ちゃぷたーⅤ オオカミ男、幼女を抱いて鳴く
30分ぐらいたっても全然見つからなくて、雨もどんどん激しくなって肌寒くなってきた。4月の雨はまだちょっと寒くて油断すると風邪を引いてしまいそうだった。
「へ、へ、へくちっ…あと、探してないところって…」
この森の中だよ、ね…。いつも友達との遊び場にしている森は、今は薄暗くておばけが出てきそうな雰囲気だった。でもそんなことも言ってられない。
ゆっくりと森の中に入ると、たくさんの木のおかげで雨がだいぶ遮られていた。傘をさす程じゃなかったのでたたんだ。自然ってすごい。
「あっ」
い、居たー!!!
先の方に黒い物体が不自然に寝転がっているのを見つけた。急いで駆け寄ろうとしたけど、わたしが立てた音に気付いたのか大きな耳をひくつかせて目を開いて起き上り、またあの怖い顔で唸りだしてしまった。は、はううう。怖いよおお。
「ダ、ダイジョウブ。ワ、ワタシハ、アナタノミカター。テキジャ、アーリマセーン…」
安心させるために恐る恐る声をかけたけど、さっきよりも勢いよくグルルルと唸りだし、とうとう吠えられてしまった。や、やっぱりダメかあ…。
でもほとんど体力が残っていないのか、ウルフドッグさんがその場から逃げ出す気配は無かった。この間に大人を呼びに行ければいいんだけど、無理に逃げ出そうとするに決まってる。これ以上無理に体を動かすと命に関わるのだということを思い出して、わたしは距離をとったままその場に座り込むことにした。
「そ、そんな目したって、ここから離れてあげないんだから」
「…」
「お、大人の人がここを見つけるまでずっとここにいるんだから」
「…」
「こ、怖くないもん…」
本当は怖い。いつあの大きな口で噛みつかれてもおかしくないから怖い。でもそれ以上に、またあの雷の中一人歩く方がわたしには怖かった。オオカミでもウルフドッグでも何でもいいから誰かと一緒に居たかった。
雨も雷も全く静まる様子を見せないし、森は薄暗い。その上、お店に戻ってきた達也さんたちがわたしが居ないことを心配している筈だ。そろそろセシルさんも大学の授業が終わってお店にやってくる時間だし。ああ、セシルさんすっごく怒るんだろうなあ。あああ。
ウルフドッグさんの居る気配を感じながら、その場にまただんご虫の様に縮みこまっていると、また大きな雷がどこかで落ちた音がした。びくっと体が震えたのが自分でもわかった。
も、もうちょっとだけ近づいちゃ駄目かなあ…。そろりそろりとウルフドッグさんの方に体を寄せると、またちょっと唸られたので少し近づいたところでまたうずくまった。もうウルフドッグさんよりも雷が怖くて仕方がなかった。
「う、ウルフドッグさん…」
「…」
「も、もうちょっとそっち寄っちゃダメ?」
「…」
「お、お願い! ぜったい触ったりしないから!! と、隣に居てくれるだけでいいのおおお」
じんるいしじょう、犬に土下座した人間はわたしが世界で初めてだと思う。お願いお願いと頼み続けるわたしをウルフドッグさんがちょっと呆れた表情で見ていたのはきっと気のせいじゃないと思う。
もう恥もへったくれもなかった。わたしは溢れそうな涙をぬぐいながらもう少しだけウルフドッグさんとの距離を縮めた。今度はウルフドッグさんが唸ることは無く、黙ったままだった。
そして、握りこぶし一つ分空いた空間を挟んでわたしはウルフドッグさんと隣り合っていた。距離が遠くてさっきまではわからなかったけど、このウルフドッグさんはすごくたくましかった。雷一つ落ちてもビクともしない。さっきまでの暴れん坊とは打って変わって、あまりにも冷めた反応である。わたしとは、ええと、うんでいのさ、だ。
「あ、…あのね」
「…」
