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呪いで凍り続けている王子殿下ですが、私が手を握ると氷が溶けるので、執務中も就寝中も『離すな』と繋がれっぱなしで困っています!

作者: 桜木ひより
掲載日:2026/07/17

魔力測定器の数値を見て、神官は深くため息をついた。

「魔力値は1…。属性、なし……ただの無能、ですな。少しだけ平熱が高いようですが、これでは何の役にも立ちません」


リンデ男爵家の長女として生まれた私、ソフィア・リンデは、そうして幼い頃に「欠陥品」の烙印を押された。


魔法が使えない。剣も振れない。

特別に美しいわけでも、飛び抜けた知性があるわけでもない。


ただの、体温が他の人より少し高いだけの少女。


前世で北海道の極寒の牧場に生まれ育ち、吹雪の中で凍死した記憶を持つ私にとって、この世界での「体温が高い」という個性は、むしろちょっとした幸運に思えたのだけれど――貴族社会においてそれは、何の価値もないゴミクズのような異常体質でしかなかった。


「お前のような役立たずを養う余裕はない。王宮の下働きとして奉公に出す」


父にそう言い渡された日のことは、今でもよく覚えている。


私は泣かなかった。

冷遇され、使用人の代わりに家中の洗濯をさせられていたため、今更驚くこともなかったのだ。


王宮での仕事は、朝から晩まで洗濯場で冷たい水に手を浸し、貴族たちの衣服を洗い続けることだった。


冬の洗濯場は凍えるほど寒かったが、不思議なことに私の手だけは常にぽかぽかと温かく、隣で震えている他の洗濯係の娘たちの手をよく握って温めてあげていた。


「ソフィアの手、本当にあったかいね」

「まるで湯たんぽみたい」

それが、私に向けられる数少ない褒め言葉だった。



ある朝、洗濯場に宮廷医の使者がやってきた。

「王宮内で『体温が異常に高い体質』の者を探している。該当者は至急、王子殿下の私室に出頭せよ」

使者は名簿を確認し、私の名前を読み上げた。


「ソフィア・リンデ。体温異常の記録あり。お前だな」


私は濡れたエプロンを外し、使者に連れられて王宮の奥へと向かった。


長い廊下を進むにつれ、空気が目に見えて冷たくなっていく。

壁には霜が張り、吐く息が白い。


まるで、建物の奥に冬そのものが閉じ込められているかのようだった。


重い扉が開かれた先にあったのは、氷の洞窟のような部屋だった。


天蓋付きのベッド、豪華な家具、すべてが薄い氷の膜に覆われ、白い霧が床を漂っている。


その中心に、一人の青年が座っていた。


銀色の髪に、透き通るような蒼い瞳。息を呑むほどに美しい顔立ちだったが、その肌は病的なほど白く、唇は青紫色に変色している。


分厚い手袋を何重にも重ね、毛皮のコートに身を包んでいるにもかかわらず、彼の体は細かく震えていた。


ヴィンターフェルト王国の第一王子、レイモンド殿下。


3歳の時に隣国の呪術師に「永遠凍結の呪い」をかけられたため、体温が毎年少しずつ下がり続けているという。


現在の体温はマイナス12度。

素手で触れたものは凍り、息を吐くと周囲に霜が降りる。



余命はあと2年と言われていた。

宮廷医のあらゆる治療が失敗し、私は「最後の可能性」として呼ばれたのだった。


「……また新しい実験か」

レイモンド殿下は、感情の欠落した声で呟いた。


「どうせ無駄だ。今まで何十人もの治療師が試して、全員私の手に触れた瞬間に凍傷を負って逃げ出した。お前も同じだろう」


宮廷医が私に促した。

「ソフィア、殿下の手に触れてみなさい。ただし、危険を感じたらすぐに離すように」


私は王子の前に歩み寄った。

分厚い手袋の上からでも、彼の体から放たれる冷気が肌を刺すのがわかる。


私は魔力を高め、その凍りついた素手を、自分の両手で包み込んだ。




彼の手は、氷よりも冷たかった。

指先は青白く、爪の色素は完全に抜け落ち、触れた瞬間に私の手のひらの表面が薄く凍り始めた。


しかし、次の瞬間。

私の手のひらの奥から、じんわりとした熱が湧き上がった。

前世で、凍えて倒れた子牛を胸に抱いて一晩中温め続けた時と、同じ感覚だった。


「……温めてあげるね」

私は無意識にそう呟き、彼の手を握る力を少しだけ強くした。


凍りついていた指先が、みるみる色を取り戻していく。


青白い肌に、薄い桃色が差し始める。爪に血の色が戻る。

私の手のひらにまとわりついていた氷の膜が、まるで春の雪解けのように溶けて消えていく。


レイモンド殿下の蒼い瞳が、信じられないものを見るように見開かれた。


「……温かい」

掠れた声だった。



