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哲生おじさん

 結局3日も休んでしまった。

 廊下側の一番後ろの席が私の席だ。教室の後ろのドアから、誰にも気付かれずに席に着くことができるので、私はこの席をとても気に入っている。

 席に着くと、前の席の学級委員、真田志保さんが元気に挨拶をしてきた。

「おはよう、小谷さん! もう元気になった? まだちょっと顔色悪い感じだけど、大丈夫?」

「うん、大丈夫……」

 と言いながら、元気がなかったのはお母さんだったんだけど……なんて心の中で呟いていた。でも私、顔色悪いんだ……確かにずっと眠りは浅い感じだけど……。

 机の中に教科書を入れようとしたら、中から大量のプリントが出てきた。

「うわっ! このプリントさぁ、先生が届けろって言ってなかったっけ? 村木?」

 隣の席の村木くんは真田さんの言葉を完全に無視していた。

「都合が悪いことは聞こえていないフリ?」

 村木くんの席の横に立った真田さんの後ろ姿は、華奢なのにどこか逞しく思えた。

「家がちょっとくらい近いだけで、届けろって言われてもさぁ」

「ポストに入れとくとか、それくらいできるじゃん!」

「じゃあ、真田が届けろよ。お前学級委員だしさぁ!」

「分かったわよ! 先生に村木が面倒くさいって言うから、私が届けますって言うわね」

「はぁ?」

 別にいいから……とか言いたい気持ちだったけど、知らない顔をするしかなかった。このクラスでなるべく存在を消して、そのまま卒業したいからだ。

「いつもと違って、テストの重要な事項が書かれたプリントとかあったじゃん! うちらさ、高校受験で大事な時期でしょ!」

 真田さんのその言葉に、急に村木くんは小声で反論していた。

「そんなの小谷には関係ないんじゃね? 成績超悪ぃし、テスト勉強なんてしないかもしれないし」

 いくら小声でも、隣の席だし聞こえている。私は聞こえていない振りをしてプリントをしまい、教科書を机の中に入れた。真田さんは後ろを向いたまま、顔だけ私の方を一瞬見て、気にしている様子だった。

 真田さんは黙っていられない様で、引き続き村木くんに文句を言い、村木くんは負けじと言い返していた。

 でも村木くんの言う通りだった。私はきっとテスト勉強なんてしないだろう。成績は多分、このクラスで一番悪いと思う。勉強しないと駄目だと思うけど、もう手遅れだった。授業の間、チンプンカンプンで、先生の言う事は理解できていない。最近は、遠くの方から小さくしか聞こえていないような感じだし。

 担任の大河内先生がドアを開けたのと同時に、真田さんと村木くんの会話は止まり、真田さんは席に戻った。

「村木、ムカつく」

 と私に小声で囁き、変顔をした後、「起立」の号令をかけた。なぜかその変顔に、ちょっと笑いそうになった。


 学校の帰り、伯父さんが経営している喫茶店「デイジー」に寄った。寄ったというより、わざわざバスに乗り、四十分掛けてやってきたのだ。伯父さんは話があると言っていたが、大体どんな話かは想像つく。

 「こんにちは……」と店の裏口から入ると、誰も座っていない、カウンターの一番隅の席に座った。

 店は純喫茶風で、8人座れるカウンターと、5つのテーブル席があり、伯父さんは一人で店をやっている。

「オレンジジュースでいいか?」

「ありがとう」

 伯父さんと話すのは苦手……でも嫌いとかではない。誰かと会話をするのが何というか、そう、おっくう? ていう感じで。

「明日香が良ければ、今は物置みたいになってるけど掃除したら住めるし、ここなら安心だろ?」

 お母さんが二回も救急車で運ばれた事を深刻に思い、店の上に住まないか? という提案をしてくれた。

「また……転校しなくちゃいけないし……」

「そっか……中学の間、二度も転校したら受験に響くか……」

「そういう訳じゃないけど……」


 中学1年の3学期に、今の中学に転校してきた。前の学校でいじめにあっていたからだ。小学校の高学年からのいじめが、中学に入ってからはなくなるだろうと思っていた。学区分けで、中心になって私をいじめてた子が、他の中学へ通うことが分かっていたからだ。

