第31話 そんな彼女と下田散策。
石造りの商店の前で一歌が立ち止まった。
店の前には金魚鉢が置いてあって、水面には浮き草が揺れている。
笑顔の一歌が何かを俺に見せている。
「蒼くん。これ、誕生日……」
…………。
ガタンガタン
「次は伊豆高原〜」
駅員の鼻にかかった声で目を開けた。
左頬が温かくて、一歌の髪の毛が俺の鼻のあたりにかかっている。
「蒼くん。おはよ」
どうやら、俺は寝てしまったらしい。
一歌との貴重な時間なのに勿体無い。
俺が身体を起こそうとすると、一歌が俺の頭を、自分の胸の辺りに押し付けた。
「蒼くんは、試験とかでお疲れだから、もっと寝てください」
はぁ。
一歌の心音を聞いていると、落ち着く。
なんだか、知り合ってからの時間に比例して、一歌が良い子になっていくぜ。でも、知り合った時がピークの優しさよりは、ずっと良いかな。
……それにしても、変な夢だった。
もしかして、あれは予知夢ってやつで、旅先で誕生日プレゼントをおねだりされるのだろうか。
ブレスレットもあるけれど、欲しいものがあるなら、できるだけ応えたいな。そこは臨機応変に。
俺らは今、熱海で伊豆急行に乗り換え、下田を目指している。伊豆急行は、基本海沿いを走るので、ずっとオーシャンビューだ。
俺たちが乗った列車は、半分が見慣れたベンチシートで半分は箱席だ。他に人はいなかったのだが、箱席の片側に並んで座った。
途中、コンビニで買ったオニギリを2人で頬張る。駅弁の方が情緒はあるのだろうが、俺達にはちょっと高い。またいつか大人になったら、あの高そうなお弁当を食べよう。
すると、窓側に座る一歌がちょんちょんと俺の膝をつついた。
「おべんと、次に来たら食べよ♡ 次に来る時の楽しみができて、嬉しい♪」
と、いうことらしい。
まだ行き道だよ?
随分と気が早いけれど、次に来た時のことを考えてくれるのは、素直に嬉しかった。
1時間が過ぎた頃、列車は熱川を通過した。
ところどころに湯気が上がっている。
「そ、そうくん。火事かも」
一歌はすごくアセっていたが、下調べした俺は知っている。あれは、温泉の湯気なのだ。
男をあげるチャンスだ。
ここで、再試男の汚名を返上しなければ。
「あれな、実は……」
すると、一歌が声を上げた。
「温泉って書いてある煙突が立ってる。あれ、きっと温泉の湯気だよ!!」
「そ、そうだね……」
「ごめん、んで。蒼くん。何?」
「……なんでもないです」
思い通りにはいかないものらしい。
それから30分程で下田についた。
駅から出ると、目の前はロータリーだった。ローカル線だと思っていたが、駅舎は綺麗だった。ロータリー中央の島には椰子の木が生えていて、ちょっとした南国気分だ。
昔の人は、新婚旅行で来ていたりしたのかな。
そんなことを考えながら歩くと、一歌が手を握ってきた。
「蒼くん。連れてきてくれてありがとう」
「ペンションに行ってチェックインしようか?」
「うん」
ペンションは駅から歩いて15分ほどのところにある。オーナーさんが迎えに来ると言ってくれたのだが、散策も楽しみたかったので断った。
駅からペンションに続く道は石畳で、すぐ脇は水路になっている。レトロな街並みだが、石造りの建物が多く、どことなく異国情緒が漂っている。
「蒼くん。この道、ペリーロードって書いてあるよ。ペリーってなんだっけ?」
ペリーって日本史の教科書にのってた、フワフワ頭のオジサンだよな。たしか……。
「ペリーは軍人だよ。江戸時代に軍艦に乗って下田にきたんだ。当時の幕府は長崎でオランダと交流をもっていたんだけど、軍艦は黒船っていって云々……」
一歌がキラキラした目で俺を見つめている。
さっきの熱川での失態を取り戻せただろうか。
「蒼くん。ものしりっ!!」
き、気分がいい。
おれ、今この瞬間ほど、日本史を勉強して良かったと思ったことはない。俺の17年間が報われた気がする。
神様、ありがとう!!
