第91話 そんな彼女の義父のはなし。
「それと、一回、ベースの子も連れてこいよ」
父さんはそう言うと、ニカッと白い歯を見せた。
父さんは、ベースも弾ける。
というか、派手に弦を打ち付けるスラップはできないが、普通に弾く分には、そこらのアマチュアよりは遥かに上手い。
俺はその日からさっそく特訓を受けた。
父さんは、自分の仕事もあるのに、夜遅くまで付き合ってくれた。うちには父さん用の部屋……防音室があるので、音漏れの心配がないのは助かった。
ちなみに、俺は完全な未経験者ではない。
父さんの見よう見まねで、有名なコードの押さえ方くらいはしっている。
でも、もう何年も弾いていない。
指も動かないし、押弦は痛いし……、難航しそうだ。
「マイナーペンタトニックでの運指はな……」
そこまで言うと、父さんは手を止めて続けた。
「それにしても、蒼にギターを教える日が来るとはな。実は、夢だったんだよ。息子にギターを教えるの」
俺は小さい時、ギターを弾く父親に憧れていた。俺が好きなアニソンを、その場で即興で弾いてくれる父親を、魔法使いのように感じていたのだ。
だから、理由は自分でも分からないが、俺は、自分がギターに熱中しなかったことを、心のどこかで父さんに申し訳ないと思っていた。
「そっか。ミュージシャン志望じゃなくて、なんかごめん。父さん。痛っ、いま、指切ったかも」
父さんは指に絆創膏を貼ってくれる。
「いや、ミュージシャンなんて目指してたら反対してたよ。誰も自分の息子に、こんな不安定で苦労の多い仕事をやって欲しくなんてないだろ」
「そんなもんかな」
「そんなもんだよ。すげー上手いって言われても、プロとしてやっていけるのは、その中のホンの一握りだからな」
「金髪長髪の父さんが言うと、説得力あるな」
父さんはニヤニヤした。
「ところで、ベースの子って可愛いの?」
「まあ、ちょっと口は悪いけど、美人だと思う」
「ふーん。こんなクソ面倒くさいことを引き受けてくれるなんて、お前、たぶん好かれてるぞ? しかも、こんな直前でだぞ? 嫁候補②出現か。……これは一歌ちゃんにチクらないとな」
いや、愛は一歌の友達だから……。
それに、俺のことなんて眼中にないかと。
でも、いくら一歌の頼みでも、一歌本人が困ってる訳じゃないし、愛からすれば、俺の、さらにその妹の愛紗を助ける義理はないハズだ。
愛はどうして引き受けてくれたんだろう。
しかし、その前に、この野次馬を黙らせなければ。
「ほんと余計なこと言うのはやめて……。冗談じゃ済まんから」
「でも、元気なうちに将来の嫁候補に何人も会えて、父さんは嬉しいよ。どれにするか父さんが選んでもいい?」
……元気なうちに?
「良いわけないだろ。いや、だから。候補何人もいないから。って、父さん、もしかして、体調わるいとか?」
父さんは話しながら、ギターを弾きはじめた。
即興で何フレーズか弾くと、ペグを回して音程を調整している。さすがに巧い。
「至って元気だけどな。下手したら3人目産まれそうなくらい元気だよ。実は父さんも、結婚前は、そのベースの子みたいな存在が何人かいてだな……もしかして、俺の若かりし日の武勇伝、聞きたい?」
「産むのは、父さんじゃなくて母さんだけどな。それに、そんな話は聞きたくない」
世の中に、肉親の色事ほど嫌な話はない。
それに、四葉さんとのことを知ってしまったら、最後まで黙っていれる自信がない。つか、愛とはそんなんじゃないし。
「それにしても、お前が一歌ちゃんを連れてきた時には驚いたよ……」
そんな話をしながら、夜は更けていく。
父さんは、グラスに半分ほどのウィスキーを傾けながら、楽しそうに話している。
そして、タバコに火をつけると、ギターのヘッド近くの弦に挿した。俺に人差し指を立てて内緒のサインをする。
父さんがタバコを吸うのを見るのは、久しぶりだ。……すごく嬉しそうだ。
母さんと禁煙の約束をしているハズだが。見なかったことにしておこう。
そういえば、いつの間にやら。
俺にとって、父親はどこか身構えるべき存在になってしまって、母さんより話すことが少なくなっていた。
嫌いな訳ではないのだけれど。
まだ一緒に酒を酌み交わすことはできないけれど、たまには、父親とこうして話す時間も悪くない、と思う。




