帽子屋がお茶会に招かれるまで
そもそもの始まりは、俺が19歳で学校を卒業した後に就職に失敗して、叔父さんのツテで『F』に来ることになることからだ。
兄弟の多い俺は、『F』はおもちゃや子供服の会社、という印象が強くて、パンフレットで『製薬』の文字を見たときはかなり驚く羽目になった。パンフレットの上にデカデカと掲げられた『すべての未来の夢のために』のキャッチフレーズは好印象。
ただなぜ叔父さんにこんな大企業へのツテがあるのか、ということだけが解せなくて、うすら寒かったことだけは覚えている。
ぶっちゃけ叔父さんは碌な大人ではない。明るくて人当たりのいい人なのだけれど、実のところ職業は『マ』から始まり、『フィ』を挟んで『ア』で終わるあの職業の重役で、その気の良さをフルに使ってクラゲの様に生きている、そんな人だった。
そんな叔父さんの紹介なもんだから、もしかしたらこのクリーンに見える会社も…なんて思ってしまうのだ。
悪い人ではないので、なんでそんなアクドイ職業に就いているのかは不明だ。
『F』のビルは、森のある広い敷地に天突く塔の様に立っていた。
忙しいオーナーの別宅も同じ敷地内にあって、一年のほとんどをこの別宅で過ごすのだという。
ビルのエントランスはやたらとゴージャスで、俺はあまりの場違いに委縮した。なにせこちらは、ジーンズにシャツだ。『ラフな格好の方がいい』と言ったのは叔父さんである。
正面ホールは吹き抜けになっていて、ビルの地下一階から、五階まで卵型にくり抜かれて、ドーム型の天井は鏡が貼り付けれている。豪奢なイースターエッグの内部を模されていた。
階段は華奢ならせん状、両脇にエレベーターはガラス張りでシースルー。
さすがはブランドのある大企業だ。玩具の様な景観に、金があるのだなぁというのが第一印象だった。
しかし不思議に思ったのは、この場に人気というものが一切無いことだ。しんとしていて、自分とエアコンの動作音しか聞こえない始末。いやぁ、な予感が背中を寒くした。
俺にはもう、後が無い。地元での就職は絶望的だし、本当は自分のプライドとして身内を頼りたくなんてなかった。
『ご先祖様は昔爵位を持った貴族だった』なんて話も親父から聞いたことはあるが、今は大家族のしがない紅茶屋。後に控えた妹たちのためにも食いぶちは少なく、稼ぎ手は多いほうがいいに決まっている。
日を間違えただろうか。背負っていたサックを漁って手帳を見たが、きちんとこの日のこの時間を記帳してあった。
「誰かいらっしゃいませんかー」
ホールを進んで、エレベーター横の案内板を見る。もしかしたら会議…のようなもので、みんな席を外しているのかもしれない。会議室は12階。
それにしては受付の人までいないのはオカシイが、この手帳に記載した俺が間違えているのかもしれないし、昨日対応してくれた職員がウッカリ…なんてこともある。『明々後日』と言ったつもりが、『明日』と口では言っていた…疲れていると、よくあることではないか。
俺は少し、人が来るまで待つことにした。なんていっても、ここの自動ドアに鍵はかかってなかったんだし。手違いだとしても、あいさつくらいはしておくべきだろう。
俺はホール全体が見渡せるソファに腰を下ろし、何ともなしにじっとエレベーターの挙動を見つめていた。
暇だ…。
本の一つでも持ってくるべきだったかもしれない。けれど、まさかこれを誰が予想するだろう。俺は道中の僅かな時間にわざわざ本を開くほど読書家ではないし、レポートなどの必要に迫られなければ読めないタイプだ。しかしこれからはレポートを書く機会は無いだろうと思うので、国語の成績はDだった俺の身に、地殻変動ほどのことが無い限り活字黙読をすることは皆無である。
しかし暇つぶしの一人遊びの道具というと、本しか浮かばないだろう。面接の場所に、流行りの携帯ゲーム機やら持ってくるほうが正気を疑う。
暇だ……。
そうなってくると、自然、身だしなみなどがまた気になってくる。
(髪は切った方が良かったか…)
高校の不良時代。あの暗黒期を如実に表す、肩甲骨ほどまでのロン毛。
極東のナントカの一文ではないが、『恥の多い人生でした』…まぁ、ほどほどに恥と後悔もしてきたけれど、この場にこんなラフすぎる格好で来るくらいには抜けてて、図太い馬鹿だということで、きっと死ななきゃ治らない。しかしやってしまったものは仕方ない。このへんの適当さが俺は駄目なのだろうな。学生時代も就職も失敗した所以に違いない。
ああ、懺悔します神様。俺って馬鹿なんです。けれどこのご時世に『就職しよう』という意識があるだけ、俺はまだマシなほうなんです、ああ神様、世のニートに正義の鉄槌を…。
俺はズシーンと、ソファに身をうずめた。
………暇だ。