アリスが不思議の国を創るまでの話
さくさく進みます。
あたしはアリス。髪は黒で、目は青。
薬と子供服とおもちゃを作ってるおじい様は、『世界征服』が夢で毎日忙しそう。小さな時から一緒のチェシャーはいわゆる幼馴染ってやつで、とってもクレイジー。
あたしのママはあたしを産んですぐに死んじゃって、家族はおじい様だけ。チェシャーもあたしが大きくなったら『家族』になるんですって。
チェシャーにそういうと、「やだよ」と彼は自分の嫌いな癖っ毛を掻いて顔を赤くしてひとしきり怒った後、そっぽを向いて拗ねる。
あたしはそういう時どうするかっていうと、「あなたの頭の色はチョコレートみたいな色ね」と言って仕返しする。そうしたらまた赤くなって怒るのよね。彼がその色も気にしていること知ってるから。
おじい様はあたしに良く言うの。「お前は神様の子だよ」これはもう口癖ね。
あたしはたまーに、それは本当のことじゃないかと思う。だってテレビの向こうの女の子って生き物はこんなにお勉強出来ないのよね。あれがフィクションじゃなければ、あたしは神様の子供じみて頭がいいってことになる。
チェシャーもそこだけは頷いて、「そりゃそうだ」と言うし、そうなのだろうなぁと思ってる。
同い年だけど、「チェシャーもあたしほどじゃないけどお勉強できるわよ」って皮肉っても怒らないし、逆に「じゃあおれは壁走りが出来るんだぜ」と自慢する。
五歳のあたしは、大人みたいに皮肉ることも、自分が神様の子かもってことも、ママが実はおじい様にコロサれたってことも知っている。
おじい様の世界征服は順調。天井走りを出来るようになった頃、チェシャーはチョコレート色の頭を蛍光ピンクに染めて、ストレートパーマをかけた。
おじい様は、「テレビの影響もちょっと考えないとな」と笑って許していた。
8歳になって、実はあたしはちょっと自分が『神様の子』っていうのを疑ってる。だって神様の子って、もっとこう…人に偉がられるものじゃないかしらって思うの。おじい様…つまり『保護者』に、『偉いね』って頭を優しく叩かれるうちは駄目だわ。
おじい様にそんなこと言ったら怒って殴られるから、『F(おじい様の会社ね)』のロビーを、プライベートエントランスで詰まらなそうに覗いていたチェシャーに言ってみると、「そんなことないよ」とチェシャーは顔をしかめた。
「フツウはオマエみたいに、ガッコウ行かなくても勉強できないんだぜ」
「普通はガッコウがあるのは知ってるけど、あたし達はお家で勉強してるだけで違うじゃない」
「ふーん。でもフツウは天井に張り付いたり、三メートル上から落ちても平気じゃないんだろ?なら違うさ」
「それはチェシャーだけのことじゃない…あたしは壁走りも、そのまま天井を走るのもできないわ」
あたしはチェシャーが言ってほしいことを言ってくれないので、悲しくなった。
「うーん…」チェシャーは困った顔をしてピンクの頭を掻く。
「おれにはわかんないよ。わかんないけど、アリスはなんか凄いよ。それはわかるからさ、アリスは神様の子だよ」
涙がちょっとだけ出た。あたしは生まれて初めて、『うれし泣き』を体験したのだった。
10歳になったころ、あたしはJを殺すことにした。
あ、Jっていうのは、おじい様のこと。おじい様があたしが9歳になった頃、そう呼べと強要してきたの。
なんでJを殺そうと思ったかっていうと、Jの夢『世界征服』のせいだった。
あたしもいつのまにか『世界征服』してみたなって思ったのが30分前。でもそう思って考えると、Jが邪魔なのよね。
ああ、別にJが憎いとか、そういうんじゃない。おじい様は大好きだし、あの人のためになら何でもしてあげたっていいわ。
でもしょうがないわよね。『世界征服』で何が一番駄目って、J自身なんだもの。
あたしはこう考える。