「あれっ!!」
一歌が数軒先の店頭で立ち止まった。
ここにきてからの一歌は、大きな目をキラキラさせていて、子供みたいだ。
一歌が店頭にある石ころを手に取った。
「蒼くん。これすごいっ!! この石、変な形してて可愛い。近所の河原で見つけたんだって」
ふと、視線を石畳にうつすと、金魚鉢が見えた。水面には浮き草が浮いている。
あれっ。この景色。
どこかで見たことがある。
店頭のテーブルには無数の石がおいてあって、値札がついている。
どれも、1,000円以上する。
一歌が手にもっている小さな石ころに至っては、8,000円だ。これ、そこらの河原の石ころだろ? 原価0円でしょ?
高過ぎでしょ……。
そして、俺は気づいてしまった。
これは、夢で見た光景だ。
たしか、この後、一歌は、誕生日がどうのと言っていた。
まさか。
おれは、これからこの石ころをねだられるのか?
たしかに、誕生日の希望に応えたいとは思った。でも、この石ころに8,000円も出すのはイヤだ。
おれが願うような気持ちで話を聞いていると、一歌は嬉しそうに石ころを撫でた。
「この石、可愛いから誕生日」
たのむ、一歌。
その先は言わないでくれ。
しかし、一歌はとまらない。
「こほん、わたし、蒼くんの今年の誕生日に一緒に居れなかったし、これ、誕生日プレゼントで渡したいんだけど、どうかな?」
「え……」
本気で要らないんだけど。
「ど、どうかな?」
この人、この石ころを8,000円で買うつもりなの?
「いや、ごめん。いらん……」
一歌の目に涙が溜まっていく。
「あ、でも、他のものなら嬉しい」
一歌は小石を両手でもって力説する。
「コレを超えるのないし!!」
石ころの何にそんなに惹かれるんだ。
ちょっと理解できん。
「じゃあ、プレゼントは、一歌自身がいい。んでね……」
俺は一歌の耳元で希望を伝えた。
「わ、わ、わかった。いきなりは恥ずかしいから、来年のお誕生日なら。でも、そんな恥ずかしいこと言えないし……、ご主人様に朝まで可愛がって欲しいニャン、なんて口が裂けても言えないし!!」
一歌よ。もう言えてるから大丈夫だ。
それにしても、来年の誕生日には、一歌とできるのかぁ。楽しみ過ぎて、今夜は眠れないかも。
そこで、俺は一つの疑問が湧いた。
今年の誕生日は俺は何をしてたんだっけ。
たしか、悶々として、家から一歩も出なかった気がする。そんな俺が、今は彼女と一泊旅行だ。
人生、何が起きるか分からない。
じゃあ、一歌は?
まだ俺と知り合う前の一歌は、俺の誕生日に何をしてたんだろう。
「一歌。俺の誕生日、……今年の5月18日には何をしてた?」
一歌は首を傾げ、数秒間、「うーん」と唸ると、ポンッと手を叩いた。
「たしか、その日はね。ナンパされた子と、ホ……て」
「ほ?」
一歌は笑顔だったが、唇の端がプルプルしている。
「ほ、ほ、……ホタテ大好き愛好会を作ったの!!」
ホタテって。あなた、前に貝類は嫌いって言ってたでしょ。それにしても、健全なナンパね。
ここまで嘘が下手だと、いっそ清々しいな。
ただ、ここで上手に誤魔化されるよりは、俺としては、一歌の不器用さは好ましいと思えた。
俺は変わってるのだろうか。
もちろん、こういう話は嬉しい訳ではないが、過去のことでイライラしたり一歌を非難しようとは思わなかった。
……俺も少しは成長してるってことかな。
一歌が俺のことを心配そうに見ている。
怯えさせてしまったかな?
だから、俺は笑顔を作ると、一歌を抱きしめて言った。
「一歌のこと、すごく大切だよ」
一歌は俺の腕の中でニマニマすると、小声で言った。
「いつか……、そうくんの子供が欲しいニャン♡」
それを聞いてドキドキしてしまった。
よくわからないけれど、最上級の愛情表現をされた気がする。
笑う門には福来るっていうけれど。
あながち間違いではないらしい。