「お名前、何て言うの?」
「…」
「どこから来たの? 隣町の動物園? でも、あそこ犬は居なかったよね…。遠いところから来たの?」
「…」
当たり前のことだけど、返事は無い。返事が帰ってきたらそれはそれでビックリだけど。わたしはもうこのウルフドッグさんがちっとも怖くなかった。それどころか、この、ききてきじょうきょうを友にすることでわたしのなかで変な親近感が芽生えていた。
「わたしね、真綾って名前なんだ。お母さんがつけてくれた大事なお名前なの」
「…」
「皆はわたしのこと、まーやって呼ぶよ。ウルフドッグさんもわたしのこと好きに呼んでね!」
「…」
「ねえねえ、寒くない? …あっ! わたしのレインコート貸してあげる!」
わたしはレインコートを脱いで隣のウルフドッグさんにかけてあげた。ウルフドッグさんはそれにちょっとビックリしてたけど、抵抗はしなくて、もう好きにしてくれって言いたげな顔をしてた。それがちょっと嬉しくて、にやにやしてると、変なものを見る目をされた。はう。
「あ、あのね、それで」
返事のない会話を続けようとしたわたしに突然襲い掛かったのは、やっぱり雷だった。ごろごろと空が唸りをあげたと思うと、これまで以上にお腹に響く音を立ててこの森の近くに落ちた。解けかけていた緊張のせいか、もうわたしは我慢の限界だった。
「は、はううううう!!!」
「!!?」
「もう無理だよおお、ふ、ふえええん怖いよおおふえええ」
もうなりふり構わずわたしは泣きわめいた。ウルフドッグさんからしたら笑ったり泣いたり何だこいつと思っただろう。でも、わたしにももうどうしようもなかった。耳と目をふさいでまただんご虫になっていた。
「うっ…ひっく…ふええん」
「…」
「こわい…よお…えええ」
泣き続けていたわたしは、何かふわふわとしたものが体にひっついたのに気づいた。そっと顔をあげると、ウルフドッグさんがわたしにぴったりとくっついてくれていた。荒々しい毛並みだけれど、もふもふと、そして暖かい体にわたしは心の中があったかくなっていくのを感じた。クーンと鳴きながら長い舌を出してペロペロと涙と鼻水だらけの顔を舐めてくれているのはまるでわたしを慰めてくれている様だった。あ、味見じゃないよね…。
そして再び近くに落ちた雷の音に驚いて、わたしは思わずウルフドッグさんの首に手を回して思い切り抱きついてしまった。触らないって言ったのにごめんねと謝るけれどウルフドッグさんもわたしの肩に顔をうずめてわたしを振り払うことはなかった。
優しいんだなあ…。傷が痛い筈なのに…。
そうして雷が鳴りやむまで、わたしたちはずっと抱き合っていた。わたしはあれからもやっぱり泣いてしまって、そのせいか少し眠たくなって、目が閉じそうになってしまっていた。
それにしても、ウルフドッグさん、なんかもふもふじゃない。なんだか、わたしを優しく抱きしめてくれる腕もにんげんみたいになっちゃって…。
そういえば、あの絵本の女の子は傷ついたオオカミに何て言ったんだっけ…。ああ、そうだ。
「ウルフドッグさん…」
「…」
「わたしと、おともだちに、なりましょ…」
そう言ってわたしは暖かくて安心できる腕の中で、完全に眠りの世界へと旅立ってしまった。
眠りに落ちる寸前、わたしの頬に上から落ちてきた湿ったものは、雨に似た何かだった気がする。
「友達になろう」
狼は、幼女の言葉にとても驚きました。
今まで、狼に「友達になろう」などと声をかけたものはいません。
いつもオオカミに投げかけられるのは意地悪な言葉と、とても痛い暴力ばかりでした。
幼女はひどく変わった子どもでした。
けれど、とても暖かい子どもでした。
狼は生まれて初めて、喜びの涙を流したのです。