ヒトっていうのは、それぞれ世界に何をするべきか、『役割』ってのが決まっててそれによって何が出来るか決まる。出来ること出来ないことが決まってて、例えばあたしが偶然けった小石がバウンドして周り巡って人の命を一つ救うことだってあるし、もしその人が女性で身重なら二つの命を同時に救うことになる。
で、その女の人の子供が大きくなって、偶然あたしと結婚して子供を作ったら、また一つの『役割』を持った人間が生まれることになる。こういうの、仏教では因果応報って言うのよね。
あたしが考えた結果、Jがなんで世界征服できないかって原因がJだった。回り巡って、Jが居ることで世界征服は出来なくなる。だからこんなに人間は進歩してるのに、Jが生きてる限り誰も世界征服できないんだわ。
それが分かったのはきっと世界で一人だけ。あたしはやっぱり『神様の子供』だった。
大丈夫よ、Jは大好きなあたしが代わりに夢をかなえてくれるなら、その首だって差し出すわ。
あたしはさっそく行動を開始した。だって初めての人殺し、準備はちゃんとしなきゃ。
Jは大金持ちだったけど、「人殺しは手間も金もかかる」ってよくボヤいてるもの。
最初はこっそり毒を盛ろうかとかちょっと考えたけど駄目ね。Jは『世界征服』は出来てないけど、『世界五分の一征服』くらいは出来てるんだもの。毒なんかじゃ殺せない。すぐ気付いちゃう。
じゃぁどうしようかしら?本当はこっそり始末しちゃったほうが都合はいいけど、でもそれじゃ毒殺と同じ。そこであたしは考えた。こういうのは、正面から正々堂々…手回しするから本当は正々堂々じゃないけど、正面から乗り込んでいってズブッ!ってやるのが一番いい。
チェシャーはすぐにあたしに協力するって言った。でも二人だけじゃダメ。仲間を集めなきゃ!
まず、Jがやってる研究所から四歳と三歳の女の子を二人連れだした。
もともとJは科学者だ。だから『F(ウチの会社)』も、最初は『安心安全な製薬会社』だった。それが『安心安全な子供のおもちゃ』、『安心安全な子供服』を取り扱うようになってどんどん大きくなったのよね。まあ裏では『危険で凶悪な薬』も『危険で凶悪な大人のおもちゃ』も作ってるんだけど。
チェシャーもこの研究所出身で、Jは『キメラ』って生き物だと言っていた。物語の中のキメラみたいに、獅子の顔でヤギの角、蛇やトカゲの下半身もしていない、見た目は完璧な『ニンゲン』の『キメラ』を大量生産して世界中に出荷している。Jが世界の五分の一を征服出来たのはこの研究所のおかげだ。
ぶっちゃけFなんて会社はこの研究所の副産物に過ぎない。
連れ出した女の子は、4歳の赤毛の女の子と3歳の金髪の女の子だった。
金髪の子は跳躍力がすごくて、あたしが『アリス』でチェシャーが『チェシャー猫』だから『白兎』と名付けた。瞳も赤かったし、たぶん血筋も当たらずも遠からずだと思う。
もう一人。赤毛の子の方はもっとすごかった。スチールの扉を銀紙の様に丸められるとんでもない怪力と、犬より鼻が利いてコウモリより良い耳。言葉は話せないようだから視力検査は無理だけど、たぶん目もいい。
二人とも目が赤いからか女の子だからか分からないけど、ひとまとめに同じ部屋に放り込まれていた。
こうなったら、もうこれを名付けるしか無いでしょう?
彼女の名前は『ハートのQ』になった。
この子は連れてきた翌日、もっと凄いことを引き起こすことになる。翌日ベットをのぞくと、尊大な態度で唸り声を上げるだけだったQが!なんと言葉を発したのだ!
「助けて!ぼくを殺さないで!」って泣きながら……。
赤かった目は青くなっていて、驚いたことに体も変わってる。主に下半身ね。
一日おきに、性別もまとめて人格も変わるの。凄い!凄いわ!連れてきたのは二人だと思ってたら三人だったのよ!
