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トシさんの涙

 休み時間に、寝たフリをしてうつ伏せになってたら、真田さんと西尾さんが村木くんの話をしていた。

「村木って入院したらしいよ」

 真田さんが小声で話したら、「マジで!」と西尾さんの驚いた声が聞こえた。そういえばここ2、3日休んでいたようだ。別に気にしていなかったけど、そうか、入院してたとは。

「小谷さん、いますか?」

 どこからか呼ぶ声がする。顔を上げるとドアから顔を出し、日直の女子がこちらを見ていた。

「先生が呼んでるよ。職員室」

 真田さんと西尾さんと目があった。西尾さんはちょっとふざけて「何かヤバイことやったの?」と言って笑った。リアクションに困り私は、「さぁ……」と小さく首を傾げて教室を出た。

 多分、いや、絶対進路の事か成績があまりにも悪いので夏休みに補習に出るように、とかの話だろう、と思って職員室へ行った。でも……。


「薬……」


 私は驚いて次の言葉が出なかった。大河内先生は私が村木くんに睡眠薬をあげたんじゃないかって問い詰め始めた。

「睡眠薬、確かに持ってたよね。持ち物検査の時、先生確認してるから」

「はい。それは先生に事情を話して分かってもらいましたよね?」

「でも、まさかそれを村木にあげるなんて……」

「あげてません。どうしてそんな事?」

「それを飲み過ぎて、救急車で運ばれて意識がなかったようだ。でもすぐに意識が戻って話を聞いたら、隣の席の子に貰ったって言ってたらしいんだよ」

「知りません」

 あっ、確かにちょっと前に睡眠薬の数が合わなくておかしいって思ってたんだ。お母さんに余分に飲んだのって聞いたら不機嫌な顔をされたっけ。

「とにかくお母さんに連絡をとって来てもらって……」

「待ってください……母を呼ぶのはちょっと……伯父に来てもらってもいいですか?」

 今、お母さんにそんな話をする訳にはいかなかった。

 さっきの西尾さんが「何かやったの」っていう冗談が洒落にならないって思えた。


 放課後、教室で大河内先生と向かい合って座り、伯父さんが来るのを待っていた。

 先生は一見とても優しそうな好青年という感じの人だ。たぶん30歳くらいで、指輪とかしてないから独身だろう。私にとってはそんなに話しやすい先生じゃない。前の学校の先生もこんな感じだった。

