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3,入浴のために、ちょっとダンジョンを制圧してきます

 王都を追放されて十日。

 わたくしを乗せた護送馬車は、地図からも抹消された北の荒野を進み続けました。日を追うごとに、空気は重くなり、空の色は青から灰色へ、灰色から毒々しい紫へと変わっていきます。

 道中、三つの村を通過しました。

 最初の村は、まだ人が住んでいました。

 次の村は、廃墟でした。

 三つ目の村は――村があった痕跡だけが残っていました。建物も、道も、井戸すらも、何もかもが「溶けた」かのように、地面に染みのような跡を残すだけ。

 護送の兵士たちは、一人、また一人と脱落していきました。

 最初は五人いた護衛が、三日目には三人に。五日目には一人に。彼らは逃げたのではありません。単純に、耐えられなくなったのです。瘴気に。恐怖に。あるいは、自分の中で膨れ上がる「何か」に。

 七日目の朝、最後の兵士が泡を吹いて倒れました。

 わたくしは彼を馬車に乗せ、後方の安全地帯まで戻しました。往復で丸一日のロス。

 でも、人を見殺しにするのは、後味が悪いですから。汚れた気分になります。


 そして十日目。

 人の影響が及んでいるギリギリの地、いわゆる「死の境界線」で、馬車はついに足を止めました。

「お、降りろ!」

 御者の男が、血走った目でわたくしを睨みつけます。彼の顔色は土気色で、手は小刻みに震えていました。

「ここから先は人間が住む場所じゃねえ! 俺はもう一歩だって進まねえからな!」

「あら。それではごきげんよう」

 わたくしが馬車を降りると、御者は鞭を振り上げ、狂ったように馬を走らせていきました。砂埃が舞い上がります。

 ……ゴホッ。マナーのなっていない方ですこと。


「やれやれ。王家の御者は、客の扱いも知りませんな」

 砂煙の中から、涼しい声が響きました。燕尾服の埃を払いながら現れたのは、わたくしの執事、グリムです。

 骸骨の顔を持つ老紳士。といっても、今は魔法で人間の姿を被っていますが。

「グリム、大丈夫でしたの?」

「ええ。馬車の屋根にしがみついておりました。お嬢様の結界のおかげで、この老骨も無事でございます」

 彼はわたくしが唯一、実家から連れ出した従者です。表向きは元・宮廷筆頭執事ですが、その正体は五百年前の魔王軍幹部、伝説の不死王ノーライフキング。百年前にリリウム家の先祖に封印され、以来、三代にわたって我が家に仕えています。

「グリム。お茶の時間は後にして、まずは現状確認ですわ」

「畏まりました」


 わたくしは深紅のワンピースの埃を払い、周囲を見渡しました。

 そこは、この世の終わりのような場所でした。

 空は毒々しい紫色に染まり、太陽の光は分厚い雲に遮られています。地面はヘドロのようにぬかるみ、そこかしこから黄色い硫黄の煙が吹き出していました。遠くでは、形容しがたい「何か」の咆哮が、地鳴りのように響いています。


「……くさっ」

 わたくしは思わず、ハンカチで鼻を覆いました。 何でしょう、この臭い。生ゴミと排水溝のぬめりを混ぜて、夏の炎天下で一か月放置したような……強烈な不快臭。

 いえ、臭いだけではありません。空気そのものが重いのです。肺に入ってくるたびに、内臓が軋むような圧迫感があります。


「お嬢様、計測いたしました」

 グリムが片眼鏡モノクルの位置を直しながら、淡々と告げます。

「大気中の瘴気濃度、致死レベルの四・七倍。空間歪曲係数、危険域を超過。精神汚染強度、常人なら三秒で発狂するレベルですな」

「なんと! 換気が……換気が足りていませんわ! ここを管理している自治体はどこですの!?」

「存在しません。ここは人類の領域外ですので」

 わたくしは即座に、愛用の日傘――【対空防御結界傘】を開きました。

 バヂヂヂッ!

