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帰りのバスの中

 お客さんが帰ってから、トシさんがテキパキとテーブルを拭いていた。

「おばあ、あっ、トシさん、やめて下さい! 僕がやりますから!」

 伯父さんが、布巾をさっと奪い、トシさんをカウンター席に座らせて、コーヒーを出した。

「いいのよ。好きでやってるだけなんだから」

「助かりました。本当にありがとうございました」

 私はカウンターで洗い物をしながら、トシさんと伯父さんが話しているのを聞いていた。

「飲食店で働いてた時期があったからね、結構苦にならないのよ。こういう仕事」

「ああ、15歳から働いたって言ってましたよね?」

「そう、その頃は工場でね。でもその工場が経営不振で働けなくなってからは、うどん屋さんの洗い場や旅館でお料理を運んだり……まぁ、サービス業が多かったわね」

 サービス業か……15や16じゃ雇ってはもらえないかな。やっぱりハローワークとかに行った方がいいのかな……。

「明日香、お疲れ様。ありがとう」

「うん。洗い物終わったよ」

「どうだった? ちょっとだけど働いてみて」

「どうって……」

「働くことってのはな、そんなに簡単じゃないぞ。中学出て、か弱い女の子が何して働くつもりだ?」

 私の心を読んでいたかのように、伯父さんが言った。

「でも……学校行くよりマシだもん」

「マシって。そんなに学校が嫌か……今も何かあるのか?」

「ないよ……もういじめとかないし、大丈夫だよ……」

「ならいいけど、誰か友達ができたらいいな。そうだ、ちゃんと友達作った方がいいぞ」

 「うん」とか言えなかった。「友達?」「作る?」無理だよ。だって誰かと仲良くなるのが怖いんだもん。

 前の学校では、仲の良かった子が急に敵になった。転校する時に「どうして私をいじめたの?」って聞いたら、ちいさく一言「分かんない」って言われた。「なんだよ、それ……」何度も呟きながら、そんなんならもう友達なんていらないって思った。でも、学校へ行っても行かなくても人間がいる限りいじめはあるから、社会に出るのも本当は怖いんだ。


「ねぇ明日香ちゃん、今日も送らせてよ。ちょうど家に行って持って来なくちゃいけないものがあるのよ。主人がね、退屈だから将棋盤持って来いって言うもんだから」

 伯父さんはお気遣いなく、と断ったけど、私はこれ以上伯父さんと話したくなかった。

「じゃあ、一緒に帰るね」

「待って、これランチの余りものだけどな、持ってけ」

 小さな紙袋を私に差し出した。

「ありがとう」

「明日香、また近いうち話そうな」

 小さく曖昧に頷いて、トシさんと一緒に店を出た。


「あの……私バスで帰るので……」

「じゃあ私もバスに乗るわ。今日は荷物も少ないし、ね!」

 結局一緒に帰る事になった。バスターミナルに行くと、もうバスが止まっていたので、すぐに乗った。

 トシさんは終点で降りるらしいので一番後ろの窓際に、私はその隣に座った。それほど人を乗せていないバスは間もなく出発した。

「最近のバスって小さくなったわよね」

 そんな事、あんまり気にしたことがなかったので、適当に相槌を打った。トシさんは、やっぱり他愛のない世間話をダラダラとしていたけど、いきなり、唐突に、デリカシーなしに訊いてきた。

「学校つまらない? 前の学校でいじめがあったの? だから高校へは行きたくない?」

「はい。学校はつまらないし、前の学校ではいじめられてました。高校はバカだから行きたくないんです」

 面倒なので一気に質問に答えた。

「それなら、バカでも入れるとこ、あるんじゃないの?」

「かもしれないけど、名前を書いただけで合格して入れるような高校に入っても、時間と学費の無駄じゃないですか。うちは父親もいないし裕福じゃないから、働いた方がいいんですよ」

 そんな事を話しながら思った。私、そんな事考えてたんだ。口に出して初めて自分の気持ちに気づくことってあるのかな。でもそれが本音なのかどうなのかも、本当は分からなかった。

「じゃあ、学費や時間が無駄って思うんなら、今から勉強して学費が無駄にならない学校に入るために勉強したら?」

「もう手遅れなんです。全然授業についていけてないんです。高学年の頃、一時期不登校の時期があって、それから授業が分かんなくなっちゃって……あっ、自分が悪いんですけどね……」

 あっ、いま可哀想な顔したかな。

 小学4年生の頃、ドッジボールで肘とおでこにケガをした。保健室で先生に包帯を巻いてもらって教室に戻ると「大丈夫?」ってボールをぶつけた子が寄って来て、そのとき他の子が私を見て「私って可哀想」って顔してるーって、凄く意地悪な顔をして言ってきた。どんな顔してたのか知らないけど、戸惑った。自分の事情を話したりした時、私はどんな顔をしてるんだろって……気になってしまい、思わず窓ガラスに映る顔を見た。

「私、可哀想な顔してましたか?」

 なぜかトシさんに尋ねた。

「えっ? それってどんな顔?」

 トシさんは不思議そうに笑った。

「別に……あっ、それよりもさっきの話し……」

 ちょっと慌てたみたいに話を戻した。

「何だっけ?」

「さっきは別に高校行かなくてもいいんじゃないって言ってたのに、何で急に行った方がいいって……」

「ああ、あの時は明日香ちゃんの味方がしたくなったからね。そう、何となく」

「何となくって……」

「あっ、でもね、さっき伯父さんのお店でしっかり働けてたから、だからやっぱり高校ヘは行った方がいいのかもね」

「それって逆じゃないですか」

「違うわよ。お客さんが一度しか言っていない注文を、間違わない様に取ってたじゃない。勉強は暗記でしょ? 何とかなるんじゃない?」

 呆れた。そんなんで勉強が何とかなるならこんなに悩んだりしないって……。はっきり言って、もう勉強の仕方すら、やる気すらないんだから。

「それにね、やっぱり勉強は若いうちにやっておいた方がいいと思うのよ、だってね……」

 気が付いたら結構バスの中には人が増えていた。トシさんはなぜか急に話すのをやめた。私は次、降りるのでブザーを押し、早めにドアの方へ行こうと席を立った。

「じゃあ、明日香ちゃん、また伯父さんの店に来るわよね? また会えるわよね」

「はぁ……たぶん……」

 とあやふやに返事をしてバスを降りた。

 窓際で手を振るトシさんに釣られて私も手を振った。

 もしおばあちゃんが生きていたら、たぶんトシさんくらいの年なのかな。前にタクシーの運転手さんと、孫がいたらね、とか話してたし。そんな事を考えながら、小さくなるバスを見送っていた。

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