女神像が結婚式で砕けました。皇太子殿下はわたくしを疑いましたが、わたくしの仕業ではありません。
ユーロン帝国では盛大な結婚式が行われていた。
帝都の大きな教会で行われている結婚式。
ロベルト皇太子と、隣国のマリーヌ王女との結婚式だ。
民衆皆が、この結婚式を祝い、花びらを蒔いて、めでたいめでたいと祝っている。
ロベルト皇太子は金髪碧眼の美男で、マリーヌ王女もそれはもう美しい金髪碧眼の王女様だ。
隣国アルド王国との結びつきを強める為の結婚式。
誰しもが小競り合いが多かった隣国との関係も、これで平和になると、喜んでいた。
異変が起きた。
教会に設置されていた巨大な女神レティナ像にひびが入ったのだ。
ピシッ。バシッと音を立てながら、ひびは見る見るうちに広がっていく。
教会の中にいた人達は逃げ出した。
そして、女神レティナ像はどどーんと音を立てて床に倒れたのだ。
倒れた衝撃で像は粉々に砕け散った。
ロベルト皇太子は皆に向かって、
「これは事故だ。事故。女神像が老朽化していた事故だ」
妻になるマリーヌ王女に向かって、
「どうして女神像が倒れたのか、調べさせる。だから、マリーヌは何も心配しなくていい」
「ええ。それにしてもなんて縁起が悪い」
フレイディア・ラルク公爵令嬢は、教会の中にいた。
レイド第二皇子が手を引き、護衛騎士達と共に外へ避難したので、怪我はしなかった。
女神像にひびが入って倒れるまで、猶予があったので、逃げる事が出来たのだ。
ロベルト皇太子はフレイディアの前まで行き、
「お前だな?お前がこの結婚式を妨害しようとして、女神像に細工をしたのだな?」
フレイディアは首を傾げて、
「何を証拠におっしゃっているのです?」
「お前は私を愛していた。私の長年の婚約者だったからな。それが、今回、私がマリーヌと婚姻が決まったからと、レイドの奴にお前を下げ渡した。それを恨んでの犯行か?それ程までに私を愛していたのか」
「貴方を愛していた?とんでもないですわ」
「いや、愛していただろう。愛していたはずだ」
フレイディアは思った。
何を根拠に愛していると言っているのだ?この男は。
結婚式が終わって、その日、公爵家に戻って自室で紅茶を飲みながら、一息ついた。
愛している?何を言っているのかしら。あの男は。思い出すたびに腹が立った。
過去の事を思いだしてみた。
そもそも、婚約を結んで来た期間は10年間。
長い婚約期間だった。
ともかく、疲れる男だ。そういう印象だった。
高位貴族の公爵家の令嬢として、婚約者に選ばれた。
皇妃としてふさわしいとの理由だから仕方が無い。
ロベルト皇太子は金髪碧眼の美男だ。
ただただ、フレイディアはこの男は有り得ないと、出会った当初から思っていた。
自分の話しかしないのだ。
自分の自慢から始まり、自分がいかに優れているか、自分がどういう趣味を持って、自分がどういうものに興味があって、最近、あった出来事。
全て自分の事しか話さない。
「私が好きなのは馬だ。まだ馬に乗れないが、そのうちに自分の馬を得て、乗馬をしようと思っている。それから私が好きなのは絵画だ。父上が隣国の絵師に、美しい貴族の女性の絵を描かせたあの広間の絵画。あれがお気に入りだ。それから私は…‥」
一方的に自分のことばかり話していて、
フレイディアの事なんて聞こうともしない。
婚約をした当初は、フレイディアだって話したいことがあった。
自分のことだって知ってもらいたかった。
ただ、フレイディアが話そうとしたら、ロベルト皇太子は、
「君の事など、どうでもいい。私の話を聞いて欲しい」
そればっかそればかりなのだ。
さすがのフレイディアも胸の中にモヤモヤしたものがたまりにたまったが、相手は皇太子。仕方が無く、相手をするしかなかった。
そんなこんなで10年間。
会った時はただひたすら、ロベルト皇太子の話を聞くだけの10年間。
嫌で嫌で嫌で嫌で、もう嫌でたまらなかった。
だから、隣国の王女マリーヌと結婚するから婚約を解消して欲しいと言われた時に、嬉しかった。
やっとこの男から解放される。
しかし、レイド第二皇子との婚約を改めて提案されて、結ぶしかなかった。
これも公爵令嬢としての定め。
このユーロン帝国の皇族は他家に婿入りをせず、皇族として残り仕事をしなければならない。
レイド第二皇子は、とても優しくてフレイディアを尊重してくれた。
ラルク公爵家と結ぶ重要性を解っていて、フレイディアに求婚してくれたのだ。
「フレイディア嬢。ずっと貴方の事を思っていました。どうか、私と婚約をして下さいませんか」
ロベルト皇太子は自分の事ばかりで、わたくしの方を見てくれなかった。
でも、ずっとわたくしを見ていてくれたなんて、心の底から嬉しかった。
レイド第二皇子に向かって、
「わたくしでよろしければ」