「温かい。……私の手が、温かい。凍っていない。砕けそうな痛みがない。これが……人の手の、温もりなのか……」


19年間。

3歳の時から、誰の手にも触れられなかった。

母親にすら抱きしめてもらえなかった。人の温もりを、一度も知らなかった。


レイモンド殿下の蒼い瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


涙が頬を伝い、顎から落ちるより早く凍って小さな氷の粒になる。けれど、私が握っている彼の手だけは、確かに温かかった。


「離すな」

レイモンド殿下は、震える声で言った。


「頼む……この手を、離さないでくれ」


宮廷医が驚愕の声を上げた。


「信じられない……! 殿下の指先の温度が上昇している! この娘の体温……いや、体から放射されている魔力波形は、純度100パーセントの『浄化熱』だ! 呪いの氷を、熱で直接蒸発させている!」


私は王子の手を握ったまま、静かに微笑んだ。


「大丈夫ですよ、殿下。私の手は、いつでも温かいですから」



それから一週間で、王宮の日常は一変した。


レイモンド殿下は、私の手を文字通り「片時も離さなく」なった。


執務室では私の右手を握ったまま、左手だけで書類にサインをする。


会議中は私を隣の椅子に座らせ、テーブルの下でしっかりと手を繋いでいる。


食事の時だけは、殿下がフォークを持つために手を離すのだが、「一口食べるごとに」私の手を握り直すので、食事に通常の三倍の時間がかかった。


「殿下、さすがに公務中ずっと手を握っているのは……」

「離したら死ぬ」

「え?」

「私の体温は、お前の手を離すと10分で元のマイナス12度に戻る。つまり、離したら死ぬ。医学的根拠のある要求だ」


なるほど、確かにそうだった。


実際、3日目に私がお手洗いに立った5分間で、会議室の全テーブルと椅子が一瞬で氷漬けになるという「凍結暴走事件」が発生した。



大臣たちは凍りついた椅子から立ち上がれなくなり、「ソフィア様ーーー! お願いです、殿下の手を離さないでくださいーーー!」と悲鳴を上げた。



以降、王宮の全員が「ソフィアは絶対にレイモンド殿下から離してはならない」という暗黙のルールを共有するようになった。


日が経つにつれ、殿下の甘えはエスカレートしていった。


最初は「手を握ってくれ」だったのが、「両手で握ってくれ」になり、「腕を組んでほしい」になり、ついには「……頭を、撫でてくれないか」と、耳まで真っ赤にしながら小声で懇願するようになった。


「殿下、もう朝ですよ。手を離してください」


「離さない」


「でも…お着替えがあります」


「着替えなくていい」


「殿下……」


「……あと5分だけ。5分だけ、このままでいさせてくれ」


19年間、誰にも触れられなかった王子が、初めて人の温もりを知って、その温かさに溺れている。


その姿は、凍えた子牛が母牛のお腹にくっついて離れない姿にそっくりだった。


私は前世の記憶と重なる彼の姿に胸が痛くなりながらも、「しょうがないなぁ」と笑って、彼の銀髪をそっと撫でた。



ある日の午後、私が殿下の手を握りながら窓辺で春の日差しを浴びていると、殿下がふと口を開いた。


「ソフィア。私は3歳から19年間、一度も笑ったことがなかった」


「え?」


「温かさを知らない人間は、笑い方を忘れるんだ。口角をどう上げればいいのかすら、わからなくなる」


殿下は私の手をぎゅっと握り直した。


「開いている方の手でもいい。お前の手を握っていると、顔の筋肉が勝手に動く。こう……口の端が、上がるんだ」


そう言って殿下が見せた微笑みは、ぎこちなくて、不器用で、けれどこの世で一番美しい笑顔だった。


私は思わず涙ぐんだ。

「殿下、笑えるようになったんですね」



「お前のおかげだ」


その日から、殿下は少しずつ笑うようになった。


最初は口角を上げるだけの硬い表情が、日を追うごとに柔らかくなり、やがて目尻が下がる穏やかな笑みへと変わっていった。


国民たちの間では、いつしか殿下は「手つなぎ王子」と呼ばれるようになっていた。




しかし、そんな穏やかな日々を揺るがしたのは、南から来た一通の手紙だった。


「ソフィア! 私の可愛い娘よ!」


応接間に現れたリンデ男爵は、かつて私を「役立たず」と追放した時の冷酷さなど微塵も感じさせない、下卑た笑顔を浮かべていた。


「王子殿下に溺愛されているそうじゃないか。父として鼻が高いぞ。ところで、男爵家の財政が少々厳しくてな。殿下から、鉱山の採掘権と追加の援助金を引き出してくれないか。拒むなら、お前を連れ戻して別の貴族に……」


