第53話 そんな彼女のお見舞い。
新川先生の病院は、隣の駅だ。
俺と一歌は、お見舞いにきている。
病院の入り口で、一歌と、お見舞いの方針について確認した。
「今日は、先生の話を聞いて元気づける。そんな感じでいいかな?」
一歌は頷くと、手に持った紙袋を俺に見せた。
「沖縄の親戚の家からもらった赤玉ドラゴンフルーツ。これ食べたらきっと元気でるし!!」
一歌がいうには、新鮮な赤玉ドラゴンフルーツは、関東のスーパーに売っている野良とは格が違うらしい。正直、俺の中ではドラゴンフルーツは、ほんのり甘いキュウリくらいの認識なのだが。
ここか。
先生の病室の前に立った。
あの時のトイレでの惨状を思い出すと、少し緊張してしまう。
ノックすると、中から声がした。
「どうぞ」
中に入ると、一般の病室で、ものものしい感じではなかった。先生は身体を起こしていて、思いの外、元気そうだった。
「よく来てくれたね。この前はごめんね。2人には心配をかけてしまって」
「いいんです。おれ、先生には何かとお世話になってますし。再試験のときとか」
先生はニヤッとした。
(よかった。少しは元気になったのかな)
「この前は気にしてる余裕がなかったけど、もしかして、お前ら付き合ってるの?」
俺と一歌は頷いた。
「そっかあ。藍良。ラッキーだな。こんなに可愛くて優しい子、そうそういないぞ?」
「俺もそう思います。あ、いつか結婚するときは、先生も招待しますね」
「わかった。楽しみにしてるよ。くれぐれも、在学中におめでたとか、やめてくれよー?」
「えっと、気をつけます」
ほぼ同時に一歌も答えた。
「むしろ、はやく欲しいです♡」
すると、先生は苦笑いした。
「教師としてはおすすめできんなぁ。藍良、責任はちゃんととるように」
「当然です!!」
先生は俯いた。
「そのとき、僕、教師してるのかな……。あ、ごめん。腰掛けてよ」
空気が一気に重くなった。
先生は続ける。
「正直さ、僕、もう教師を続ける自信ないんだよ。保護者も生徒も怖くてさ」
一歌の噂の出どころの真相とか、色々と聞きたかったが、そんな雰囲気じゃないな。先生も原点に立ち戻れば、元気がでるのだろうか。
「そういえば、先生は、どうして教師になろうと思ったんですか?」
「実はドラマの影響なんだ。ドラマの主役の教師がすごく熱血でね。僕もあんな風になりたいって」
おいおい。
思いの外、薄っぺらい理由だぞ。
原点に立ち戻っても効果なさそう。
先生は頭を掻いた。
「はは。まぁ、そんなのだから、この体たらくなのかも。大人になってもイジメがあるなんて思わなかったよ」
ほんと。
イジメって何なのだろうと思う。
人間の本能だから仕方ないって話を聞いたことがある。でも、そんな「酔っ払ってたし、やらかしても許してチョンマゲ」みたいな理由で理不尽が許されていいはずがない。何一つ仕方なくなんてない。
「本能だろうがなんだろうが、ダメですよ」
俺もイジメられていたことがある。
一歌も噂に苦しんできた(たぶん)。
だから腹が立った。
俺の言葉に、先生は少し驚いた様子だった。
「藍良くんが本能って言ったけど、まさにそれなんだよ。イジメは動物界での同種内攻撃だと言われてるんだ。それこそ、イルカやカモメでも同じ様なことをしてる。流動性のない集団では生存本能が強く働く」
言葉選びも抑揚も。
先生は授業の時より、いきいきとしてる。
だから俺も。
分からないなりにキャッチボールをしたい。
「流動性がないってのは、学校や会社のような閉鎖された空間のことですか?」
「正解。つまり、席数が限られているから、団体の強化のために、弱い個体は排除しなければならない。また、自分より優れた個体も、自分の遺伝子を残す邪魔になるので、これまた排除しなければならないんだ」
「じゃあ、強くても弱くてもターゲットになるじゃないですか」
「そうだな。俯瞰的にみれば、バイアスという心理現象も排除を正当化する手段として……」
俺は、講義を受けている気分になった。
先生の話は刺激的で、ワクワクする。
俺はまだ高校生だから分からないが、きっと、大学や大学院での講義は、こんな感じなのだろうか。
んっ?
俺は、今の話である事に気づいた。
一歌の噂も、一種のイジメだ。
一歌は劣っている?
いや、違う。
今の話からすると、優れているから排除されたのだ。
しかし、一歌は俺と同じ赤点仲間。
地頭のよさを知っている人は限られる。
たしかに、顔やスタイルなどの容姿も嫉妬の対象になりうる。だが、相手が男子だったり、女子でも成績に拘るタイプだったら、一歌は潜在的な脅威だ。
だとしたら……。
「一歌、中学の時、勉強は得意だった?」
一歌はぷーっとなった。
「わたし、蒼くんと赤点仲良しだし、得意な訳ないし。蒼くんがいじめる……」
「じゃあさ、知能テストを受けたことは?」
「実はある……。中学の時に数学の先生のすすめで。なんか、人に知られるのイヤで。言わなくてごめんね」
「結果、聞いていいか?」
「135……」
あれ、かなり高いが、思ったよりは普通だ。
「うちわけに偏りはある?」
特定の能力だけ飛び抜けている可能性もある。
「うん。数理的能力はどれも満点だったから、測定できないって言われたの。160以上としかわからない」
ビンゴだ。
一歌はニヘラと笑った。
普通じゃない自分を好きではないのだろう。
イヤなこと聞いてるよな。ごめん。
「先生。IQ160の人ってどれくらいいるんですか?」
「うーん。3万人に1人くらいって言われてるね。でも、今の話だと、もっとずっと上って可能性もあるんじゃないか?」
「せんせぇ。わたし、こういうの知られたら、蒼くんと一緒にいれなくなっちゃう?」
一歌は半べそだ。
先生はそれを見ると笑った。
「大丈夫。生き方の選択肢が多いというだけだよ。誰かに強制されたりはしないから。と、いうより、藍良が頑張って追いつけばいいだけだしな?」
先生はウィンクした。
すげー、プレッシャーかけられてる……。
「ってことは、中学の同級生なら、一歌の能力について知っている可能性はあるのか。でも、個人情報だし、知ることはないか」
すると、先生は言った。
「いや、教育関係者ならあるいは……」
「一歌。ウチのクラスに、同じ中学のヤツっている?」
「え。北村さんはそうだけど、なんで?」
いや、まさか。
北村さんって、いかにも品行方正でイジメとか嫌いな感じするし。
先生がハッとした。
「……前に話した殴り込んできた母親って、実は北村さんのお母さんなんだよ」
ここで北村……、いや、みやびさんの名前が出てきたことは、衝撃だった。
でも、いまは、それよりも。
俺は気づいてしまった。
こんな話を教えてくれるなんて、きっと、先生は辞める気だ。




