憂鬱な日々
「またねー」
さっきまで一緒にいた、あのおばあさんの言葉が耳に残っていた。また会えるのかな? うーん、ちょっと煩いから勘弁かな……でもまた会えるような気がしていた。だって、伯父さんの店に通うって言ってたし。
家へ向かう道を歩いていると、マンションの前でお母さんがウロウロしているのが見えた。超挙動不審だ。
「お母さん、何してるの?」
「明日香、帰り遅いんだもん。心配になっちゃって……」
「伯父さんとこに行ってくるって言ったじゃん!」
ヤバい。ちょっと言い方きつかったかな、と気にしつつ顔を見ると、いつもより顔色は良いみたいだった。伯父さんから貰った卵サンドとサラダ、食べてくれるといいけど。
香りのいい、お母さんの好きなカモミールティーを入れて、卵サンドとサラダをダイニングテーブルに並べた。サラダはマカロニサラダだった。卵サンドは、ゆで卵を潰したものではなく、焼いた卵のサンドイッチだった。
お父さんの席の隣に腰かけて、お母さんはマカロニサラダを一口食べた。そして「美味しい」と少し笑った。良かった。やっぱり今日は調子が良さそうだ。
「じゃあ、私も食べようかな」
とお母さんの向かいに座った。
「お母さん、卵サンドが好きだったんだね。知らなかった」
「そうだったっけ……」
「伯父さんがそう言ってたよ」
「そんな時期があったかな?」
お母さんは何か思い出そうと、卵サンドをじっと見つめた。
「ああ、小さい頃……小学2年生くらいだったかな? お兄ちゃん……あ、伯父さんがね、こんな感じの卵サンド作ってくれたっけ……」
「そうなんだ」
「あのお店、昔はおじいちゃんとおばあちゃんがやってたでしょ?」
「うん」
「その頃、伯父さんは大学生でね、家を出て一人暮らしをしていたの。で、たまに帰って来た時、お店が忙しかったりすると、この卵サンドを作ってくれて……」
そんな昔話をしながら、お母さんは卵サンドを一口食べた。
「うん、美味しい」
私も一口食べてみた。
「そうだね。美味しい」
この卵サンドは、薄く焼いた卵が3枚入っている。1枚目と2枚目の間にはマヨネーズが塗ってあり、2枚目と3枚目の間には、ウスターソースとケチャップを混ぜたような、バーベキューソースっぽいソースが塗ってあった。ちょっとトーストしてある8枚切くらいのパンには、薄くバターが塗ってあり、食べやすいように一口サイズに切られていた。
「懐かしい……食べやすいように小さかったことは覚えてるけど、味はこんな感じだったかな……」
食べながら、お母さんは首を傾げた。
デイジーのゆで卵を潰した卵サンドは何度か食べた事があるけど、お店のより、この卵サンドは家庭的な味がした。
「ああ、そうだ……一緒に作ったこともあったっけ……」
お母さんは何か思い出したようで、うっすら涙を浮かべた。
「なに? どうしたの?」
「おばあちゃんがね、お店で出してるサンドイッチ、よく作ってくれたの。お昼やおやつにね。でも、食べたくないって駄々をこねた時期があってね。いつも忙しくしてるから……」
デイジーは、おじいちゃんが脱サラをして、お母さんが7歳になった頃に始めたらしい。最初の頃は忙しくて余裕もなかった為、おじいちゃんとおばあちゃんは、お母さんを構っていられなくなった。だから学校で嫌なことがあったりすると、話を聞いてもらいたいけど、聞いてもらえない。そんな時はちょっと拗ねておばあちゃんを困らせたという。
「お店の卵サンドは食べないって! 当然、お店のオムライスもカレーも食べたくないって言ってね……なら勝手にしなさいって怒られて」
よくお店の厨房で、お昼ごはんや晩ごはんを食べていたけど、段々それも嫌になった頃、ちょっとした寂しさから反抗的な態度を取っていたという。
「オムライス、カレー、ナポリタン? いいじゃん。小学生の頃に、そんなの毎日食べれたらよくない?」
「飽きるものよ。小学生だったけど、やけに焼き魚が恋しくなったもん」
「渋―い!」
「そんな時は、伯父さんが近所の定食屋さんに連れてってくれてね、焼き魚定食を食べさせてくれたわ」
「へぇ……優しいね」
「そう……優しいの。でも、昔は年が離れた兄妹が嫌で、お兄ちゃんより年の近いお姉ちゃんが欲しかったって思ったりしたけど……」
そう言った後、右の瞳から涙がポロリと落ちた。
「それで……今はこんなふうになって、迷惑かけて……」
「もう、やめてよ。またそのパターンになっちゃう?」
「でも……そうでしょ?」
「考えすぎだよ」
「……お母さんってね、子供の頃から結構わがままだったような気がするのよ」
「そうなの?」
「そう。結婚してからは、お父さんに対しても……」
たまに、昔の事を思い出していろいろと「反省」をし始める。どうしてそんな風になってしまうんだろ……。
前は「そんなことないよ」なんて言ってたけど、最近は黙って聞き流す。時々面倒になる。私も疲れてるし……。ごめんね、お母さん。
今のお母さんは、私が知っているお母さんとは違う。お母さんはちょっと天然っぽかったけどしっかりとしていて、私は心細さを感じる事はなかった。でもそれは、お父さんの存在があったからなんだよね。
心療内科の先生が言っていた「ゆっくり、ゆっくり焦らないで……」その言葉を心の中で言い聞かせるみたいに呟いて、隣のリビングに視線を向けた。
お母さんがいつもじっとしているせいか、部屋は散らかったりはしていない。でもちょっと埃っぽいし空気が悪いから、次の休みは掃除をしよう。自分の部屋もちゃんと掃除機をかけて……そんな事ばかり考える私って、やっぱり主婦っぽい。
「あっ、学校はどう?」
と急に我に返った様に話題が変わった。
「うん。別に普通」
楽しいとか、そんな嘘をつく余裕はなかった。
その時、机の中の「進路についての三者面談のお知らせ」のプリントが頭を過った。でも、今のお母さんにそれを見せる気にはなれなかった。先生に事情を話して、保護者抜きじゃ駄目か聞いてみよう。私には、まだお母さんに言えない事があるから。
そうだ……その前に期末テストがあった。
ああ……憂鬱だなぁ……。
憂鬱な事ばっかだよ。