 でも、その中心になっていた子にいつも引っ付いていた子が、中学で同じクラスになり、まるで引き継ぐように私をいじめた。いつか飽きていじめられなくなるだろう。我慢しよう。大丈夫。そう言い聞かせた。でも、限界を超える事が起きて、もう耐えられなくなり、今の中学校に転校してきた。ここではいじめはない。でも、引っ越して間もなくお父さんを亡くし、お母さんが心を病んで、私にとっては問題が変わっただけだった。はっきりいって、毎日辛い。


「面倒くさい……」思わずそう言った私の頭を、伯父さんは「そっか、そっか」とポンと軽くたたいた。

「真紀、食欲ないって?」

「うん……あんまり食べてくれない」

「何食ってんだ?」

「前はお粥とかうどん……消化にいいかなって……他に肉じゃがとか作ってみたけど……凄く嫌な顔して食べたくないって……」

「そうか」

「でも、私が台所で何かやってると、お母さん嫌がるの……私に悪いって……何もできなくてごめんねって謝るの。だから今はスーパーでお弁当とか買って食べてる」

 うんうん、と頷いて伯父さんは話を聞いてくれた。私はここ数カ月何もしなくなったお母さんに代わって家事をしてきた。お料理はあんまり出来ないから、大したものを作れなかったけど。

「じゃあ、これ持ってって」

 と小さな紙袋をカウンターに置いた。

「卵サンド。真紀が好きなものって、これくらいしか浮かばなくて」

「ありがとう、伯父さん」

「あっ、サラダも入れといたから」

 伯父さんとお母さんは、まあまあ年が離れている。確か、十二、三くらい、かな。お母さんが生まれた時、伯父さんはもう小学校を卒業する頃で、お母さんが小学校を卒業する頃はもう伯父さんは働いていた。お母さんが高校を卒業する頃、伯父さんは結婚していて、お母さんが結婚した頃、伯父さんは離婚していた。別れた奥さんとの間の子には、訳あって会わせてもらえなくて、ただ養育費を払い続けてるって、ちょっと聞いた事がある。


 伯父さんが出してくれたオレンジジュースを飲み終え、「じゃあ……」と席を立った時、誰もお客さんがいないと思っていた店内に、見覚えのあるおばあさんがいた。一番隅のテーブル席に、観葉植物の大きな葉っぱに隠れて見えなかったようだ。

 おばあさんは席を立ち、伝票を持ってこちらに向かって来た。

 一瞬動きを止めると、目が合った。

「あれ? もしかしたら……病院で会った子?」

 そうだ、あの救命救急センターの廊下で会ったおばあさんだ! 何でこんなとこにいるの?

 伯父さんはカウンターの中で私とおばあさんを交互に見た。

「あの時は本当に助かったわ」

「……いいえ」

「あっ、そうだわ。何もお礼をしていなかったから、何か注文してよ!」

「いえ、もう帰るので」

「いいじゃない。そうだ、ナポリタン? あっ、さっき食べたサンドイッチもおすすめよ!」

「いえいえ……」

「明日香、知り合い?」

と伯父さんがおばあさんの勢いを止めた。

 私が説明しようとしたら、先におばあさんが病院での出来事を話し始めた。ちょっと大げさに。

「ほら、病院へ出す書類あるでしょ? 身内の連絡先を書く欄があってね。でも娘が越してから新しい住所、覚えてなかったのよ! でね、その日に限って娘は出張中で、慌ててたから老眼鏡も携帯も忘れてて、だからこの子がいてくれて助かったわー」

「そ、それはお役に立てて良かったです」

 押され気味の伯父さんは少し顔が引き攣っていた。

「あ、それじゃあ伯父さん、帰るね」

 おばあさんにペコリと会釈をして帰ろうとしたら、伝票とお金を出し、お勘定を素早く済ませ、今度は家まで送って行くと言い出した。

「椿通二丁目? 私の家はその先なんだけどね。よかったー通り道で!」

 強引な感じで、いつの間にかあの日みたいに腕を掴んでいる。ちょっと困った。

「だ、大丈夫です」

「ねぇ一緒に帰りたいのよー話し相手になってよ」

 次はちょっと甘えたようになった。

「じゃあね、伯父さん」

と私は逃げるように店を出た。おばあさんは店を出て、駅に向かう道まで追いかけて来た。すると、まるでドラマみたいに、タイミングよく来たタクシーを止めた。「い、いいです」と言う間もなく、ほぼ無理やり私を乗せた。


