第25話 そんな彼女の家庭教師。
あれから毎日、一歌は家に来てくれた。
そんな一歌の家庭教師もこれで6日目。今日が最終日だ。
明日の再試験に備えて、今日はおさらいをすることになった。
一歌は、天才肌で教えるのは苦手だと思ったけれど、25点の俺の実力に合わせて、ノートを作ってきてくれた。俺がすぐに理解できなくても、イライラしたりせず、何度も何度も教えてくれる。
おかげで、数字に対する苦手意識も、少しは和らいだ気がする。
これならきっと、45点は取れる……ハズ。
時々、一見、無関係そうな(実際、参考書にも引用されていないような)、中学時代の公式を持ち出してきて解いたりするので、追いついていけないことはあったが、一生懸命に教えてくれてるので、俺のモチベになった。
それと、新発見があった。
一歌の字は、意外にも、丸っこくて可愛いのだ。
「一歌の字、可愛いね」
すると、褒めたのに何故か、あっかんべーをされた。
「わたしを揶揄わない!! あと、1日でしょ? ちゃんとやる!!」
俺のために真剣に怒ってくれている。
でも、集中できないのだ。
黒髪の一歌。清楚なワンピースで、いつもの生足とは違うストッキング。綺麗な足のライン。形のよいヒップ。柔らかそうなバスト。
かきあげるたびに、フェイスラインにさらりと落ちる艶々の髪。ふわっと漂うシャンプーのかおり。
いつもより、大人っぽい雰囲気。
一歌が動くたびに、目が彼女を追ってしまう。
……俺は発情期なのかな。
いや、可愛い女の子と密室にいるのだし、これが17歳の健全な反応だと思う。
一緒に勉強していて、つくづく思ったのだが、一歌は本当に計算が速い。
「一歌、頭の回転速いんだな」
おれがそう言うと、一歌は気まずそうに俯いた。
「そうなのかなぁ。でも、嫌なことあると、いらないことをグルグルと沢山考えちゃうし」
「でも、羨ましいよ」
「うん。前はイヤなだけだったけれど、最近は嬉しいんだ」
「どうして?」
「だって、蒼のこと沢山考えられるし♡」
一歌は俺の方を見つめた。
目が合って胸がドキッとした。
やばい。衝動を我慢できない。
「いちかっ」
「きゃっ!!」
俺は一歌の両腕を掴んで、床に押し倒した。
一歌の髪の毛がフローリングの上に、放射線状にひろがる。
「ごめん。ちょっと、我慢できない」
「……興奮しちゃった?」
一歌が潤んだ瞳で見つめてくる。
「うん。一歌が可愛すぎて」
「そうかぁ。わたしも欲しい……かも」
「えっ? じゃあ……」
「うん。でも、続きは、これ答えられたらね」
「……え?」
「sinの加法定理は?」
「う、う。sin(α + β) = sinαcos ……続きは忘れた」
一歌は俺の両肩を抱きしめた。
「ぶーっ♡ sin(α + β) = sinαcosβ + cosαsinβだよ?」
「うん……」
「明日の試験、大丈夫かなぁ?」
俺が作り笑いをしようとすると、廊下でガタッという音がした。音の方を見ると、パタンとドアが閉まった。
監視されてる?
俺がドアを開けると、そこには、うちの家族が勢揃いしていた。3人とも出来損ないの体育座りのような体勢で、俺を見上げている。
父さんは右手をあげた。
「や、やぁ。蒼。こんな昼間の実家で、そういのはよくないと思うぞ……?」
こいつら、ずっと見ていたのか。
父さんは続ける。
「これな。小遣いやるよ。明日、試験の後、一歌ちゃんと何か食べておいで」
俺がお金を受け取ると、3人はすぐに居なくなった。
(ったく。詫び金のつもりか?)
部屋に戻ると、一歌は帰り支度をしていた。
「6日間、お疲れ様。わたしは明日は用事があっていけないけれど、試験がんばってね♡」
「おう。まかせとけ」
これだけ付き合ってもらったんだ。
一歌のお見送りがないのは寂しいけれど、結果を出さないと。
一歌は帰って行った。
俺が一歌の後ろ姿に手を振っていると、一歌がこちらを振り返り、たたっと駆けて戻ってきた。
ちゅっ。
頬にキスされた。
「おまじない♡ 蒼くんは、わたしの宝物だよ♡ 明日、頑張って!!」
俺はビックリして、頬を押さえたまま固まってしまった。そして、出来の悪い石像のような、中途半端な格好で、何度も名残惜しそうに振り返る一歌を見送った。
次の日の朝。
俺は仏壇に線香をたてると、会ったこともない爺さんに、再試験での勝利を宣言をして家を出た。
学校へは、ずいぶんと早く着いてしまい、万事整えて、席で試験時間を待つ。
再試験になるような人は、みんなギリギリに来るらしく、まだ誰もきていない。
(ま、試験は午後イチだからな。そんなもんか)
仕方なく机につっぷしていると、スマホにメッセージが届いた。
隆からだ。
こんな時間に珍しい。
それはこんなメッセージだった。
「美桜には、言わない方が良いって言われたんだけど、それは違うかなって。蒼は友達だから送るよ。さっき、◯◯駅の歓楽街で片瀬さんを見かけてさ」
◯◯駅の歓楽街は、俺らの生活圏から随分と離れているし、飲み屋や風俗店、ラブホテルなどが多く、治安のいい場所ではない。
(……◯◯なんかで何の用事だろう)
画面を下にスクロールすると、写真が添付されていた。写真には一歌が写っていて。
学校でもないのに、制服だった。隣にはスーツを着た中年の男性がいて、一歌は、その男の袖を掴んでいる。
え?
なんで?
……今日、用事があるって言ってたじゃん。
俺は写真の街並みに見覚えがあった。
たしか、ここを真っ直ぐいくと、ラブホ街だ。
俺より大事な用事って、このこと?
俺は激しい動悸と、吐き気に襲われた。




