈留がいま立っている大地は“ゲームの中”だ。プレイヤーとして“外側”にいる青年には、奈留に対してしか干渉することができない。いま話しかけている声だって、基本的に奈留以外の者には聞こえない声だ。

「偽物、ねえ……あっ、それはそうと、この格好は何なの? あなたの趣味?」

 奈留は自分の姿を見下ろして、溜息を吐く。

 ゲーム内世界の登場人物となった奈留は、この世界に転送されたのと同時に、相応しい衣装へとお色直しされていた。

 生成りの袖無しワンピースと、お揃いの長袖ボレロ(シュラグ)。足下は素足に革のサンダル、という簡素な出で立ちだ。

『それは初期装備。ぼくの趣味とか関係なしに、新規登録したキャラクターはみんな同じ格好にさせられるの』

「なんだ、予想通りの答えでつまらないの」

 小憎らしい口振りで言い返した奈留だったが、はっと目つきを険しくさせた。

「あっ……この服に着替えさせられたのは良いわ。でも、じゃあ、わたしがさっきまで着ていた服はどこにいったの? まさか、消えちゃったんじゃないでしょうね!?」

『ああ、違う違う。本当に着替えたわけじゃないよ。着替えたように見えているだけ』

「……?」

『足下の草と同じで、まあ……要するに立体映像(ホログラム)だよ。五感を刺激することで、触ったりすることの出来る凄いホログラムだ――と思ってくれれば良いよ』

「なんだか適当な説明ね」

『詳しく説明するには、きみたちの有する知識が足りなすぎるんだよ。だからざっくりと、拡張現実という奴なんだな、程度に認識していてくれれば問題ないから』

 青年のどこか投げやりな言い草に、奈留は憮然としつつも頷いた。

「わたしの服が消えたんじゃないのなら、まあいいわ。それで、わたしはこれからどうすればいいの?」

『どうもしなくていいよ』

「え?」

『後はぼくが操作するから、身を任せてくれればいいよ、ということ』

 青年が言うが早いか、奈留の背筋をバチッと静電気が駆け抜けた。途端、全身の力が抜けて、奈留は下草の生い茂る大地に顔から倒れ込みそうになった。

 いや、倒れ込むかと錯覚しただけだった。実際には、奈留の身体は静電気が走る前と変わることなく、その場にまっすぐ立っている。

 でも、何かが決定的に違っていた。

「え……やだ……なに、これ……」

 奈留は自分の両足を見下ろして、口をぱくぱくと戦かせる。本当は足を撫でさすりもしたかったのだけど、それはできなかった。首から下の自由が利かなくなっていたのだ。

『安心して。操作権をこっちに切り替えただけだから』

 耳に響いた青年の苦笑に苛立つ余裕もないほど、奈留は困惑していた。

「安心できるか! 操作権とか切り替えとか、何の話よ!?」

『何の話って、そういう契約をさっき交わしたばかりじゃないか。きみはぼくの操作キャラクターなんだから、ぼくがこっちから操作するので当然だろ』

「あ……」

 そういうことね、と奈留も納得した。

「操作キャラクターになるって、きみの指示する通りに動くことなのかと思っていたんだけど……本当にそのままの意味だったのね……」

『あっ、いちおう言っておくけど、もう契約は成立だからね。いまさら、やっぱり止めた、は無しだよ!』

「……わたしに変なポーズを取らせたりしないって約束して」

『約束も何も、ぼくがきみにゲーム進行と著しく関係のない行動を取らせることは契約違反だ。もしもそんなことがあったときは、きみはゲーム管理者(マスター)に訴えることができる――契約書にも書いてあったと思うけど?』

「うん、覚えてる。でも、書いてあるのを読んだだけのときと、実際に身体が動かなくなっている現状とでは、その文章の重要性が全然違うの」

『ゲームのキャラクター役に就職したのだという実感が、いまようやく沸いたというわけですか』

「そういうことです。悪かったわね、察しが悪くて」

 奈留が憮然とした顔をすると、青年も声を正して言った。

『いや、こちらの説明も通り一遍だった。それは素直に謝るよ。さっきは無しだと言ったけれど、身体の自由を奪われるのが気持ち的に無理だというのであれば、辞退してくれても構わない。だから、まずはこのまま、気楽な気持ちで小一時間ほど付き合ってくれないかな。職業体験のつもりでさ』

「職業体験、ね」

 その言葉に、奈留もくすりと笑ってしまった。

「……そうね。乗りかかった船だし、こんな体験、他じゃそうそう出来ないだろうし、とりあえずしばらく付き合ってあげる」

『それは良かった。ありがとう、助かるよ』

「でも、わたしに変なことさせたら、そこで即終了だからね!」

『重々承知しておりますよ』

 姿が見えなくとも、奈留にはその声音だけで、例のカプセルの中で肩をすくめて苦笑している青年の姿が容易に想像できた。

「……あ」

 ふいに声を零した奈留。

『どうしたの?』

「わたし、基本的なことを聞き忘れていたわ」

『……?』

「きみの名前。まだ聞いてなかった。それに、わたしもちゃんと名乗っていなかったよね。まあどうせ、わたしのことは名前から履歴から調査済みなんでしょうけど」

『うん。声をかける前に、その辺はばっちりとね』

 青年ははそう言って少し笑うと、

『ぼくはノゥエ。少し発音しにくいかもしれないけれど、出来れば末永くよろしく』

 冗談めかした挨拶で、奈留の耳をくすぐった。


 春日奈留はこうして、異世界人がやるネットゲームのプレイヤーキャラクターに就職したのだった。

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