チェシャー猫がニヤニヤ笑うまで
※これ以上ないほど注意。
俺の『初めて』はいつだったか。『初めて』は、確かJに『やってみろ』と言われたからヤッたのだ。
あれは腕試しだった。Jは、俺を試したんだと思う。そして、俺は幸いにも『初めて』を楽しく見事に遂行できた。俺には『それ』の資質があった。
相手はなんだったか? ああ、そうだ猫だ。二度目は、実験用ラットの処分としてやった。最初が猫で、次がネズミだなんて、順番があべこべだと思う。
俺はJにとって、弟子だった。俺はアリスと一番に一緒にいるから、いろんなこと(知識や研究、ようするにお勉強)を学んでいたのだ。いや、いや……これもあべこべか。俺は、『アリスと一緒にいたから』ではなくて、『アリスと一緒にいるために』、知識を与えられたのだ。
アリスと俺は、許嫁どうしだった。Jは死ぬ。いつかじゃなくて、アリスに今。
Jはアリスの手で自分が死ぬなんて思っていなかっただろう。けれど、未来に自分は死ぬってことはわかっていたはずだ。Jは基本的に天才だった。アリスはもちろん、それ以上の天才だったわけだけど、Jは、とっさに『何か』あった時、俺にJの代わりを務めさせるつもりで、色々教え込んだに違いない。
ついでに、Jにもできないことを俺にやらせるために。
俺が出来るのは、大まかに3つ。
『アリスと一緒にいること』
『医者になるためのお勉強』
そして、『人殺し』。
これは全部、『特別』なアリスを守るために、保護するために、必要なものだ。
けれどJは人殺しは出来ない。あの枯れ木の様な体では、とっさに身を挺してアリスを守ることにも、役不足だった。
だから、俺が出来るようにされたのだ。アリスの伴侶になるために。
俺にとってのものを一般的に置き換えると、殺しは『遊び』で、アリスと一緒にいることは『日常』だ。飯を食うのと同じこと。眠るのと同じこと。アリスと離れることはできない。
『殺し』は、人でいうタバコやネットサーフィン。無くてもいいけど、やらなきゃ困るし禁断症状。やれば何より楽しいこと。
『初めて』の時、俺はとても小さかった。けれどそれが楽しくて、思春期手前で知識のある今ならわかるけれど、『殺し』は淫欲の感覚に似た快楽があった。麻薬とかの快楽も、似たものがあるのかもしれない。
こればかりは経験が無いのだけれど、殺しをやめたら、俺は酒やらたばこやら薬やらの方に行くんだろうなぁ、なんて思うので、余計にやめるわけにはいかない。何事も体が資本だ。薬漬けになって、アリスと離れなきゃいけないことになったら、困るどころじゃない。死んでしまう。
Jのことは、一度だって親とも家族とも思ったことは無かった。しかし、アリスの『保護者』だ。従わなければいけない人だった。
俺はアリスに自分の趣味を隠した。アリスは俺にとって、何があっても殺しちゃいけない人だ。俺は毎日身に染みて実感していたけれど、アリスはそれを知ったらいい気はしないだろう。怖がるかもしれない。
露見したのは10歳の時。Jがアリスに見せた。
俺は知らなかった。血も見たことが無いアリスは、研究所の地下にあるコンクリート壁のホール、通称研究室で、腸を覗いてニヤニヤしていた血みどろの俺を見て卒倒し、吐いて、三日も飲まず食わずで寝込んでしまった。
けれど、アリスは三日目に不意にすっきりと起き出すと、俺のところに来て言ったのだ。
「楽しいことは隠しちゃいけないのよ。みんなで共有しなきゃ」
アリスがJを殺すと宣言したのも、すぐそのあとだった。
ついでに俺が、もともと俺の凶器であるナイフと共に、毒を併用しだしたのも同時期だった。さらについでに、毒で苦しめる/拷問して殺す/嬲って消耗させて殺す、というもろもろの行為に、俺がハマったのも同じ頃だった。
幸いなことに、俺はアリスに血を見せないための新しい凶器が気に入ったのだった。
QとKの二重人格双子と、白ウサギのチビを連れてきた名目は、俺の研究対象ってことだった。Jへの言い訳は、それで十分通用した。
ちょっとした好奇心が湧いた。研究所の研究対象だったガキだ。ちょっと性能をためすつもりで、アリスに許可を取って本当に実験したのだが、俺はちょっと後悔した。
言い訳をするなら、「俺が『初めて』やった時もこれくらだったなぁ」、と奴らを見ていて思ったので。
やらせてみると、白ウサギは淡々と、Kは泣いた。泣きながらやりとげたので、『普通ではない』ということは分かった。そもそも『やりたくない』とか言わないのだ。興味はあるのである。そして、やってみたら達成感、満足感を、確かに感じているのである。つまり異常者に変わりは無い。
しかしQだ。Qがヤバかった。
破壊、蹂躙、嬲って、遊んで、口にもしていた気がする。
無邪気というか、邪気しかないというか。もともと怪力があるので、場は凄惨だった。遊び場として提供したあの研究所地下のコンクリートしかない研究室は、一面、壁も床も天井すらも変色したくらいだった。
俺はQの本能的欲求の様なものを醒ましてしまったらしい。
Qは立派な、快楽殺人鬼だった。トップクラスのキチガイだ。
俺にとっての殺しが『娯楽』だとすれば、アリスと一緒にいることが『食事』と同じだとすれば、Qはあべこべだった。
殺しは『食事』で、アリスと一緒にいることが『娯楽』に近いものなのだ。
人間は食事が言わずもなが必要で、けれど娯楽が無いと生きられず。
アリスは予想していたようだった。「あらそう、楽しいことが見つかってよかったわ」と、姉の気持ちで喜んでいた。
着々と、Jを殺す準備は進む。