「兄上に婚約を解消されて、さぞかし心が傷付いたでしょう」
「いえ、あの人は自分の事ばかり話していて、わたくしを見て下さいませんでした」
「私は貴方の事を尊重し、大切にしたいと思っております。美しいフレイディア」
レイド第二皇子はとても優しい。
わたくしの事に興味を持って色々と聞いてくれる。
「わたくしは、赤い薔薇が好き。他の色の薔薇は薔薇ではないわ。深紅の薔薇が好きなの。赤は最高の色ではなくて?」
「私もそう思います。フレイディアには深紅がとても似合っている。その美しい金髪に深紅が映えて、フレイディアの美しさを際立たせていますよ」
「嬉しい」
レイド様の事が好き……
これが恋ってものかしら。
彼との交流は皇宮のテラスで行われる。
皇太子妃教育は引き続き続けられている。
皇族として仕事をしなければならないから、
それに隣国のマリーヌ王女が嫁いだ後、彼女を助けなければならなかった。
それでも、その合間にレイド第二皇子に会えるのかと思うと、今まで辛かった勉強も辛さを感じなかった。
レイド様に会いたい。
彼にわたくしの話を聞いて欲しい。
だから今、フレイディアはとても幸せだ。
自分の事を理解してくれる、自分を見てくれるレイド第二皇子の婚約者になったのだから。
改めてロベルト皇太子に皇宮に呼ばれた。
レイド第二皇子に立ち会いを頼んで、ロベルト皇太子と皇宮の広間で会った。
フレイディアはロベルト皇太子に、
「まだ、わたくしを疑っているのですか?」
「いや、徹底的に調べさせた。あのめでたい席に女神像が砕けた原因を」
「それでどうだったのです?」
「老朽化していた。元々、あの女神像は古くから作られたものだ。女神レティナ。愛をつかさどる女神。しかし、帝国民の間からはこの結婚は間違っていたのではないかと噂が出ている」
「その事を発表すれば良いではありませんか」
「君からも宣言して欲しい」
「ご命令とあらば、わたくしからも国民に宣言致しますわ。このたびの婚姻はめでたいことだと」
「私は君が細工したのだと思っていた」
「まだそうおっしゃるのですか」
「君と私との10年間。君は私の事を愛しているのだろう」
「愛していませんでしたわ」
「嘘だ。愛していたはずだ。あんなに嬉しそうに私の話を聞いていた。そうだろう?」
「婚約者だから聞いていたのです。貴方はわたくしの好きな物をご存じですか?わたくしの好きな花は?わたくしの好きな色は?答えられないでしょう。でも、レイド第二皇子殿下は、わたくしの事を興味を持って聞いて下さいます。ですから、わたくしは婚約が解消されて喜んでいるのですわ」
「私は隣国との平和を考えて、マリーヌ王女と結婚した。本当は私の心は……」
「わたくしの事を何も知りもしない癖に、愛しているってどの口がおっしゃっておいでですの?」
ロベルト皇太子は苦々しい顔をして、黙り込んだ。
フレイディアの心はすっきりとした。
レイド第二皇子はその様子を、黙って見つめていた。
私の事を愛している?フレイディアはそう言うけれども、とても幸せそうに微笑むけれども。
ずっとフレイディアを見ていたと言ったのは嘘だ。
フレイディアと婚約を命じられた。父である皇帝に。
だから少しでもフレイディアからの印象を良くしたくて、彼女の機嫌を取りたくて言った嘘だ。
本当は……
私は兄上、貴方を恨んでいるんですよ。
私の婚約者だったフェリア・リード伯爵令嬢。
フェリアはとても優しくて、とても可憐で。
皇立学園で知り合って、話が合って、意気投合して。
彼女の事が好きになるのに時間がかからなかった。
しかし、彼女との婚約は父である皇帝陛下から反対された。
伯爵家では爵位が低すぎる。
伯爵家では我が皇族に入るには、ふさわしくない。
それでも、フェリアと私は一緒にいたかった。
だから父を説得して婚約を結ぶ事が出来た。
どんなに嬉しかった事か。
二人で手を取り合って、婚約が結べた事を喜んだ。
その後も、フェリアは健気に、私に尽くしてくれた。
二人で将来、兄上を助けて、帝国で何が出来るか話し合う事がとても楽しくて幸せで。
彼女と結婚出来る事を信じて疑わなかったのに。
フェリアは、不貞を犯して。私以外の男と関係を持って……
あれは、そう、兄上がマリーヌ王女と婚姻する為に、フレイディアを婚約解消しようかと話が出始めた頃だった。
フェリアは皇立学園の教室で、他の男と淫らな事をしていたのを、発見されたんだった。
相手の男は男爵令息で、
「フェリア様が誘って来たから。だから、俺はっ。悪いのは俺じゃないっ」
フェリアは泣きながら、
「違うの。私、なんだかよく解らなくてっ。愛しているのはレイド様だけ。信じてっ」
薬が使われた。そう思った。
でも、不貞を犯した女性をこのまま婚約者にしておけない。
誰だ?フェリアに薬を盛ったのは。
父である皇帝陛下の命か?
