第84話 そんな彼女の頼まれごと。
「ごめん……。一歌を裏切れない」
雅は下唇を噛むと、俺の袖から手を離した。そして、呟くように言った。
「ごめ……ん」
交換条件を持ち出せば、無理を通すこともできただろうに。でも、雅はそれ以上は何も言わなかった。
帰り道を、2人で列になって歩く。
駅の改札まで送った。
「んじゃ、またね」
俺はそう言って手を振った。
「……うん。また」
雅の後ろ姿を見送る。
雅は何度も振り返って、その度に笑顔になって手を振った。
雅の姿が見えなくなって、しばらく経った頃、俺はある事に気づいた。
今日は、雅も学校を休んだ。
どんな理由をつけたかは分からないが、あの母親が、学校を休んで遊びに行くことを許したのだろうか。
いや、そんなはずはない。
そんな理解のある母親なら、雅はあんな辛そうにしていない。
頭の中に、雅との会話が、沸騰したお湯の泡のようにポツポツと浮かんでは消えていく。
「最後に2人で会いたいです……」
今日のことは、そこから始まった。
「わたしの全部あげるから」
「嫉妬で、どうしても嫌がらせをしてしまう……そんな自分が止められない……」
「……自分で自分を止められないのに、どうやって嫌がらせをやめるんだ?」
「片瀬さんに、わたしの代わりに、わたしが謝っていたと伝えてくれない……かな?」
「最後に2人で」
「最後に」
まさか……。
いや、でも、まさか。
死のうとしているのでは?
次の瞬間、自然に身体が動いていた。
改札を走り抜け、階段を駆け上がる。
雅の家の方向は……、1番ホームだ。
「はぁはぁ……」
先頭まで走ったが、雅はいなかった。
すると、反対側のホームに雅がいた。
力なく、どこかへ向かって歩いている。
「雅、ちょっと待ってろ!!」
(くそ、ここからじゃ聞こえないか)
2番ホームへの階段を駆け上がる。
上がりきると、雅がいた。
雅の目からはポロポロと涙がこぼれ落ちている。こちらに気づくと、雅は顔を背けた。
「……わたし、もうダメ……辛い」
フラフラとホームの線路の方へ歩き出した。
(ずっと辛い思いしてきて、こんな結末ってあり得ないだろ)
俺は雅の手首を思いっきり掴んで、抱きしめた。
腕の中の雅の身体は、か細くて。
少しでも力を入れれば、砕け散ってしまいそうだった。
「ダメじゃない!! 少なくとも俺は、俺は雅がいないとイヤだ!!」
すると、雅は俺の腕に手を添えた。
まくった俺の腕に触れた指先は、冷たかった。
「蒼くん、ズルいよ。フッたくせに、そんなの言われたら期待しちゃうじゃん」
「……なんでもいいから、死ぬなんて考えるな」
「そんな言い方、ズルいよ。だって、今の色々を止めるには、わたしがいなくなるしかないじゃん……」
それは違う。
どんなに辛かったとしても、死んだら終わりなんだよ。
俺は、雅を駅から連れ出して、公園にきた。
雅は、浅く息をしている。過呼吸気味だ。
ベンチに座らせて呼吸を整えさせた。
俺には一つ聞きたいことがあった。
「もしかして、俺が断ったから死のうとしたのか?」
雅は首を横に振った。
「最初から決めてた……」
雅をここまま帰らせることはできない。
もしあの母親が、また叩いたりしたら、どうなるか分からない。
これからどうしよう。




