青い世界の小波(さざなみ)
遅くなりました。申し訳ございません。
和白から提示された条件は全部で3つだった。
1つ目はクロエの生活費はカケル持ちだということ。士官候補生であるカケルは多少の収入があり、今回のGPDの運用実験のボーナスもある。生活を少し切り詰めれば1人ぐらいならしばらくは養える。
2つ目はクロエの存在が同盟に知られたら和白は容赦なく彼女を差し出すというものだった。カケルをつい甘やかしてしまう和白でもそのあたりの線引きはしっかりとしていた。カケルもこの条件には納得した。直方の船員や鈴香たちにはあまり迷惑をかけたくない。
ここまでの条件はそれほど大した問題ではなかった。だが、3つ目の条件がカケルを悩ませ、そのことで頭が一杯になる。
その3つ目の条件というのは――
「大丈夫か、カケル」
目の前にいる鈴香を説得するというものだった。
赤道付近を航行中のため、艦内はクーラがよく効いていた。冷え性の鈴香は管理職を務める船員に支給される金の刺繍が入ったコートを羽織っていた。
鈴香の声にカケルはハッとなる。カタカタと忙しないキーボードを弾く音、無線でパイロットたちに指示を出す管制官の声が身を包む。今、彼がいるのは九州船団の管制艦霧島だった。部屋の中央にある大きなテーブル状のスクリーンには周辺の海図が表示されている。その上で他船団や自軍機を示す白いマーカが表示されていた。
鈴香はこの霧島内に設けられた管制室の室長を務めていた。
鈴香のデスクの上を見ると風見鶏が長いコードで彼女のパソコンに繋がれていた。風見鶏はこちらを見つめ90度首をかしげる。目線をずらせば鈴香も心配そうに首をかしげていた。カケルは慌てて、
「大丈夫。ちょっと長距離飛行で疲れただけだ」
ととっさに嘘をつく。
(鈴香にクロエのことなんか言えるわけがない)
笑みを浮かべてみせるが鈴香は疑っているのかこちらの顔を覗き込み、右手をカケルの額に当てた。そしてもう一方の手を自分の額に当てる。クーラで冷え性気味の鈴香の手はすっかり冷たくなっていたので、知恵熱気味だったカケルの額を優しく冷やす。
(冷たくて気持ちいい)
歳が1つ上である鈴香は、自分の方がお姉さんだと、小さい頃から風邪をひくたびに、よくこうやって手を当ててくれた。
(小さい頃からこいつとは一緒だ)
いつも鈴香は自分を心配してくれる。両親がいなくなってからは、さらに自分のことをこうして気にかけてくれる。鈴香とても優しい。彼女ならきっとクロエのことを話しても……。
「少し熱っぽいな。風でも引いたか?」
鈴香の声にカケルは自分の甘い考えを頭から振り払う。鈴香の手をそっと握り、自分の額から離した。
和白から出された3つ目の条件はただ鈴香を説得すればいいというものではない。鈴香を、そしてその父を説得できるだけのクロエを匿う理由を見つけろ、というものだった。
クロエがどんなにかわいそうだろうと、下手をすれば直方どころか九州船団、さらには日本大船団を危うくする。自分たちだけでは対処できないと考えた和白は鈴香の父、姫路源也の説得をカケルに要求した。少しでも船団長との交渉を有利にするためにまずは鈴香を説得しようとしている次第である。
和白に言わせてみれば、船団長を説得できる理由も見つけられないようなクロエは本当に危険な存在で、船団の仲間に危害を及ぼす存在、らしい。クロエ1人のために家族同然の仲間を危険には晒せない。理由を探している間は直方で匿うが、説得に失敗、または説得できる理由がなければ即クロエを引き渡す。
これが和白のカケルにある程度譲歩しつつも冷静に考えた末に出した3つ目の条件だ。
鈴香なら理由がなくてもクロエを匿ってくれるかもしれない。もしかしたら一緒に説得できる理由や打開策を考えてくれるかもしれない。でも、彼女は船団長の娘であり、それなりのポストにもついている。きっと話せば鈴香を困らせる。下手をしたら彼女の立場を危うくしてしまうかもしれない。鈴香を大切に思っているからこそ、容易に彼女の優しさには甘えられない。