それとも母である皇妃の命か?
それとも、フレイディアの父、ラルク公爵の仕業か?
娘が婚約解消されて、フレイディアが皇妃になる道が絶たれた。
だから、私の婚約者にフレイディアがなる為に?
それともフレイディア。君自身がフェリアを???
解らない。誰が薬を盛ったのかというのも解らない。
調べても犯人は見つからなかった。
フェリアは学園を退学して修道院へ入った。
私はフェリアと共に帝国の為に働く未来を夢見ていた。
それなのに、フェリアは……
全て兄上が、隣国のマリーヌ王女と結婚すると決めたから。
私は兄上が憎い。
もし、フェリアに薬を盛ったのがフレイディアなら、フレイディアも憎い。
全てが憎い。私からフェリアを奪った全てが。
ああ、だから女神レティナ様は私の願いを聞いてくれたのか。
この結婚は祝えない。
この結婚は私の憎しみの象徴だ。
この結婚はこの結婚はこの結婚はっ……
女神様は見て下さっていたのだな。
私の憎しみを。
フレイディアが微笑んで、
「さぁ、参りましょう。一緒にテラスでお茶を飲みたいわ」
フレイディアに聞きたい。
君はフェリアに薬を盛ったのか?
私の婚約者になる為に薬を?
外は雨が降って来た。
だから、王宮の中にある客間で、二人でお茶を飲むことにした。
「フレイディア。一つ聞きたい」
「何でしょう」
「私の婚約者のフェリア。彼女は皇立学園で、薬を盛られて男爵令息と淫らな事をした。それで現在、修道院にいるのだが。薬を盛ったのは君か?君が皇族である私と婚約する為に。その頃には兄上との婚約解消の話が出始めていた。婚約解消された後、君はどうするつもりだったんだ?」
フレイディアはまっすぐこちらを見つめて来た。
「わたくしを疑っているのですね。仕方がないことですけれども。おそらく父が手を回したのでしょう。父はわたくしを皇族に嫁がせたかったのですから。わたくしは薬を盛るように命じた覚えはありません。わたくしは、ロベルト皇太子殿下と婚約が解消されたとしても、帝国の為に事務官として働こうと思っておりましたのよ。父は渋るでしょうけれども、わたくしはせっかく学んだ知識を、皇太子妃になる為に得た知識を、帝国の為に役立てたい。そう思っておりました。貴方が信じられないと言うのなら、それでよろしいですわ。でも……」
「でも?」
「わたくし、嬉しかったのです。貴方がわたくしに興味を持って色々と聞いて下さって。今までロベルト様の話ばかり聞いて、疲れておりましたから。沢山、貴方に話をしてしまいました。わたくしの事を解って欲しいって。貴方はわたくしの話を色々と聞いて下さいましたわ。感謝しております。とても嬉しかったから」
フレイディアは立ち上がって、
「婚約を続けますの?それとも解消なさいますか?貴方がフェリアの事をまだ好きならば、わたくしは喜んで解消に応じますわ」
レイド第二皇子は立ち上がって、手を差し出した。
「私だって皇族だ。君の事を信じよう。そして、ラルク公爵家のせっかく得た後ろ盾を失いたくない」
「有難うございます」
「そろそろ帰る時間だ。馬車で送ろうか」
フレイディアを信じる事にした。
フェリアに手を回した疑いがあるラルク公爵の事は許せないが。もし、ラルク公爵がやらなくても、父である皇帝が手を下したであろうから。
フェリアを守れなかった自分の未熟さが悔しい。
しかし、フレイディアのまっすぐに自分を見てくれる心が。眩しくて。
私はフレイディアにこれから先、どんどんと惹かれていくだろう。
フレイディアの手に手を添えて、エスコートするレイド第二皇子。
その瞳は既にもう、フレイディアと帝国の未来の事をしっかりと見据えていたのであった。
雨がシトシト降っていた。
修道院の庭に複数の墓がある。
修道院で亡くなった修道女達はここに葬られるのだ。
一人の金髪碧眼の男性が花を一つの墓に供えていた。
― フェリアここに眠る ―
彼女の事をギルドで見かけた。
修道女達は薬草を育てている。
それをギルドに売りに来るのだ。
ふと、一人の女性が遠い昔に愛した女に似ているような気がした。
