第3話 この学園、弱い者いじめが流行ってるんですの?
猫を脱いで三日目。
意外とこの学園、素のままでも生きていける――と思ったのは甘かった。
食堂で昼食のトレーを持って席を探す。三日前まで座っていたテーブルには、もう私の場所がない。メリッサ嬢を中心にした令嬢たちが談笑していて、私がいた席にはすでに別の子が座っている。
誰も目を合わせない。
「可哀想なリゼット様」という声が、二つ隣のテーブルから聞こえた。聞こえるように言っている。「殿下に捨てられたショックで、おかしくなられたのかしら。あの品のない振る舞い……同情しますわ」
メリッサ嬢の取り巻きだ。同情してるんじゃなくて、見世物にしてるのはわかっている。前世にも同じ手を使うやつはいた。可哀想だねって言いながら、一番近くで笑ってるやつ。
窓際の端の席に座った。一人。スープが少しぬるい。パンは硬め。もうちょっと焼きたてが良かったけど、端の席に来るまでに冷めたんだろう。
ポケットの中で、指先が布に触れた。白いハンカチ。あの人に借りたまま、まだ持っている。洗って返そうと思っていたのに、タイミングがない。
前世のことを、少しだけ思い出す。
高二の夏だった。初めてできた彼氏。喧嘩のことは隠していた。髪を下ろして、声を高くして、普通の女子高生のふりをして。
三ヶ月でバレた。
「お前の本性を知ったら、誰だって離れるよ」
あの台詞は、今でも喉の奥に引っかかっている。
でも、仲間は離れなかった。素の私を知った上で、最後まで背中を預けてくれた奴らがいた。
彼氏は一人しかいなかったけど、仲間は七人いた。どっちが多いかなんて、数えるまでもない。
スープを啜った。ぬるいけど、味は悪くない。
騒がしい声がした。
食堂の入り口寄りのテーブルで、小柄な男子生徒が上級生に囲まれていた。三人。みんな貴族の子だ。制服の袖口に刺繍が入っている。中級以上の家柄の証。
囲まれている子は、刺繍がない。庶民出身の特待生だ。
「なあ、お前さあ、何で俺たちと同じ食堂使ってんの」
真ん中の上級生が、特待生のトレーを指で押した。スープが揺れた。
「ここ貴族の学園なんだけど。特待生って言っても、別に俺らと同格ってわけじゃないだろ」
特待生の子が何か言おうとして、口を閉じた。肩が縮んでいる。
見ていられなかった。
理由はわからない。いや、わかる。わかっているけど言語化したくない。こういうのが一番嫌いだ。前世から。数で囲んで、立場で押して、相手が言い返せないところで粋がるやつ。
椅子を引いた。
歩いた。
「ちょっといい?」
三人が振り返った。
「……何だよ、クレーデル」
「その子に用があるの? あるなら先に済ませるから、待ってて」
我ながら何を言っているんだろう。でも身体が勝手に動いている。前世で何度もやったやつだ。舎弟が絡まれた時の割り込み方。
「は? 関係ないだろ」
「関係あるよ。私、弱い者いじめ見ると胃が痛くなるの。体質」
真ん中のやつが目を細めた。背が高い。でも目が泳いでいる。こういうのは集団じゃないと強く出られないタイプだ。
「……お前、殿下に捨てられた女だろ。身の程わきまえたら?」
「身の程」
一歩、前に出た。
笑った。自分でも、あまりいい笑い方じゃないとわかっている。前世で相手をビビらせる時の笑い方だ。
「私に喧嘩売るなら買いますけど? 一対一で。それとも三対一がお好み? どっちでもいいよ」
食堂が静まった。
真ん中のやつの喉仏が動いた。左右の二人が半歩下がった。
しばらく睨み合いが続いて、真ん中のやつが舌打ちをして背を向けた。三人が食堂の出口に向かっていく。一人が振り返りかけて、やめた。
息を吐いた。手が少し震えている。喧嘩の前はいつもそうだ。終わった後も。興奮なのか緊張なのか、未だに区別がつかない。
「あ、あの」
特待生の子がこちらを見上げていた。丸い目。栗色の髪。小動物みたいな顔をしている。
「ありがとうございます。あの、僕、エミル・ハートです。一年の特待生で」
「リゼット。二年。名前はそれでいい」
「リゼット先輩!」
即座に呼び方が決まった。懐くのが早い。前世の後輩にもこういうタイプがいた。助けたら最後、どこまでもついてくるやつ。
「あの人たち、いつもああなの?」
「えっと……はい。でも、いつもは無視してるんです。今日はちょっと、しつこくて」
エミルが目を伏せた。トレーの上のスープがこぼれている。
「こっち来なよ。一人で食べてたからちょうどいい」
窓際の席に戻ると、いつの間にか周りに人が増えていた。庶民出身の生徒が二人、隣のテーブルから椅子を引いてきた。もう一人、下級貴族の女子が「隣、いいですか」と聞いてきた。
三日前まで、メリッサ嬢の周りに集まっていた人たちとは違う顔ぶれだ。
「……いいよ」
別に集めたわけじゃない。でも、端の席がさっきより賑やかになった。パンはまだ硬い。でもさっきよりは美味しく感じる。隣でエミルが大盛りのシチューを頬張っている。よく食べる子だ。
誰かが近づく気配がした。
レオン・フォン・ブレンナーさん。騎士科の人。ハンカチと軟膏の人。
何も言わずに、私の隣の空いた椅子に座った。
トレーを置いた。パンとスープと、焼いた芋。質素だ。
「……どうも」
「ええ」
それきりだった。
何も聞かない。何も言わない。ただ隣に座って、パンをちぎって、食べ始めた。
私もスープを啜った。
エミルがブレンナーさんをちらちら見て、何か言いたそうにしているが、空気を読んだのか黙っている。偉い。前世の後輩は空気を読めなかった。
窓から差す光が、テーブルの上を横切っていた。
ぬるかったスープが、少しだけ温かい気がした。
――気のせいだろう。多分。
食堂を出て、午後の授業に向かう途中だった。
礼法教室の前を通りかかった時、中からヘルムート教授の声が聞こえた。
「……素行不良。食堂で生徒を威嚇、か」
扉が少しだけ開いていた。教授が机に向かって何か書いている。羽根ペンが規則正しく動いていた。
目が合った。
教授の目は灰色で、乾いていた。表情が読めない。
「クレーデル嬢。公爵家の令嬢が食堂で声を荒げるのは、いかがなものでしょうか」
「後輩が困っていたので」
「そうですか」
教授は羽根ペンを置かなかった。何かを記録し続けている。
それ以上は言わなかった。私も、それ以上は聞かなかった。
廊下を歩きながら、何か引っかかった。威嚇。そう書かれるのか。庇ったつもりだったけど、見方を変えればそうなるのか。
前世の停学処分の時と同じだ。助けたつもりが暴力沙汰扱い。
まあ、いい。今さら猫をかぶり直す気はない。
それに、あの端の席に座ってくれた人たちの顔を思い出すと、悪い気分じゃなかった。
ブレンナーさんの隣の椅子が、まだ温かかった気がする。
――気がするだけだ、多分。