それに鈴香の優しさに甘えることは言わば裏技であり、和白が出した3つ目の条件の真意を無視することになる。
しっかりとした理由を見つけてから鈴香を説得したい。
(やっぱりまだクロエのことを話すのは早い)
カケルは笑みを浮かべる。今度こそは鈴香に疑われないように。
「大丈夫。本当にただ疲れただけだから」
その力強い声に鈴香はそれ以上疑うことはしなかった。2人の間に流れた沈黙が流れた。気まずい雰囲気をどうにかすべく、カケルは鈴香に質問した。
「それにしても、どうして今日、俺は直接ここに呼び出されたんだ。普段なら研究局や姫のところにデータを送るだけだったじゃないか」
「ああ、そのことなんがな――」
鈴香はデスクの引き出しから1枚の紙を取り出し、内容を確認しながら言葉を続ける。
「中央が変なことを聞いてきたんだ」
「変なこと?」
「お前が帝国機2機と遭遇した時に、別の帝国機がいなかったかって」
自分の心臓が激しく脈打つ。クロエのことだ。同盟はクロエを既に探し始めている。冷たい汗が吹き出た。
みるみるするうちに顔が青ざめていくカケルを見て、鈴香は慌てて声をかけた。
「カケル大丈夫か?」
カケルは咳払いをする。
「ごほっ、ごほっ。あれー、やっぱり、風邪気味かもしれない。データのコピーは終わったよな。俺は早く帰って寝ることにするよ」
風見鶏からコードを抜き、カケルは風見鶏を抱えた。苦し紛れに出た嘘を鈴香は信じ、心配そうに言う。
「やっぱりそうじゃないか。早く帰って休め。なんならこれから私が看――」
カケルは鈴香の言葉を最後まで聞かずに、逃げるように管制室を出た。
新型GPDのデータを鈴香に渡したカケルは急いで直方にある自室へと足を運んだ。そこにはクロエがいた。
慌てて部屋に入ってきたカケルに驚くクロエは目を丸くする。
「カケルさん、どうしたんですか?」
「大変だ」
カケルは手短にクロエにさっきの出来事を話す。クロエはやっぱりといった顔をする。
「どうやら同盟側のスパイに私の亡命がバレたみたいですね」
カケルは腕を組み考え込む。時間は刻一刻と失われている。どうにかして早く鈴香たちを説得できる理由を探さなければ。
クロエも考え込み、沈黙が流れる。
その時、沈黙を破るように和白の慌てる声が聞こえる。
「待ってください、鈴香様」
「なぜ、カケルに会ってはないんだ」
鈴香だ。多分、カケルのことを心配して見舞いに来たのだろうか。2人が言い争う声が近づく。カケルはクロエをどこかに隠そうとするがもう手遅れだった。開いた扉から顔を覗かせる鈴香と目線が合う。
遅くなって申し訳ございません。
少し、言い訳をいたします。
自分がこの作品の第一話を書いたのは今から二年前。気まぐれで再開したのですが、ついこの間、この作品の今後の流れや設定をまとめたノートを押し入れの中から発見しました。結構忘れている設定や展開があったので、構成を練り直していました。申し訳ございません(まあ、たしかに少しエタっていた……)
とにかく今後も頑張って書きます。ちゃんと完結はさせるのでご安心を。
あと、設定ノートには衝撃の事実がありました。書いていながら自分でもなんで風見カケルの「カケル」の部分がカタカナなのか疑問に思っていました。二年前の自分はちゃんと裏設定を考えていたようで、カケルの父親は実はカケルがまだお腹の中にいた時に出撃してそのまま行方不明になったそうで、カケル母が出撃する直前に子供の名前をどうするかを聞き、カケル父が「カケル」と命名しそのまま帰らぬ人に……。しかし、その時カケル父はカケルの字が駆なのか翔なのか、言わずに行ってしまったので、どっちかわからず、困ったカケル母はカタカナ表記にしたらしい。
そこまで設定してたのかと二年前の自分に感心しつつ、前話を見ると、カケルの父親が死んだのは5年前と適当に書いていた二年後の自分が……。
カケルは翔です。
それでは、次回24日頃になります