第39話 そんな彼女の返事がない。
俺は結局、沙也加を放置できなかった。
彼女である一歌と、知り合って間もない沙也加。天秤にかけるまでもない。
一歌を追うのが正解なのだろう。
でも、俺には、必死に縋る沙也加を見捨てることが正しいとは思えなかった。
やがて遮断桿が上がり、あたりには俺と沙也加だけになった。
沙也加の様子がおかしい。
目の焦点が定まっておらず、いつもの人を揶揄うような雰囲気がない。
「ごめん。蒼きゅん行かないといけないのに。でも、ボク。昔のことを思い出して、立てなくなって。怖くて」
踏切によっぽどイヤな思い出でもあるのだろうか。
5分ほどそこにいると、沙也加の呼吸が落ち着いた。沙也加は大きく息を吐くと、さっきのことを話してくれた。
沙也加も普段は歩道橋を使っているのだが通れず、さっきは仕方なく踏切に居たらしい。
小学生の男の子を見たら、急に膝に力が入らなくなってしまい、衝突されて、バランスを崩してしまったとのことだった。
「さっき、蒼きゅんが引っ張ってくれなかったら、ボク、死んでたと思う」
「たしかに、危なかったよな」
「うん。でも、蒼きゅんを困らせてる。ボクなんて、死んじゃえばよかった。ボクは成長できていない。きっと陸は許してくれてない。だから」
怖いこと言うなよ。
それに……。
あのとき? 陸?
今の沙也加は、俺の中のイメージとまるで違う。陰があって陰鬱で。暗い。もしかすると、これが本来の沙也加なのだろうか。
沙也加は語り出した。
「ボクね。昔、弟がいたんだ」
「うん」
「うん、比較的に仲がよくてさ」
沙也加は一旦、言葉を止めて、小さくため息をついた。
「ふぅ……、でも、ある時、たあいもないことで喧嘩してさ。陸がボクの気に入ってたボールを勝手に使ったとかそんなので。ボク、酷い言い方しちゃって。そしたら、陸は家を飛び出したんだ」
沙也加は続ける。
「そしたらさ。陸、戻ってこなくてさ。それで、皆んなで探して……ずっと探して」
沙也加は俯いた。
「でも、結局、陸は死んじゃってた。転がったボールを追いかけて踏切内に立ち入ったんだって」
もし、愛紗が事故に遭ったら……。
俺は居た堪れなくて、沙也加の肩に手を添えた。
「ボクがいけないんだ。きっとボクがボールのことで怒ったから、陸は追いかけたんだ」
「そっか。沙也加も辛かったよな」
「ううん、辛いのは陸。ボクは自業自得なんだよ。……今日、命日なんだよ。それなのに……ボク、踏切に来るまで忘れてた。ほんとにひどい姉だ」
「ずっと昔のことなんだろ? そんなこともあるよ」
「ボク、なんでこんな話を……。蒼きゅん、どことなく陸っぽいからかな」
それから沙也加は自分のことを沢山、話してくれた。中学や高校の頃のこと。実は明るい性格なんかじゃないこと。アニメが好きなこと。いつも弟さんとアニメを観ていたこと。いつかそんなアニメを作るのが姉弟の夢だったこと。
弟さんが生きていたら、俺と同い年であること。好きな人がいて、忘れられないこと。
ほんとに沢山話してくれる。
俺なんかに話しすぎなくらいだ。
その目は優しくて。
俺を通して、沙也加は陸くんと話しているのかも知れないと思った。
俺はふと気づいた。
沙也加はアニメーターになるための専門学校に通っている。
「沙也加、アニメの監督を目指してるのって、もしかして」
沙也加は黙って俯いた。
ほんとは、ずっと話を聞いていたかったのだが、一歌をこのままにできない。
俺はなんとなく胸騒ぎがして、沙也加を踏切から離れた場所まで送った。念のためだ。
俺が立ち去ると、沙也加は笑顔で見送ってくれた。
一歌にメッセージを送ってみる。
既読になるが、返事がない。
電話をしても出ない。
一歌の家は、大体の場所しか分からない。
愛に聞けば分かるかも知れないが、行ったこともないのに、いきなり押しかけるのは気が引ける。
一歌のあの顔が、頭から離れない。
ヤバいかも。
いや、確実にヤバい。
恋愛経験が少ない俺には、こんな時にどうしていいか分からない。
俺はさっき拾った紙袋を開けた。
一歌が落とした紙袋だ。
すると、中には冷めた鯛焼きが2つ入っていた。




