第12章:潜入 〜罠〜 ──静かなる開幕、そして落とし穴
都市を貫く静寂。まるで、何かが息を潜めているかのように。
トオルたちは午前0時、NOVA本拠地を出発した。 三ヶ月に及ぶ準備。物資、データ、装備、兵員の訓練、全てを注ぎ込んだ作戦は、ついにその日を迎えた。
──この世界を作り変える最初の一手。
先鋒隊、統率隊、そしてデジタル戦術隊の三部隊は、別々のルートからミラ=コア本社ビルへ潜入する計画だった。 連携は最小限、接続回線はジャミング済み。 互いの生存を信じて進むしかなかった。意外なほど、侵入は順調だった。壁の監視センサーは稼働しておらず、通常は無数に展開されているはずのドローンも一切いない。 まるで“歓迎”されているかのように、彼らは進んだ。
「……静かすぎる。嫌な予感しかしねぇ」 ユウナギが言った。
「それでも進むしかない。ここで引いたら、意味がない」 アオイの声は、どこか硬い。
全員が第26エレベーターホールへと集結したとき── それは起こった。
「──ようこそ」
空間に、突如ホログラムが現れた。 初老の男の顔。 どこか、アオイに似た目をしている。
「おかえり。プロトタイプ1──ハヤミ・トオル。 そして、我が孫娘──アオイ・ミラ」
瞬間、空気が変わった。 トオルとアオイの首元が、鋭い音を立てて反応する。
──ギィィィン!
二人の身体が痙攣し、地面に膝をついた。
「ア、オイッ!?」 「ぐ、う……ッ!」
「そのチップは、我々が作った“鍵”だよ。 君たちがここまで来れたのは、それが道標になっていたからさ」
ホログラムの男──かつて、アオイの祖父であり、Vシェル開発の第一人者・海堂ソウイチ。 だがその目には、かつてアオイの記憶にあった“優しさ”の欠片すらなかった。
「君の父親──カグツチは出来損ないだった。 だが最後に、君たちをここへ導いた。それだけは評価しよう」
トオルは必死に立ち上がろうとするが、電流が神経を焼く。 筋肉が制御を失い、視界が赤く染まる。
「やめ……っろ……!」
「プロトタイプ。君の身体は限界を超えている。 これ以上の反抗は、君を“処分対象”にするだけだ」
「……っ、黙れ……!!」
アオイの顔が苦痛に歪む。
「……なにか……知ってる……気がする……ここ……懐かしい…… でも……思い出せな……い……」
その瞬間、彼女の視界に、蒼白い光が走る。
【記憶再構築中──】
脳内に、無数のデータが流れ込んでくる。 ──祖父の研究室。 ──Vシェルのプロトモデル。 ──空を翔ける未来の都市。
そして──「お前は、このネオンの未来を担う」だがその記憶も、チップが暴走する前にはかき消された。
「やめて……やめてッ……!!」
叫びとともに、アオイの身体が完全に崩れ落ちる。
「アオイィィィ!!」
トオルの絶叫が、虚空に響く。 彼もまた、意識が薄れかけていた。
「ユウナギ……接続バイパスを切れ……っ!」
「今切ったら、テメェの神経もアオイの命も飛ぶかもしれねぇぞ!」
「それでも、やれ……!!」
瞬間、システム回線が強制遮断され、トオルの身体が床に崩れ落ちた。次に目を覚ましたとき、アオイの身体は冷たかった。 完全な“死”ではない──だが、意識の灯火は、消えていた。
「……そんな、バカな……」
彼の手の中にあったのは、微かに震える彼女の左手。 ぬくもりだけが、残されていた。
── 凍てついた記憶の扉
冷たい静寂が、最深部の空間を支配していた。アオイは仰向けに倒れたまま、微かに胸が上下している。けれどその目は焦点を失い、魂の抜け殻のように空を見つめていた。トオルは彼女の傍に膝をつき、肩を抱き寄せながら叫んでいた。
「アオイ、しっかりしろ!目を開けろ、アオイ!!」
その叫びに、返事はなかった。彼女の体からは、生体反応がかすかに確認できる。しかし、そこにあるのは“意識”の空洞だった。まるで思考そのものが根こそぎどこかへ連れて行かれてしまったように。
「くそっ……!」
悔しさに唇を噛む。肩の傷がまた開いたのか、トオルの手に血がにじむが、気にも留めていなかった。そのときだった。足音が響く。義手が床を叩く音。
「動けるか?トオル」
ユウナギだった。
「アオイが……アオイが……!」
「落ち着け。目は見えてるが、魂がつながってねぇ。これは──“意識接続型の抽出プログラム”だ。仮想神経回路に引きずり込まれたんだよ」
ユウナギは冷静だった。だがその目には焦燥と怒りが宿っている。
「お前が叫んでた間に、周囲のネットワークを再解析した。中枢システムがアオイの神経信号を直接読み取り、擬似人格AIに接続してる」
「……擬似人格……あの“海堂ソウイチ”ってやつか」
「ああ。アオイの祖父……だった存在。だが今は、ただの悪意の残滓だ」
トオルは黙っていた。手の中で冷たくなっていくアオイの体。その重みが、すべてを物語っていた。
「……助けられるのか」
「それには……お前が“中枢”へ行くしかない」
ユウナギが端末を起動し、トオルの義体データをスキャンする。
「お前の中には、ミラ=コアが作った“特別なコード”が眠ってる。プロトタイプ001。つまり、企業にとって最高位のテストベンチだった“ヒト”。」
「……そんなもんが、今さら役に立つってのか」
「ああ。役に立たせるんだよ。お前自身が、“道”になる。彼女を繋ぎ止めるための、な」
ユウナギが端末をポケットに戻し、トオルの肩に手を置いた。
「だが、行く前に言っておく。──その道は、片道だ」
「……」
「中枢に入るためには、お前の精神コアを《中枢神経演算核》に接続しなきゃならん。接続したら最後、お前の意識は“データ”になる。生きては戻れねぇ」
静寂が落ちる。
「……構わない」
即答だった。
「……本気で言ってんのか?」
「ああ。アオイをここに置いて、俺だけ帰るなんて選べるわけがねぇ」
トオルの声は澄んでいた。迷いも、怒りもない。そこにあったのは、ただ一つの決意。
「ユウナギ。お前は、アオイと残りの部隊を連れて、脱出しろ」
「おい、待て、勝手に──」
「俺は行く。一人でも、アオイを連れ戻す」
「……」
ユウナギは口を開きかけ、結局、黙った。そしてポケットから一つの小型デバイスを取り出す。
「これを持って行け。最深部へ行くゲートの認証コードが入ってる。俺が昔、こっそり盗み出したやつだ」
トオルはそれを受け取ると、ユウナギの肩を強く叩いた。
「……ありがとな。最初に俺に声かけてくれたのは、お前だ」
「まさか、あの道端のボロ布が……世界を変えるなんてな」
小さな笑みを交わす二人。その瞬間だけ、確かに“戦争”ではなく“友情”がそこにあった。
そして──トオルはアオイの唇にそっと触れた。
「待ってろ、アオイ。俺が、お前を連れ戻す」
その背中が、再び闇の中へと消えていった。




