真田さんのファイル
どうでもいいけど、隣の席の村木くんはずっと休んでいた。もうすぐ夏休みだし、二学期になったら何もなかったように登校するつもりなんだろう。
放課後、帰ろうとして支度をしていたら、真田さんと西尾さんが私の席に並んで立った。
「小谷さん、前さ、他のクラスの女子に何か言われてたでしょ? 大丈夫だった?」
真田さんがどこかで見ていたらしい。
「ああ……うん、大丈夫」
「志保と話してたんだけど、村木にガツンと言ってやんない?」
西尾さんが珍しく怒り口調だった。
「そうだよね? やっぱり謝ってもらわないとね!」
その時、買い物へ行く途中に見た、村木くんの姿が浮かんだ。顔色も悪くて、痩せた横顔だった。
「ありがと……でももういいよ……」
真田さんと西尾さんは「はっ?」っていう顔をした。だけど……。
「でもさぁ、小谷さん……」
思わず西尾さんの言葉を遮った。
「追い詰められてたのかもしれない……成績が落ちて……自殺しようとしてたって……」
「まさか! あいつ昔からそんなこと考える奴じゃないって、超ふてぶてしいんだから」
真田さんが厳しい口調で言う。
「そうだよ、私なんてあいつにしょっちゅうまた太ったんじゃね? とか言われてさぁ」
「そうそう、デリカシーがゼロなんだよね」
「でもさ、自分は成績がいいから、うちら女子に一目置かれてるって勘違いしてんのよ!」
「マジで? あいつ絶対将来ハゲると思う。三十代で! そんな毛根してるもん!」
村木くんへの悪口は止まらなかった。ハゲるかどうかは分からないけど。でも、ほぼ頷けるような? 感じだった。
「だから、小谷さん! 言おう!」
と真田さんは言うけど……。
「わ、私も村木くんは苦手だけど……でも、人なんて何をどう悩んでるか分からないし、ひょっとしてかなり辛かったのかもしれないし……友達にも相談とかできなくて……あっ、友達とかもいなさそうだし……」
そんな事、言うつもりはなかった。友達いないのは私じゃん、とか小さく突っ込みを入れた。
それに今ここで、一緒に悪口とか言ったら先生に疑われた事とか発散できたのかもしれないのに……だけどそんな事は言えなかった。
「ごめんね、せっかく……」
そう言って逃げるように教室を出た。真田さんと西尾さんはきょとんとした顔をしていた。
まずい。何よ、味方してやってんじゃん! 小谷さんいい子ぶって! とか思われたかも。私のこういう所がいじめられる原因? 違う違う。前はあんな風に思ったりしなかった。たぶん、友達が味方をしてくれるなら、自分が間違っていないんだったら、きっとガツンと言っていただろう……ガツン……ガツンって?
もしかしたら嫌われたかも……明日から無視とかされる? でもすぐ夏休みだから大丈夫かな。
終業式の日、お母さんが先に伯父さんの店に行くことになっていた。店が休みだから迎えに来てくれるというので、伯父さんに甘えることにした。だから今日は学校からそのまま伯父さんの店に向かう予定だ。
相変わらず朝は真田さんの「おはよう」があると思ってたけど、真田さんはまだ来ていなかった。珍しく先生が来る寸前に西尾さんと教室に入って来た。慌てているので「おはよう」とは言わなかった。まさか、私が村木くんの事を庇う? みたいな発言をしたからやっぱり嫌われた? 違う。そもそも嫌いになるほど深い関係じゃない。友達じゃないんだし……。
先生から通知表を渡され、夏休み中の予定や注意事項などを聞くと、あっという間に終業式は終わった。勿論、夏休みには補習に出る様に言われている。教室を出ようとしたら、真田さんと西尾さんが追いかけて来たのでドキッとした。
「あのね、余計なお世話かもしれないけど…」
と真田さんが、ファイルをいくつか差し出した。
「これ、高学年の頃のノート。自慢じゃないけど、超分かりやすく書いてあると思う……うーん、でも、分からないとこがあったら言ってね」
ファイルを何となく受け取り、戸惑って2人の顔を交互に見た。
「どうして?」
「深い意味はないからね。えっとね、私のお姉ちゃんが昔病気で学校休みがちだったの。だから一時期勉強が遅れてて……だからそのファイル、私がお姉ちゃんと一緒に勉強してた時のノートなんだけどね」
ファイルを開くと、キレイな字で赤ペンとか付箋で「重要!」とか書いてあった。勉強をしっかりやっている子が作ったノートだ、と思った。
「私が志保に相談したの。小谷さんと一緒の高校行きたいって思ったから!」
「えっ? 西尾さん? 私は……」