 傘の表面で、酸性雨と瘴気が弾ける音がします。紫色の液体が、パチパチと音を立てて蒸発していく。やっぱり、傘を持ってきて正解でした。

「グリム、貴方も入りなさい。スーツが傷みますよ」

「お気遣い痛み入ります。……では、失礼して」

 老執事は優雅に一礼し、わたくしの傘の下へ入りました。

 ぬかるみに足を取られないよう、二人して浮遊魔法で三ミリほど地面から浮きながら進むこと数十分。濃霧の向こうに、巨大な建造物が姿を現しました。

「黒のサルコファガス」。

 古代文明が建造したとされる、人類最後の禁域。千年前、七人の大魔導師が命と引き換えに封印した、「世界の汚物」を処理するための最終処分場。

「まあ……なんて悪趣味なデザイン」

 それは遺跡というより、黒く脈打つ金属の塊でした。壁面には血管のようなパイプが走り、そこから絶え間なく汚水が垂れ流されています。建物全体が、まるで一つの生き物のように、ゆっくりと呼吸しているかのようでした。

「グリム。この建物、生きていますわね」

「ええ。古代の生体建築でございます。壁も、床も、天井も、全てが有機金属で構成されている。いわば、巨大な『胃袋』のようなものですな」

「胃袋……」

 わたくしは、建物を見上げました。黒い壁面には、無数の染みが浮かんでいます。よく見ると、それは人の形をしていました。壁に取り込まれた、かつての侵入者たちの成れの果て。

「……お掃除が必要ですわね」

 そして、その入り口には――「彼」がいました。

『ググ……ガァァァァ……』

 それは、数多の死体を継ぎ接ぎして作られた、肉の巨人。

 身長は五メートル以上。全身から膿と体液を滴らせ、腐敗した口からは、致死性の病原菌を含んだ咆哮を撒き散らしています。

 体の各所には、まだ原形を留めた「顔」がいくつも埋め込まれており、それぞれが別々の表情で苦悶の叫びを上げている。

  百年前の記録によれば、この門番は、王国最強の騎士団を三分で全滅させた怪物です。物理攻撃は無効。魔法攻撃も、自己再生で相殺される。唯一の弱点は「核」ですが、それは体内を常に移動しており、特定は不可能。

 常人であれば、その姿を見ただけで理性が消し飛び、発狂死するでしょう。


「……なるほど」

 グリムが音もなく前に出ました。その指の間に、銀色のナイフが数本、キラリと光ります。わたくしは、彼の背中がわずかに強張っているのを見て取りました。元・魔王軍幹部の彼でさえ、緊張を隠せない相手。

「下がっていてください、お嬢様。……元・同業者として、私が『解体』いたしましょう。少々、時間がかかるかもしれませんが」

「待ちなさい、グリム」

 わたくしは彼を手で制しました。

「……お嬢様?」

「あの方を見てちょうだい」

 わたくしの声は、震えていました。恐怖で足が震えています。だって、見てください。

「あの方……受付係でしょうに、あんなにお肌が荒れて……!」

「は?」

「いえ、あれはもう肌荒れなんてレベルではありませんわ。全身が化膿して、ニキビと吹き出物のオンパレードじゃない! おまけに足元、粘液でベトベト! 体臭も最悪! お客様を迎える態度として、なっていませんわ!」

 生理的な嫌悪感で、鳥肌が立ちます。あんな不潔な方が受付に立っているなんて、この施設の衛生管理はどうなっていますの?

