第36話 そんな彼女の帰り道。
今は、朝食を終えて少しゴロゴロしている。
すると、一歌がボソッと言った。
「いくじなしぃ」
こ、この人。
ホントは起きてたっぽい。
そういえば、しっかり腕に頭をのせていたもんね?
「そろそろチェックアウトの時間だぜ? ハニー」
おれは今世紀最高の笑顔で言った。
「昨日、蒼くんの。ほしかったのにぃ」
一歌は口をアヒルのようにすぼめた。
……この人、どこまで本気か微妙なのよね。
「じゃあ、今からする?」
「もう、ムードも時間もないしっ。むーりー。また来年の誕生日にね♡」
一歌はそう言うと、飛行機のように両手を広げて走り回った。
さ、チェックアウトしよか。
俺らは追加料金はなかったが、カウンターで手続きは必要らしい。一歌と「白浜の海、見れなかったね」と話していたら、オーナーさんの厚意で、爪木崎というところまで送ってもらえることになった。
爪木崎は、下田の市街地から車で20分程のところにある景勝地だ。岬の先端にある灯台までは遊歩道になっていて、12月であれば、一面の水仙を見ることができるらしい。
駐車場で降りると、いくつかキッチンカーのお店が出ていた。串焼きやクレープを売っているようだった。
オーナーさんにお礼を言って別れると、一歌が「クレープ食べたい」と言い出した。
「ちょっと待ってて」
そういうと、一歌はクレープ屋さんの方に走って行った。
ん。
よく見れば、クレープを売ってるのは、昨日の紐引きクジのオジちゃんではないか。
昨日はクジ引き屋で、今日はクレープ屋か。テキ屋稼業も大変だな。
戻ってきた一歌は、チョコと苺のクレープを持っていた。すでに何口か食べたらしく、鼻に生クリームを付けている。
「クレープ屋さん、昨日のオジちゃんだったよ!! あのね。紐引きクジは、絶対にやっちゃダメだって言われた。どうしてだろうね?」
どうしてもなにも。
……そういうことなのだろう。
一歌はオジちゃんに、爪木崎のパンフレットをもらったらしい。クレープを食べ終わると、パンフレットを広げて、一歌は興奮して言った
「ここの灯台、恋する灯台なんだって。行ってみようよ!!」
一歌と細いクネクネとした通路を歩く。10分程歩くと、白い灯台が見えてきた。灯台がある高台からは、海を見下ろすことができる。
灯台越しに見える海は、コバルトブルーだった。
灯台を囲む手すりに寄りかかると、ザザンと波が岩に当たる音がして、その度に海風が吹き抜ける。一歌は、風に舞う髪を押さえて言った。
「パンフレットに書いてあるよ。未来を照らす灯台が2人の道標になる、だって」
この灯台は、きっとこれまでも、そしてこれからもここにあって。ずっと海を見つめているのだ。
来年も、再来年も。
一歌と一緒に来たいな。
すると、一歌がもたれかかってきた。
言葉はないけれど、きっと同じことを考えている。
……こんな心境。
数ヶ月前の俺には考えられなかった。
だからたまには。
ロマンティックに酔ってみるのも良いものらしい。
その後はバスで下田駅に戻り、海鮮丼を食べた。金目鯛や釜揚げシラスがのっていて、どれも地元でとれたものらしい。
一歌は、パラパラと落ちてくる前髪を押さえながら一生懸命に食べている。俺は、その様子を見ながら、少しだけ寂しい気持ちになった。
(ヘアピンがあったら、きっと食べやすかったのに)
その後は、駅近くの商店街をブラブラして、両親にお土産を買った。
そろそろ、電車の時間だ。
駅で改札に入ろうとすると、誰かに呼び止められた。振り返ると、昨日の駅員さんだった。
「ちょうど連絡しようと思ってたんですよ!! これ、構内に落ちていたらしくて」
駅員さんの手には、一歌のヘアピンが握られていた。それを受け取った一歌は、満面の笑みになった。
「蒼くん。旅行、楽しかったね。連れてきてくれてありがとう!!」
やはり、旅は良いものらしい。




