第3話 そんな彼女は俺の名前を知らない
いや、まじか。
名前も知られてないって。
さすがにへこむわー。
「藍良 蒼」
「ふーん、蒼くん……ね。そっかそっか。かっこいい名前じゃん。あ、わたしは、一歌ね。片瀬 一歌」
いやいや、知ってますから。
名前を褒められても、今更すぎて喜べない。
「あ、呼び方なんだけど蒼でいいよ」
「じゃあ、蒼。わたしのパンツ返して」
呼び捨ての適応はやっ。
「いや、ついでに洗うけど?」
「……恥ずかしいんだよ。ばか!!」
一歌はパンツを奪い取ると、勢いよくドアを閉めた。初デートでエッチに誘ってきたくせに、パンツは恥ずかしいのか。
謎の価値基準だ。
しばらくすると、一歌は備え付けのガウンのようなものを着て出てきた。
「蒼もどうぞ」
「いや、俺は……あ、でも。俺だけ汗臭かったら失礼か。じゃ、いってくる」
俺は頭からシャワーをかけた。
頭を冷やしたくて、お湯じゃなくて水にした。
ザーという水の音を聞きながら、今の状況について考える。
一歌はあのガウンの中は裸なんだよな。一歌は顔も身体も最高だ。まぁ、中身はあれだが。
密室に裸同然の男女が2人。
だから、きっと。することは決まっている。
俺は今日、初体験をするのだろうか。
自分から、あんなに拒否したのに?
かっこ悪すぎる。
でも、俺の下半身は、同い年の異性に興味津々なようだった。
意を決して風呂から出ると、一歌はベッドに転がってゲームをしていた。
「長かったね。蒼もしない?」
一歌はコントローラーを俺に渡した。
ゲームはアクションで、俺が小学生の頃にハマっていたやつだった。だから、楽勝だった。
一歌は負けず嫌いらしく、食い下がってくる。30分ほどゲームをして、ひと段落した頃、一歌は言った。
「蒼。わたしね。あたま悪いから、アンタが昨日、なんで泣いちゃったのか分からないんだ。ずっと考えてたんだけど」
そうか。
人の気持ちが分からない子なのかな?
でも、知ろうとしてくれてることは、少し嬉しかった。
きっと、一歌には、察してとか、想像してとかは通じないだろう。だから、ストレートに言うことにした。
「俺さ。女の子と付き合ったことなくて、初めての彼女ができて舞い上がってたんだ。だから、いきなりホテルに誘われて、一歌が他の人ともそうなのかなって思ったら、悲しくなっちゃって」
一歌はゲームをする手をとめた。
「わたし、こんなだから。噂通りなんだよ。男の子はそういうの求めるし、しないとわたしなんて価値がないっていうか、求められたら応えるのが普通なのかなって思ってる。あのさ、わたしのことイヤだったら、無理しなくていいから」
一歌は、どこか寂しげだった。
「あ、いや。そういう意味じゃなくて、俺が勝手に決めつけてたのが悪いんだし」
「……もう会うのやめる?」
ん。また会ってくれる気なのか?
「いや、会いたい」
「じゃあさ、来週の土曜は何時にする? あと、わたし、日曜は用事があるから、午後からがいいかも」
えっ。土日とも会うつもりなのか?
いや、まあ、全然いいんだけど。
でも、それって、実は俺のこと好きってことなんじゃないの? よくある王道展開だ。ふふっ。聞いてみるか。
「うん。あの、もしかして、一歌って、実は俺のこと好きとか?」
一歌は眉を吊り上げた。
「調子に乗らないで。……ただの……ただの義務感だから」
「あ、ごめん。それでいいよ」
今はそれでいい。
でも、いつか義務じゃなくなるといいな。いつかが来るか分からないけれど。
一歌は向こうをむくと、すごく小声で何か言った。
「……昨日は泣かせてごめん」
うん? らしくないな。
……聞かなかったことにしよう。
でも、一歌のゴメンを初めて聞いた気がする。一歌は、性格もきついし、ビッチだとしても。実は素直なのかも知れない。
「蒼」
一歌に呼ばれた。
「ん?」
もう少し、この子のことを知りたいな。
……一歌も少しは俺のことを気に入ってくれてるのだろうか。
すると一歌は言った。
「わたし、呼び捨てを許した覚えはないんだけど?」
……やはり、俺に好意はないようだ。




