耳鼻咽喉科のおねえさん
学校の帰り、バスに乗っていた。
私がバスに乗るのは、伯父さんの店に行く以外ない。
町内会の集まりで、大量のサンドイッチの注文を受けたらしく、それを作るのを手伝ってほしいとの事だった。お母さんが行くって言ってたけど、やっぱり調子がイマイチらしく、結局私が行く事になった。
バスはそんなに混んでないし、程よく冷えていていい。外を眺めてのんびりとしていたら少し眠くなってウトウトしていた。
ドアが開く音がピーっと鳴って、誰かが乗車してきたようだった。コツコツとした足音は、私の前で止まった。席は空いている筈。でも私の前に立っているようだった。うっすらと目を開けると、ジーンズにシャツ姿の綺麗なおねえさんの姿があった。
「あれ? やっぱり!」
そう言うとおねえさんは、私が座っている前の席に腰かけた。
この目、見覚えのある目だった。そうだ、思い出した。
「えっと……救命救急で?」
「そうそう!」
私の事、覚えてたんだ……何でだろ。母親が二度も救命救急にお世話になったから? それとも、私の身体から悲壮感が思いっきり出ていて、目に焼き付いていた? とか。
「救命だけじゃなくて、他でも会ってるのよ。覚えてない?」
そうだ、小学生の頃通ってた、耳鼻咽喉科の受付のおねえさんに似てるって、救命救急の廊下で思ってた。
「もしかして、耳鼻咽喉科……おねえさん?」
「覚えててくれた? でもおねえさんって! もうそんなに若くないわよ。でも嬉しい」
ガハハハッて笑うから、私も釣られてハハハッと笑っていた。
「あの頃小学生だったでしょ?」
「はい」
「あんまり顔、変わってないもんね」
小学生の頃、通っていた耳鼻咽喉科で、受付のおねえさんは人気があった。混んでる病院内で泣いたりしてる子を上手にあやしたり、お年寄りにも優しかった。
耳鼻咽喉科では、明るいおねえさんで、救命救急では、テキパキとした看護師さんだった。今こうして話していると、同じ人に見えない。
「どこで降りるの?」
「野際町です」
「塾か何か?」
「いいえ。伯父の所へ行くんです。ちょっとお手伝いに……」
「手伝い?」
「喫茶店をやってるんです。今日はたくさんサンドイッチを作るらしくて」
「へぇ、偉いね!」
「いいえ、そんなことないです」
しっかりとした口調で褒めてくれるから、ちょっと照れた。
「で、あれからお母さんはどう?」
お姉さんは急に看護師さんの顔になった。
「あっ……元気になりそうでなりません」
「そういうもんよね」
「はい……私が進路の事でストレスを与えてしまったから、余計」
「そうなの? ああそういう時期か……受験生?」
「受験生じゃないです……私……高校は行きませんから」
「そっか」
高校は行った方がいいよ、とか、何で行かないの? とか聞かないんだ。ちょっと構えていたので拍子抜けした。
「私は高校中退してる」
「えっ!」
「フラフラしてたけど、今は何とかやってるしね。若いうちは色々あるよね? あっ、年取っても色々あるけど……」
そう言って、一瞬黙った。
「えっと……小谷……」
「小谷明日香です」
「じゃあ、明日香ちゃん?」
「はい」
「自分の気持ちを抑えてばかりじゃ、駄目だよ」
「えっ?」
「あの日、病院の廊下でね、心配だった。気を凄く張ってて、険しくて……」
そうだった……他の人に心配とか同情をされたくなかった。あの夜は、凄く頑なだったような気がする。
「ひとりで抱え込まないで。我慢し過ぎないことだよ。私なんて親に迷惑ばっかかけてたわよ!」
「そうなんですか」
「バイクで大ケガして入院した時はさぁ、もう親に泣かれて泣かれて……」
まさか、こう見えて元ヤン?
「しかもバツイチ」
おねえさんは、なぜかあれこれと、自分自身の事をざっと話してくれた。
早く結婚して親に孫の顔でもみせようと、退院した後に当時交際中だった人と結婚した。でも、うまくいかなかったようだ。それは、おねえさんにはどうしてもやりたい仕事があったみたいで……。
「あるあるなんだけど、私、入院した時、色々やってくれた看護師さんに憧れてね、ずっと考えてたの。私も看護師さんになれないかなって……でも真面目に勉強なんてした事なかったし、高校も中退してるでしょ?」
今のおねえさんからは想像できなかった。
「ダンナは……あっ元ダンナはね、反対したのよ。今更……あ、その時22歳だったの。でね、今更学校に通って看護師なんて無理だって。で、ケンカして離婚。ま、理由は他にもあったんだけどね……あいつ、トイレの便座戻さないし、隠れてキャバクラにばっか行ってたし……あっ、ゴメン余計な事だね」
何と言ったらいいのか分からず、黙って話を聞いていた。
でも、どうしてそんな話、私にしてくれてるんだろ。
「だからね、看護師になるまで6年かかったのよ。我ながらよく頑張ったわ! でも、実は血を見るのが怖くてね、慣れるまで大変だったー今は平気だけど!」
おねえさんは、次で降りるらしく、ブザーを押した。
「ま、どうでもいい話、でした」
もしかして、私が進路で迷ってるって思って話してくれたのかな?
「じゃあまた……あっ、会っちゃマズいか。病院以外の所で会えたらいいね」
「あ、はい」
「そうだ、喫茶店なんていうの?」
「デイジーです」
「じゃあ今度行くね」
と席を立って、出口へ向かおうとしたけど、すぐに戻って来て、カバンからビニール袋に入った桃を2つくれた。「貰いものだけど、お裾分け。伯父さんと食べて」とバスを降りた。
本当に店に来るのかな? 社交辞令ではなさそうだけど。




