第32話 そんな彼女の相部屋事変。
俺は油断していた。
別部屋だから、貞操を守るのに、さしたる自制心は不要だと思っていた。しかし、旅にトラブルはつきもの。思い通りには行かないものらしい。
そんな俺は、ペンションのフロントで棒立ちしている。目の前では、オーナーさんがうなじを摩りながら、頭を下げていた。
「ごめんねー。手違いで、部屋一つしか残ってないんだよ。ちょっと手狭かもしれないけれど、我慢してもらえないかな?」
「いや、でも。親に別部屋って約束しちゃってるし……」
「うん。ほんと、ゴメン。せめてのお詫びってことで、シャワー付きのセミダブル部屋にしとくさらさ」
セミダブルだと、物理的に添い寝ができてしまうではないか。シングルルームで、俺だけ雑魚寝よりも、精神衛生上のハードルが高い。
オーナーさんは続ける。
「紅くんには、僕から連絡しておくからさ」
ちなみに、紅くんとは、ウチの父さんのことだ。オーナーさんと父さんは、大学時代の部活仲間らしかった。
「どうする……?」
一歌の方を見ると、一歌は心ここにあらずという様子だった。
やっぱ、ショックを受けているのかな。
ごめん。
だが、今更、日帰りで帰ることもできない。
「……わかりました。お願いします」
俺は了承して部屋の鍵を受け取った。
予定では、一歌に「オヤスミの時間まで俺の部屋にこいよ。ベイビー」というハズだったのだが、自動的に同じ部屋になってしまった。
部屋に入ると、一歌はいつもの様子に戻った。
ベッドと小さなテーブル、テレビ、小さな冷蔵庫があるだけのシンプルな部屋だ。
部屋が狭いから、部屋の殆どがベッドだ。必然的に、何をするにもベッドの上になってしまう。
一歌と横並びでベッドに腰掛ける。
いつものラブホとは違う、泊まるためのベッド。少し姿勢を変えるだけで、ギシギシと音がする。
否が応にも、一歌が女の子って意識してしまう。
「蒼くん。なんだかワクワクするねっ」
俺はドキドキだよ。
すると、一歌が、手を握ってきた。
その手は、暑くもないのに汗ばんでいた。
一歌は俯いて、下唇を軽く噛んだ。
「あのね。蒼くん……」
なにか重大な告白しとかされるのかな。
俺が身構えていると、一歌は続ける。
「あのね、ツルツルでも嫌いにならない?」
「えっ?」
なに? なにがツルツルなの?
気になる。
「愛が、ツルツルだと、童貞男子にはドン引きされるっていってたから、その。心配なの」
何やら、すごく失礼なことを言われている気がするのだが、今は何もいうまい。
それよりもツルツルだ。
詳細については想像はついていたが、一応、聞いてみることにした。
「どこがツルツルなの?」
一歌の頬は真っ赤になっていた。
「そ、それは……アソ……のとこ」
すごく小声だ。
「聞こえないんだけど」
ガンッ
突然、俺の下顎に激痛が走った。
「分かって聞いてるだろっ!? 蒼のバカァ!!」
俺は、頭突きをされたらしい。
最近の一歌は大人しかったから、油断していた。まともにくらってしまった。
「ごめん。意地悪すぎた。ツルツルでも、全然大丈夫っていうか、むしろ嬉しいかも」
一歌は小声で言った。
「嫌いにならない?」
どうやら、一歌はツルツルさんらしい。
俺は頷いた。
2人とも話さないものだから、部屋は静まり返っている。気まずい。
ツルツル。
世界はきっと、ツルツルさんで溢れている。
プルルルル!!
突然、大きな音がしたので、心臓が止まりそうになった。スマホの着信音だ。
電話に出ると、父さんだった。
「オーナーから聞いたんだけど、一部屋になっちゃったんだって? お前、俺との約束して守れるの?」
電話の父は、心なしか、いつもより語気が強かった。それに、周りも静かだ。
自分の部屋か、車から電話してきているのだろうか。無理なら、今からこのまま車で迎えに来るつもりなのかも知れない。
俺は、自分の口の中が乾くのを感じた。
「あぁ、約束したじゃん。守るよ」
一歌は、俺の肩に寄りかかりながら、頷いていた。
「そうか。一歌ちゃんに代わってくれるか?」
一歌は父さんと一言二言話すと、改めて頷いて、電話を切った。
「蒼くんを、よろしくお願いします、だって。優しいお父さんだね」
「ちょっと、騒がしくて恥ずかしいけどな」
「そんなことない」
……。
なんだか気まずくなってしまった。
朝一で出たから、幸い、まだ昼過ぎだ。
「一歌、海行ってみない?」
「うん、いく!!」
「せっかくだし、水着でいこうか?」
部屋も狭いが、シャワーブースは更に狭い。
だから、一歌には部屋で着替えてもらい、俺はシャワーブースで着替えることにした。
俺は脱いで履くだけなので、一瞬で着替え終えてしまった。暇なので聞き耳を立てていると、一歌の声が聞こえた。何か言っている。すごく困ってるようだ。
俺はドアを開けて、一歌に声をかけた。
すると、一歌は泣きそうな顔をしていた。
「どうしよう。蒼くん。ヘアピンなくなっちゃった……。どこかで落としたのかも」
確かに、いつものヘアピンをしていない。
出発の時に前髪を留めていたヘアピンは、いつの間にやら、なくなっていた。
いつもしているヘアピン。
紫パールで、女子高生には少し幼いヘアピン。
あれは、何なのだろうか。
一歌はすごく狼狽している。
きっと、一歌にとって大切なものなのだ。それは聞かなくても分かった。