「……お嬢様。あれは『受付係』ではなく、侵入者を排除するための『門番』かと」

「同じことですわ! 施設の顔になる方が、あんな身だしなみでどうしますの!」

『グオオオオオオン!』

 会話を遮るように、肉の巨人が突進してきました。

 地面が揺れる。空気が震える。腐った肉の壁が、津波のように迫ってくる。飛び散る体液。千切れ落ちる肉片。その一滴が――あろうことか、わたくしの真っ白なワンピースの裾に、ポツリと染みを作りました。


「――ッ!」

 プツン。と。

 わたくしの中で、何かが切れました。

「近寄らないでくださいまし! 汚いッ!」

 わたくしは反射的に背負っていた鞄から【相棒】を取り出しました。 柄の長さ一・五メートル。先端には、聖獣の毛を編み込んだ純白の房。リリウム家に代々伝わる家宝にして、母様から受け継いだ唯一の遺品。伝家の宝刀【モップ:スッキリさん】。

 その正式名称を、【空間断絶の戦杖:ヴォイド・ワイパー】といいます。


「消毒ッ! 殺菌ッ! 漂白ッッ!」

 わたくしは叫びながら、モップを横薙ぎに一閃させました。それは攻撃魔法でも剣技でもありません。ただの掃き掃除です。

 ですが――  ヒュンッ――。

 空間ごっそり。

 巨人の上半身があった空間が、そのまま消えました。

 切断されたのではありません。燃やされたのでもない。

 ただ純粋に、空間ごと拭き取られたのです。

 断末魔すらありませんでした。

 だって、汚れは悲鳴を上げませんから。ただ、綺麗になるだけです。

『ギ……ガ……?』

 残された下半身がズズンと崩れ落ちました。通常なら、この怪物は切断されても再生します。

 でも、存在ごと消去された部分は、再生のしようがない。


「……ふぅ。頑固なこびりつきでしたわね」

 わたくしは鞄から【45Lの半透明ゴミ袋】を取り出すと、手慣れた手つきで残骸を回収しました。

 このゴミ袋も母様の遺品です。正式名称は【虚数の牢獄:ブラック・ホール・バッグ】。

 見た目は普通のゴミ袋ですが、中身は亜空間に繋がっています。

「粗大ゴミは、指定の日に出さないと回収してもらえませんのよ? 今回は特別に、わたくしが処分して差し上げますけれど」


 ゴミ袋の口を縛り、ポイッと虚空に放り投げる。袋は空中で一瞬キラリと光り、そのまま次元の狭間へと消えていきました。

 すると。

 ゴゴゴゴゴ……プシューッ。

 今まで閉ざされていた「黒の柩」の扉が、重々しい音を立てて開きました。


『ピ……管理者権限ヲ確認。生体認証……完了。浄化適性……最高ランク』

 どこからともなく、無機質な声が響きます。

『前任者ノ死亡カラ、九百七十三年六ヶ月十四日。新規管理者ノ着任ヲ確認。ヨウコソ、マスター』 「あら、採用していただけますの?」

 わたくしは、開いた扉の向こうを覗き込みました。そこには、果てしなく続く暗い廊下と、チカチカと点滅する非常灯。そして、壁一面にびっしりとこびりついた、黒いカビのようなもの。

「それは助かりますわ。住み込みの管理人のお仕事なら、願ったり叶ったりですもの」

『現在、施設内ノ汚染度ハ限界ヲ超過シテイマス。浄化作業ノ開始ヲ推奨シマス』

「ええ、ええ。見れば分かりますわ」


 わたくしはドレスの裾についた染みを確認し、小さくため息をつきました。

「――まずはお風呂の場所を案内してくださる? ここに来るまでの汚れを落とさないと、気持ち悪くて仕事になりませんの」

『了解シマシタ。浴場ハ、地下九十九階ニゴザイマス』

「九十九階……。エレベーターはありまして?」

『故障中デス。復旧ノ目処ハ立ッテイマセン』

「……そう」

 わたくしは、モップを握り直しました。

 九十九階分の、お掃除。

「――掃除のしがいがありそうですわね」

 不敵な笑みを浮かべ、わたくしは「黒の柩」の中へと足を踏み入れました。

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