「村木、最近よく眠れなかったらしい。だからよく眠れる薬を勧められたって…」

「だから私は……」

 言おうとしたけど、もう言いたくなくなった。

「失礼します」と聞き覚えのある声がした。トシさんが教室に入って来て頭を下げていたから驚いた。

「トシさん……」

「遅くなりました。ちょっとお店が忙しくなりましてね。私でよければ話を」

「あっ、おばあさんですか?」

 ニッコリとトシさんは笑った。

 どうしたの? とか聞こうとしたけど、やめた。とにかく今は事情を分かってもらって早く帰りたかった。

 先生の、最初から私を疑うような感じの説明を、トシさんは黙って聞いていた。

「じゃあ、その村木くんっていう子が睡眠薬をこの子から貰ったと言っているんですね」

「村木と小谷は席も隣同士ですし、家も同じ方向なので…」

「仲が良かったの? 明日香ちゃ……明日香?」

「別に仲良くなんてないけど……」

「でも、休んだ時プリントとか届けて貰ったりしてただろ?」

「いいえ。家になんて来た事ないです。席は隣ですけど話した事もないです」

「でも村木は……」

「ちょっと待って下さい。先生は最初から明日香だけを疑ってますよね?」

「そういう訳じゃ…」

「なら、信じてくれてます?」

「ただ村木の御両親は、貰った方もあげた方も悪いから、今回は大袈裟にしたくないとおっしゃっていて」

「それはどういう事ですか?」

「だから、こちらからしっかりと注意しておいて欲しいと…」

 もう言葉が出て来なかった。最初から私の言うことなんて聞く気ないみたいだし。

「小谷は、お父さんが亡くなられて、お母さんは病気で辛いと思う。でも今回は大事には至らなかったけど、もしもの事があったら……」

「すみませんでした」と言って席を立った。もうここにはいたくなかった。

「もう面倒だし、いいです。大体、薬なんて持ち歩いてた私が悪いんです」

「まぁそうだな」

「もう帰っていいですか?」

 行こうとしたら、トシさんが私の左ひじを掴んだ。

「ダメよ。薬をあげてなんていないんでしょ?」

「もういいよ」

「あっ、そうだ。話は変わりますが、成績の事でちょっとお話が」

「勝手に話を変えないで下さい!」

 少しトシさんが怒り口調になった。

「今回の期末、小谷はクラスで一番成績が悪かったんです」

 怒ったトシさんの事なんて完全に無視して話を続けた。

「伯父さんにも電話でお話したけど、高校は……」

「行きません。私の事なんて気にしないで下さい。適当に通学して、さっさと卒業しますから」

 出て行こうとする私の左ひじを更に強くトシさんは掴んだ。

「先生、この子は自分に自信がないだけなんです。きっとやれば出来る子なのに……先生は出来のいい子ばかりしか見てないみたいですけど」

「そ、そんな事はありません」

「あの……ご存知だと思いますが、この子は、前の学校でずっといじめにあっていて、高学年の頃、不登校だった時期があったんです。それから勉強が後れてしまって……」

「知っています。でも、小谷はそれを言い訳にしてるよね? 学校の授業は出来ない子に合わせてやる訳にはいかないんだよ。それくらい分かるね」

「先生、そんな言い方しなくても……未熟な年頃じゃないですか! こんな時こそ、周りの大人がちゃんと見ていてあげないと」

「もういいから」

 とトシさんの掴んだ手を右手で離して、先に教室を出た。トシさんはすぐに追いかけて来た。

 教室を出るとそこには、真田さんが立っていた。何か教材を持ち、中に入ろうかとウロウロしていた。

 多分、今の話を聞かれた。でもそんな事どうでもよかった。早く学校から出て行きたかった。

「話、終わったから」

「う、うん……バイバイまた明日ね」

 気まずくて殆ど目を合わさず廊下を早歩き。感じ悪かったかな。

「明日香ちゃんのお友達? これからも仲良くしてね」

 後ろから愛想よく話しているトシさんの声がした。


 校門を出ると、暫く歩いた。急に恥ずかしさや情けなさが溢れてきて、トシさんの顔を見れなかった。

 でもその時、トシさんが風邪をひいていた事を思い出して、慌てて振り返った。

「あっ、ごめんなさい。トシさん風邪ひいてたのに……」

 私に追いつこうとトシさんは少し走っていた。

「そんなのもう平気よ。それより勝手に学校に来てごめんなさいね。マスターが行くって言ったけど、無理やり……何か気になってね」

「今日はありがとうございました。それじゃあ……」

「じゃあ、じゃないわよ! 待って!」

 行こうとした私を引き止めて、とても真剣な顔をした。

「明日香ちゃん。どうして謝ったりしたの。薬なんてあげてないんでしょ?」

「別に……もういいんです……」

「よくないわよ」

「いいんです。私が悪いんです」

 私、ちょっとふてくされてる? それともいじけてる?

「ねぇ、何で仕方ないとか別にいいとか言うの? そんな全てを諦めてる様な顔、何でするの?」

 そんな顔してるんだ私……そうだよね。でも本当は自分でもよく分かんないんだよ。

「私はね、明日香ちゃんに、もっと自分の人生を大切にして欲しい……そんな投げやりにならないで!」

 トシさんの声が震えていた。まさか、泣いてる? 目に涙が溜まっているのが見えた。

「どうして、トシさんが泣くの?」

「ごめんね……何か悲しくて……」

 自分の孫でも親戚でも近所の子でもない私の事を心配して泣いている人がいる。これってなんだろ。同情、哀れみ? とは違うように感じる。だったら何だろ。

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