「もういいわ、お父様」

私が静かに遮ると、男爵は一瞬ひるんだ。



「お父様。あなたは私を『体温が高いだけの無能』と呼んで売り払いましたね。寒い洗濯場で毎日凍えながら働いていた私に、一度でも手紙をくださいましたか? 私の体調を心配してくださいましたか?」


「そ、それは……」


「してくださいませんでしたよね。でも今、私が殿下のお役に立てるとわかった途端に『可愛い娘』ですか。それは親の愛情ではなく、投資の回収と呼ぶのですよ、お父様」



男爵は顔を歪めた。


「無能のお前を売り払ったおかげで、こうして王子殿下と結ばれたんだ。感謝してもらいたいくらい……」


その言葉が終わる前に、応接間の温度が急激に下がった。


壁に霜が走り、窓ガラスに氷の花が咲く。

男爵の吐く息が一瞬で白く凍りついた。



「今……彼女を、なんと呼んだ」



扉の向こうから現れたレイモンド殿下の蒼い瞳には、極北の吹雪のような冷たい怒りが渦巻いていた。

彼の足元から放射状に氷が広がり、男爵の革靴が床に凍りついて一歩も動けなくなる。


「『無能』と呼んだのか。彼女を、『売り払った』と。この女性が、19年間凍え続けた私に、初めて温もりをくれた唯一の人間であることも知らずに」


「で、殿下……! お、お許しを……!」

男爵は恐怖で膝から崩れ落ちようとするが、足が氷に固定されて倒れることすらできない。



「リンデ男爵家による王室への虚偽報告、および領地における脱税の記録はすべて掴んでいる。爵位は剥奪。領地は没収。お前は今日をもって平民だ」


レイモンド殿下は私を引き寄せ、守るように抱きしめた。


「彼女は私の命だ。彼女を傷つけた者は、この国の冬よりも冷たい裁きを受ける」





宮廷医の研究により、ソフィアの浄化熱がレイモンドの呪いの根源を少しずつ溶かしていることが正式に発表された。


「完全解除にはおそらく数年の継続的な接触が必要です」という診断に、殿下は「望むところだ」と即答した。


季節が巡り、春が来た。



殿下の体温は、出会った時のマイナス12度から、マイナス3度まで上昇していた。


まだ常人には遠いが、素手で書類に触れても凍らなくなり、私の手を離しても30分は体温を維持できるようになった。


「30分も離せるようになったんですよ、殿下。すごい進歩です」

「30分では足りない。一生離したくない」


ある晴れた朝、殿下は私を王宮の庭園に連れ出した。



冬の間は殿下の冷気で凍りついていた庭の花壇に、小さな芽が顔を出している。


殿下の体温が上がったことで、彼の周りにも、ようやく春が訪れ始めていた。



殿下が花壇のそばに立つと、凍りついていた蕾がほころび、淡い桃色の花びらが一輪、ゆっくりと開いた。



「……花が、咲いた」

殿下はアネモネの花を見つめて呟いた。



「私の近くで花が咲くのは、呪いを受けて以来初めてだ。いつも私が近づくだけで、花は枯れ、水は凍り、生きとし生けるものが私から離れていった」


殿下は私の手を強く握った。

「お前だけだった。私に触れても逃げなかったのは。私の冷たさを怖がらずに、手を伸ばしてくれたのは」


殿下は私の前に跪き、私の両手を取った。


彼の手のひらは、まだほんのり冷たい。けれど、出会った時のような「痛みを伴う凍てつき」は、もうなかった。


「ソフィア。宮廷医は『数年間の接触が必要だ』と言ったが、私はそれでは足りない。呪いが解けた後も、お前の手を離すつもりはない」


殿下は私の指先に唇を落とした。冷たい唇が、ほんの少しだけ温かくなっていた。



「私の妻になってほしい。一生、お前の温もりの中で生きていきたい」


私の目に涙が滲んだ。


前世では凍死し、この世界では「温かいだけの無能」と捨てられた私の手が、誰かの命を救い、誰かに求められている。


「はい、殿下。あなたの手が完全に温かくなるまで、ずっとお傍にいます」


「完全に温かくなっても、離さない」


「はい、それでも」


レイモンド殿下は嬉しそうに微笑み、私を抱きしめた。

その腕はまだ少し冷たかったけれど、彼の心臓の鼓動だけは、確かに温かかった。


王宮の庭園に、春の風が吹く。



氷の王子と、手の温かい無能令嬢の物語は、ここから始まる。

これから先、どんな冬が来ても、私たちは手を繋いで乗り越えていく。

永遠に溶けない温もりを、互いの手のひらに握りしめて。


【完】


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