レリーナ。娼婦をやっていた少女。
ずっと好きだった
愛していた。
でも、当時の自分は結婚するなんて考えられなくて。
彼女は異世界から召喚された勇者が振りまいた病で亡くなった。
レリーナの面影を彼女は持っていたのだ。
顔が似ている訳でもない。ただ、儚い感じで今にも消えそうな命の火。
ギルドで話しかけてみた。
「俺はアラフって言うんだ。辺境騎士団で働いている。薬草を売りにきたのか?」
「話を聞いて欲しいの。お願いがあるの」
修道女の癖して、外の宿にアラフを連れ込む女性。
名はフェリアと名乗った。
異世界人が持ち込んだ病は男性にも感染した。しかし、今はもう治っていて感染させる心配はない。女性と関係を持とうが構わないが。
ベッドで彼女と話をした。
彼女は裸で微笑みながら、
「ねぇ。報酬は私の身体。私ね。はめられたのよ。本当なら皇族に嫁いで、帝国の為に働いていたわ」
詳しい事を聞いた。彼女の名はフェリア。
元々、リード伯爵令嬢だったとの事。それを皇立学園で罠にはめられて、薬を盛られ、もうろうとしている時に、男爵令息と教室で淫らな行為に浸ってしまった。
「悔しかった。私はレイド様を愛していたのに、はめられて。婚約は解消になったわ。そして修道院へ入れられた。お願い。どうか、私の無念を晴らして。晴らして欲しいの」
「犯人を見つけて、殺せというのか?」
「どうせ、犯人は皇帝陛下か、ラルク公爵でしょう。手が出ないわ。だからね。この呪符を女神様の像に仕込んで欲しいのよ」
「そんな危ない目に俺を合わせようと?」
「変…辺境騎士団員よね。その胸元のマーク。貴方なら出来るわ」
フェリアは笑って服を着て、
「元はと言えば、ロベルト皇太子が隣国の王女と結婚するが為に、フレイディア様を婚約解消したのが原因ですもの」
「フレイディアという女は憎くないのか?」
「あの人、悪い人じゃないのよ。私に皇立学園で困った事がないか、声をかけて下さって。とても親切にして頂いた。だから恨むなんて事はない。お願い。アラフ。一泡吹かせてやるだけでいいの。お願いよ」
「報酬は貰ったから、引き受けるけどさ。本当にそれでいいのか?」
フェリアは寂し気に笑った。
「本当はね、レイド様に迎えに来てほしかったの。でも、もう無理なのよ。私があの方の隣に戻ることはできない。だから、せめて最後に一つだけ、私の恨みを思い知らせてやりたいのよ」
遠い日に亡くなった愛した人の姿と重なった。
最後に一つだけ?
最後に?
「解ったよ。この依頼、引き受けた。必ず成功させてみせるよ」
だから、アラフは結婚式の前夜、仲間達と共に教会に忍び込み、像の台座の中にこの術式を組み込んだ紙をセットした。女神像が砕けた後は解けて無くなって証拠が残らない。
結婚式の時間に合わせて発動し、上手く行けば、女神像をばらばらに砕くはずだ。
そして思惑通り、女神像はバラバラに砕けた。
それを見届けたのか、フェリアは胸をナイフで刺して自ら命を絶ったのだ。
アラフは墓に花を供えながら、
「愛していたのだな。レイドを。最近、ロベルト皇太子に対して悪い噂が流れている。税が高くなったとか、天候が悪いのは女神様が怒っているせいだとか。でも、フェリアが本当に望んでいたのは、レイドが迎えに来てくれる事だった。迎えに来ないと解っていたのに……寂しい事だな」
雨は降り続いている。
ずっとフェリアは窓の外を眺めていたそうだ。
自ら命を絶つまでずっと。
身を落としても、最後までレイドの事が好きだったのだろう。
女心だなと思うアラフであった。
女神像が砕けた事件がきっかけで、帝国民からロベルト皇太子への不満が募り、レイド第二皇子がラルク公爵家の後押しを受けて、皇太子になった。
隣国の王国から文句が来たが、帝国の方が勢力が上だったので、そのうち文句を言ってこなくなった。マリーヌ元皇太子妃は、皇太子妃の位を降りても、ロベルト元皇太子の傍に残り、帝国の為に尽くした。
レイド皇太子は、後に皇帝になって、フレイディア皇妃と共に帝国の発展に生涯尽くしたとされている。




