第37話 そんな彼女のバイト仲間。
旅行の熱もさめたある日の昼。
俺はとある書店のカウンターにいた。
外では蝉がミンミンと鳴いている。
猛暑日ということもあり、タオルで汗を拭きながら歩いている人が多い。
しかし、俺がいる場所は、むしろ極寒。
優越感で、風邪をひきそうだ。
この店、エアコン使いすぎなんじゃないか。
俺が悦に浸っていると、隣にいるチビっこいのが話しかけてきた。
「蒼きゅん。そこのはね。違うでしょ。何度言えばわかるのー」
蒼きゅん……。
なんて頭の悪そうなあだ名なんだ。
そして、俺は今。こんなふざけた名前をつけた少女にお説教されている。
彼女の名前は、園藤 沙也加。隣町に住む専門学校生の女の子だ。
実は俺。
少し前から、一歌と同じ書店でバイトを始めましてね。一歌とシフトが別々の時は、俺はこのちびっこと一緒になることが多い。
そして、この子はバイト先の先輩だ。
改めて見ると、後ろで一つに結った天然の茶髪に、まん丸の目。全体的に小さい。一歌が153センチだから、それよりも小さなこの子は、140センチ台だと思う。
そして、貧乳だ。きっとマニアにはウケることであろう。19歳ということだが、中2の愛紗の友達でも通ると思う。
要は、なかなかにロリ可愛い。
だが、無駄に絡んでくる。ウザい。
いや、まあ。
俺の物覚えが悪いから、絡まざるを得ないだけなのかも知れないが。
「蒼きゅん。聞いてる? またヘンタイなこと考えてたでしょ? あのね、それでボクはその時ね……」
そう。この子、ボクっこなのだ。
ボクっこは、最近の俺の失敗について、さぞ楽しそうに話している。
これ、数ヶ月前の俺だったら、好かれてるって勘違いしただろうな。でも、接吻という大人の階段をかけあがった俺には分かる。
これは、ただのバイトの暇つぶしなのだ。
さっきから、お客さんもいないしね。
そろそろ、何か返答しとくか。
「園藤さん、いつもありがとうございます。でも、そろそろお客さん来そうですよ」
「園藤さん? だから、名前で呼んでよ。ボクには沙也加って名前があるんですぅ」
ウザっ。
「あー。はいはい。沙也加さん。んで、レジ打ちお願いします」
それから、パラパラと来た数人のお客様の接客をすると、店内はまた無人になった。
沙也加はむくれている。
「一歌ちゃん、愛ちゃんは呼び捨てにするのに、なんでボクだけサンたけなのさ」
「まださぼど仲良くないからですよ」
「……」
沙也加はふてくされた様子だ。
「感じわるいなぁ」
沙也加は「私語禁止」の注意書きをペタペタと貼りながら、不満そうに文句を言っている。そして、ほっぺをさらに……風船のように膨らませた。
(ロリババア)
俺の頭の中にそのフレーズが浮かんだが、言うのはやめた。泣いたら困るし。
いや、でも、まじで。
あなた、ウザいのよ。
俺、実は。
こういうタイプは苦手なのかも知れない。
俺には、一歌みたいに一見、素っ気ないくらいのデレがいいのだ。早く我が彼女に会いたい。
書店の仕事は、なにげに力仕事が多い。在庫の陳列や、書庫での作業等。だから、男性のバイトは歓迎される。
ちなみに、入ったばかりの俺の仕事は、書棚の管理がメインだ。書店で働いて知ったのだが、読んだ本を適当な場所に戻す人は、一定数いる。
これが本当に迷惑なのだ。
読んだ本は、元の場所に戻すか、できないならカウンターに戻して欲しい。
トイレ休憩から戻ると、沙也加が書棚に本を戻していた。小柄な彼女は、ピョンピョンと跳ねながら、重そうな専門書を持って、棚に手をのばしている。
(あれが顔に直撃したら、鼻血でるぞ……)
「危ないですよ。ちょっと貸してください」
俺は沙也加が持っていた本を取り上げ、棚に戻した。
すると、沙也加は、一瞬、動きを止めた。
「あ、ありがとう。お礼は言わないんだからねっ」
そう言うと、走ってどこかに言ってしまった。
なんだありゃ。
お礼は言わないとか主張している間に、普通に礼を言った方が早いだろ。
一歌と愛に至っては接客態度すら悪そうだし、この店、大丈夫か? 入って早々、潰れたりとかイヤなんですけど。
それ以降は、沙也加が絡んでくることはなかった。
バイトの帰り道。
駅までは線路を越えなければならず、俺は普段は歩道橋を使っている。だが、今日は補修中で通れなかった。
(仕方ないな、踏切を渡るか)
踏切は気が進まない。
この踏切は「開かず」で有名で、タイミングが悪いと、30分以上も開かないのだ。
いい加減に高架にしてほしい。
たぶんこの鉄道は、このエリアの発展を阻害していると思う。
踏切に近づくと、カンカンという警報音が鳴って、電車が近づいてくるのが分かった。
そして、遮断棒の前には、小柄な女の子が1人。後ろで茶色い髪の毛を一つに結っている。
(ん。あれは……)
俺が声をかけようとすると、踏切を待ちきれなかった小学生くらいの男の子が暴れて、その女の子にドンッとぶつかった。
よく交通事故に遭った人が、ぶつかる瞬間の光景がスローモーションで見えたというが、正にそれだった。女の子はスローモーションのようによろめき、踏切内に右足を踏み入れた。
ファーンという汽笛が近づいてくる。
きっと、間も無く、電車が通過する。
俺は女の子の左手を掴み、思いっきり引っ張った。反動で女の子が反対側に投げ出されそうになったので、左腕で抱きかかえる。
俺の左手に抱かれた女の子はこっちを見た。
顔面蒼白で顔がこわばり、瞳孔が開いている。
直後、瞳孔が小さくなるのとほぼ同時に、血色が戻った。
女の子は、目を大きくあけ、口は呆然と笑みの間を行ったり来たりしていた。
俺は後から知ることになる。
人とは、恋に落ちる時に、こんな顔をするものらしい。
「そ、蒼きゅん……」
沙也加は、心細そうに俺の手を握った。
「大丈夫か?」
「蒼きゅんのこと、好きになっちゃったかも」
俺には一歌だけだ。
沙也加とどうにかなるとか、考えられない。
でも、こんな泣きそうな顔の子を秒でフレないし、そもそも、ちゃんと告白された訳でもない。
どう対応しよう。
でも、何か答えねば。
「いや、俺には一歌が」
すると、沙也加は首を傾げた。
「いや、知ってる」
「じゃあ、無理って分かりますよね?」
沙也加は微笑んだ。
「うん。だから、ボク、一歌ちゃんと蒼きゅん選べない。3人で付き合えばいいじゃん♡」
は?
何を言ってるんだ。コイツは。