 おばあさんは、タクシーが出発してすぐに話はじめた。

「あの日の夜、階段から落ちてね」

「えっ?」

「あっ、うちの主人」

「ああ……そうなんですか……」

「でね、骨折しちゃってて、そのまま入院してしまったの。明日香ちゃんのお母さんはどう?」

「だ、大丈夫です……」

 明日香ちゃんって、何だかフレンドリー過ぎない?

「あの病院って、家からだと不便なのよ。だからね、娘のマンションに暫く居候しようと思ったの。電車一本で行けるし便利だしね」

 話しながら合間に、何が可笑しいのか、フフフと笑う。おばあさんのクセ?

「それでね、今から家に戻って身の回りの物を持って……そうそう、あの喫茶店素敵ね。純喫茶みたいな感じで……居候してるうちは毎日行こうかしら」

 呼吸してる? よくしゃべるなぁ……。伯父さんの店の近くに娘さんが住んでいて、そこで居候するって? 娘さん大変かも。

 それから、最近食べた美味しいお菓子の話や、近所の野良ネコが庭に糞をして困っているとか、やっぱり合間にフフフと笑いながら話すので、私はただ聞いているしかなかった。というか、半分くらい聞いていなかった。

「お客さん、僕の母親と同じ位ですかねぇ?」

 タクシーの運転手さんがいきなり話に入ってきた。助かった。

「まさか。運転手さんのお母様はまだ六十代でしょ」

「六十五歳です」

「嫌だ、私はそんなに若くないわよ。七十代だし」

「いやぁ本当ですか、そんな風には全く見えませんよー」

「あらまあ」

 なんだそれ。でも、確かにおばあさんというより、まだおばさんに近いおばあさんかも。背筋もピンとしてるし、身長も昔の人の割には高い方かもしれない。155センチの私と同じくらいだし。

「ねぇ、そう思うでしょ?」

急に話しを振られて驚いた。「はぁ……」としか言いようがなかった。

「お孫さん、だと思ったけど……話し方からして違いますかね」

「ああ、こんな可愛い孫がいればいいけど、うちの娘、結婚しないで仕事ばかりしてるからね」

「キャリアウーマンってやつですか? カッコイイですね」

「そんないいもんじゃないわよ。部屋は汚いし、ガサツなの。ああ、でも年取ってから授かった子だから、ちょっと甘やかして育てたとこあるのかもね……」

 そのまま、おばあさんの娘さんの話と、運転手さんの幼稚園に通う子供たちの話を何となく聞いていたけど、今日はどうして知らない人とタクシーに乗ってるんだろ……変なの……なんて考えているうちに、そろそろ家の付近だった。でも、あんまり楽しそうに話しているから、ここで止めて下さいって言いづらかった。

「あっ、この辺?」

何か感じ取ったみたいに、おばあさんは言ってくれた。

「は、はい、このあたりです」

 タクシーが止まると、私はおばあさんに「ありがとうございました」と言って、開いたドアに片足を出した。

「私が無理やり乗せただけだから、お礼なんていいのよ」

 と相変わらずの笑顔だった。

 「じゃあ……」と小さく会釈をし、タクシーを降りようとした時、急にあのミルクキャラメルの事を思い出した。

「あっ! キャ、キャラメル!」

「えっ? キャラメル?」

「あの……あの日、貰ったキャラメル……」

 おばあさんは、何か思い出したように、なぜか謝った。

「ご、ごめんなさいね、あれね、いくつか食べたのよ。後で気が付いて、失礼な事したなって思ってて……」

「いいえ、助かりました」

「助かった?」

「いえ……お、美味しかったです……それじゃあ、ありがとうございました」

 タクシーを降りて、少し小走りになり、曲がり角で何気なく振り返ると、タクシーがまだ止まっていた。

「またねー」

 窓から笑顔のおばあさんが明るく手を振っていた。

 思わず私も胸の辺りで小さく手を振り返した。ちょっと照れながら。

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