Qはすさまじく凶暴で野性的だけど、彼は彼女をひっくり返したように気弱で泣き虫。けれどその分、ちゃんとしたコミュニュケーションが取れるみたい。彼が言うには、「姉さんはキミたちが自分の言葉を分かるようになればいいって思ってるんだ」どうやら、Qは言葉を覚える気が無いらしい。
『ハートのQ』ときたなら、『ハートのK』よね。ってことで、男の子の方は『ハートのK』になった。
けれどKったら、泣き虫であんまりにも臆病なもんだから、すっかり『泣き虫キング』って呼ばれるようになっちゃった。
なにせ彼は、頭の中の自分の姉(と、後にQの発言で発覚した)にいつもビクビクしている。彼女の『お仕置き』はどうやら相当酷いみたいね。『彼女』はどうやら、自分の弟があたしたちと仲良くするのも気に食わないみたいで、Qに命令されたKがあたしたちを無視することもあった。
そういう時は白ウサギとナイショ話してるのは良く見かけてたんだけど、ある日チェシャーがキレてKをを殴ってしまってからは、身の危険を感じたのかそれはすっかり無くなった。
彼はQのためならなんだってする。Qの命令ならなんだって聞くし、朝から晩まで彼女の機嫌を取ろうと必死だった。『泣き虫キング』が泣く理由はほとんどがQのせい。「ごめんなさい」と呟いて、部屋の隅っこでうずくまっているのをよく見かける。陰気な子は、あたしもチェシャーもあんまり好きじゃないわ。
「やめてよぅ…やめてよぅ…」
ああ、また部屋の隅でKのすすり泣きが聞こえる。
チェシャーの短気は、ここしばらくでずいぶん良くなった気がするわ。だって、二か月前なら「今度はどうした?」なんて、絶対に彼の話を聞いてやるなんてしなかったもの。
たとえそれが、あたしへの点数稼ぎだったとしてもね。あたしチェシャーのそういう優しいところ大好きよ。
白ウサギはかわいい。
大人しくて無口だけれど、ヒステリーの気がある姉弟と比べたらとっても安心。ただ、よくボーッとしてるのが気になるけれど。
ずっと姉弟と一緒にいた白ウサギは、姉弟とのやり方もあたし達よりずっとうまい。Kとはいいカップルなんじゃないかしら?
彼女はぬいぐるみはよく抱っこしてるけれど、ドレスやフリル、リボンもあんまり好きじゃないみたい。嗜好品だけにはちょっとしたこだわりがあるみたいね。ブロックや、ブリキのおもちゃで良く遊んでいるのも見かける。
バービーちゃんに対しては嫌悪といってもいいみたい。彼女は三人のバービーを首や足を複雑骨折させて緊急入院させた。
Kと協力してこの一年で、Qは最低限以上のコミュニュケーションをとれるようになった。もともとKとQは、同じ頭でものを考えているんだもの。出来ないはずがないんだわ。
言葉のわからないQが、あたしたちのいう事を理解していたのはKを通して通訳していたからだけど、実のところその彼を協力させるのが、Qに言葉を教えるよりも大変だった。
QとKは一日おきに入れ替わる。ルールは簡単。夜に寝て、朝起きたら入れ替わる。チェシャーが何回か実験したんだけど、Qが寝ているところを起こしたらまだQのままだった。つまり、この姉弟が『朝』って認識すると入れ替わるってわけね。深層心理ってやつかしら。
ちなみにこの実験の後、Qはすごく機嫌が悪くなって小一時間部屋の中で暴れまわった。
これは本当にずっと後の話だけど、彼らは時計の読み方を覚えた8歳の夏の夜からは、キッカリ0時に入れ替わるようになったのよ。『0時になったら次の日』っていう考え方を学んだからね。
『一日おきに』というこの姉弟のルールは、とっても単純で奥が深い。
今ではすっかりQはKよりずっと口も達者で、白ウサギとガールズトークをしてるのを見かける。(まぁ、4歳と5歳のガールズトークなんてたかふが知れたものだけど、男の子が近づくと『立ち入り禁止!』って言われるのよね)
子供たちはすくすく成長してる。つまりあたしも含めて。
あたしにはわかった。これはパーティーになるわ。とびっきりの大騒ぎの大宴会。でもどんなパーティーも、綺麗にテーブルを片づけた後は静かなものなのよ。