高校へは行かないって言おうとしたけど、西尾さんが少し恥ずかしそうに私を見ているので言えなかった。
「昨日さ、村木の事、あんな風に言ってたでしょ? 何かさ、小谷さんの人の気持ちを分かろうとする気持ち? 思いやり? なんていうか……だって嫌な思いさせられたのに……なんだろ、私ね、あの時、小谷さんって、いいなぁ……とか思ったっていうか……」
何言ってんだろ。よく分かんないけど。でも褒めてくれてるんだよね。
「志保とはね、逆立ちしても一緒の高校へは行けないの」
「そんな事はないでしょ? ユズが今から頑張れば……」
「無理だよ。あっ、ごめん、小谷さんとだったら成績がどっこいどっこいだからって訳じゃないからね」
「そんな……成績は西尾さんの方が全然いいでしょ?」
自然に会話が出来ている様で安心した。西尾さんはあんまり勉強が得意じゃない事は何となく分かる。でも、いつも思いっきり笑う顔が素敵だなぁ……なんて思っていた。
「一緒の高校とか行かなくても学区が一緒だし、卒業しても会えるじゃん」
真田さんの言葉にドキドキした。卒業したらもう、道端で会っても知らない顔をして過ごすんだろうと思ってたから。
「でさ、どうせ補習来るでしょ? その時さ、気が向いたらうちのお寺の本堂においでよ。一緒に勉強しよ!」
「ユズは小学生と遊んでばっかで全然勉強しないじゃん」
「何言ってんの。最近小学生も相手にしてくれないよ!」
そう話しながら、「じゃね」と言って二人は帰っていった。その後ろ姿を見ながら、私が友達と呼べる子と帰ったり喋ったりしてた時っていつの頃だったか……思い出せないくらい昔だった様に感じた。
バスに乗るとすぐに一番前の席に座って、真田さんからのファイルを開いて見た。
ああ、真田さんはやっぱり勉強ができる子なんだ……と改めて感じた。目を通していると、何だかこんな私でも理解できるような気がしてきた。
このファイルで勉強して、勉強についていけるようになったら、何かが変わるだろうか? 今日あの二人と話していて、もっと話したいと思った。でも、今一歩踏み込めない。やっぱり怖いんだ……どうしよ……。
「何? お勉強?」
気が付いたらトシさんが隣に立っていた。同じバスに乗っていたなんて、ちっとも気が付かなかった。
「家に荷物を取りに行っててね」
と後ろの席に座った。
「前は、ごちそうさまでした」
「いいのいいの、また遊びに来てね。唐揚げ作ってあげる」
「唐揚げ?」
「若い子はみんな唐揚げが好きじゃないの?」
「はい……好きは好きですけど……」
スーパーの唐揚げ弁当を食べてばかりで、ちょっと飽きているなんて言えなかった。
「もうそろそろね、主人が退院するの」
「ああ、よかったですね」
「でもね、嬉しさ半分だわ」
「半分?」
「だって結構この生活も楽しかったからね。あらあら、不謹慎不謹慎!」
トシさんは、フフフと笑った後、いつもの調子で話し続けた。
「ああ、勉強の邪魔しちゃダメね。明日香ちゃん、もう話しかけないからね! あっ、そうだ、勉強するんなら、私の娘ね、大学時代に塾の先生とか家庭教師のアルバイトしてたの。もしよかったら店に行った時とか教えてもらったら?」
「……ありがとうございます」
前だったらいいですって言ってたけど、高校に行くとか行かないとかじゃなくて、やっぱりこのまま勉強しないで卒業するのが嫌だと感じ始めていた。
「あの……夏休みの間は伯父さんのとこにいるんです。母と一緒に」
「そうなの? ならお母さんにお会いできるのね」
バスを降りて一緒に店に向かった。
私がトシさんを紹介するとお母さんは深々と頭を下げた。
「いつも明日香がお世話になって。兄からいろいろ聞きました。あの、すみません、学校へも行って下さったそうで……」
「いえいえ。私が勝手に行きたくて行ったんだから」
「そんな、ご迷惑をおかけして……」
お母さんとトシさんは、同じような会話を繰り返していた。
お昼の冷やし中華をカウンターに並べて、伯父さんが立ち話をしている私たちを呼んだ。
「話は後にして食べて下さいよ」
「あら、お店がお休みなのにいいの?」
「どうぞどうぞ。トシさんはお客さんというより、もう身内のようなもんですから」
伯父さんがそんな事を言ったら、トシさんは「まぁ!」とどこか嬉しそうな、照れくさそうな顔をして笑った。
カウンターに並んで、ズルズルと、誰かとご飯を食べるなんて久しぶりな気がして、素直に楽しかった。でも、お母さんが楽しそうにしていたのが、何よりも嬉しかった。




