第2話 そんな彼女はブタが好き。
次の日。
また駅前で待つ。
今日の待ち合わせも12時だ。
昨日、あんなことがあった後だ。
きっと、時間通りに来てくれるハズ。
ところが、彼女は来なかった。
ふっ。
分かってた。そんなもんだ。
昨日と同じ12時45分まで、じっと待つ覚悟はあるさ。
すると、雨が降ってきた。
「……しまった。傘を買ってくるか。それにしても……」
左手の甲を見た。
俺の左手には、親指と人差し指の間にナイフで刺したような傷痕がある。これは小さな頃の古傷なのだが……当時の事は、よく覚えていない。
(今日はやけに疼くな)
昨日、家に帰ってきてからジンジンと痛むのだ。湿度が高いからなのかも知れない。
そのうち12時45分になり、やがて13時になった。しかし、彼女はこなかった。
……また、からかわれたのかな。
最初から来る気なんてなかったのかも。
すると、声をかけられた。
「待たせちゃった?」
一歌だ。
肩口の開いてウエストが見えるクロップドのニットを着ている。
12時に待ち合わせをして、今は13時だぞ?
待ったに決まってるではないか。
でも、俺は首を横に振った。
今日は昨日と違って、服もメイクも頑張ってくれている。少なくとも遅刻追加分の15分以上は、準備にかけてくれたと思う。
でも、もっとナチュラルメイクの方が、可愛いのにな。……なんて言ったら、殺されそうだ。
一歌は空を見上げて言った。
「わー。雨じゃん」
「傘は?」
「持ってない」
朝の天気予報。
降水確率100%だったんだけど。
どうやら彼女は、そういうのに頼らない派らしい。
「傘、一緒に入る?」
そう言うと、一歌は頷いた。
また並木道を一緒に歩く。
でも、今日は昨日と違って、一歌と並んで歩いている。あいあい傘効果だ。
しばらくしても、会話がない。
それはそうか。ギャルな一歌と俺では、共通の話題が皆無なのだ。
弾ませる話題が、そもそも無い。
不意に一歌が足を止めた。
そこは、ぶたカフェだった。
「興味あるの?」
一歌は首を横に振った。
「別に……興味ないし」
だが、ちらちらブタを見ている。
明らかに興味がありそうだ。
「入ろうか」
一歌は文句を言いながらも付いてきた。
「昨日のこともあるし、付き合いだから」
店内に入ると、一歌はいつの間にやら、子豚を膝に乗せていた。口を尖らせながらも、嬉しそうだ。
一歌と目が合った。
すると、不満そうに声のトーンを下げた。
「……なんだよ」
「別に……」
一歌は俺を睨みつける。
「きもいんだよ。こっち見るな」
だが、その口元は緩んでいた。
ピギーッ。
ブタが急に騒がしくなった。
尻を振りだし、気づけば、一歌の膝の上で脱糞しているではないか、
一歌の上着も手も糞まみれだ。クロップドのトップスが仇となり、お腹のあたりまで汚れてしまっている。
これでは、服を着替えるだけではダメだろう。
スタッフがすぐにきて平謝りされたが、一歌は目も当てられない状態だ。服もお腹も糞まみれのこの状況、普通の女の子なら泣くと思う。
どうしよう。ヤバいんじゃ。
一歌のことだ。ブチ切れて、スタッフをなじるかも知れない。
「…………別にいいです。ブタのしたことだし」
それは意外な答えだった。
手足は拭き取ったが、全部は取り切れなかった。一歌の服は糞だらけのままだ。
スタッフさんに顔をあげてもらって、とりあえず、店を出た。一歌は意外に平気そうにしているが、ちょっとそのままの格好では歩かせられない。
「ちょっと待ってて」
俺はたまたま目についた店に入ると、店員さんに頼んで女性の服を見繕ってもらった。ジップアップのパーカーだ。間に合わせで申し訳ないけど、これで我慢してもらおう。
それを一歌に渡す。
「これ、よかったら着て」
「……いいけど。いくらだった?」
一歌はお財布を出した。
さっきもそうだ。ブタカフェでもお金を出そうとしていた。俺はてっきり、一歌は、おごられて当たり前な子かなと思ってた。でも、少し違うのかも知れない。
とはいえ、俺にとっては人生初のデートみたいなもんだ。女の子にお金は出させられない。
「いや、いいから」
俺はお金は受け取らなかった。
それにしても、どこか着替えられる場所は……。匂いもあるし汚れも落とせる場所。
俺がキョロキョロしていると、一歌が足を止めて、上を見上げた。
一歌はネオン輝く建物を指をさした。
それは、昨日引き返したラブホがあった。
「ここならシャワーあびれるよ」
「でも……いや、仕方ないか。風邪ひいちゃっても困るし、ここで着替えようか」
「えっ。いいの? だって、アンタ、ここイヤって言ってたし。また泣かれたら困るし」
……おれってば、すっかり乙女扱いだな。
「いいから」
俺は一歌の手を引いて中に入った。
初めて入ったラブホテルは、入り口にタッチパネルがあって、部屋を選ぶようになっていた。俺が操作に迷っていると、一歌が操作してくれた。
「えっと、この安いところでいいよね?」
そう言って一歌は部屋を選んだ。その手慣れた様子を見ていて、俺はまた悲しくなってしまった。
俺の初めての彼女は、ラブホに慣れすぎている。
エレベーターに2人で乗る。
女の子とこんなに至近距離で接するのは、生まれて初めてだった。
俺は今、生まれて初めて女の子とラブホにいるのだ。しかも、外見だけは可愛くてスタイルの良い子。そう思うと、自分の心臓の鼓動が身体中に響いているのが分かった。
「いらっしゃいませ」
ドアを開けると、無機的な電子音に迎えられる。部屋の中は、原色の家具で統一されていて、なんだかケバケバしかった。
「わたし、臭いよね。……シャワーしてくる」
一歌はすぐにシャワーを浴びに行った。
(思う存分、ブタ糞を落としてくれ)
俺は物珍しいインテリアを眺めながら、一歌の服を洗わないといけないことに気づいた。サービスタイムなので時間はあるし、部屋に備え付けの衣類ドライヤーを使えば、乾きそうだ。
「ごめん、服洗うから、ちょっと渡してくれる?」
「あっ、よろしく」
脱衣所のドアを少しだけ開けて手を入れると、一歌が服を渡してくれた。
俺はスカートだけのつもりだったが、上着も渡してくれた。染みになるといけないし、一緒に洗ってしまうか。
一歌の服を洗面台で広げると、見慣れないものが落ちた。
それは下着だった。
ブラとパンツ。普通に渡されたらしい。
(これってやっぱ、俺のこと、男と思ってないってことだよな……)
下着は黒だった。俺は女っけ皆無の童貞男子なのだ。女子の下着に興味がないわけがない。少し、いや、正直、めっちゃ興味がある。
(どんな匂いがするんだろ)
嗅ぎたい衝動に駆られたが、なんとか思いとどまった。
すると、脱衣所のドアが5センチくらい開いた。
もしかして、下着のことに気づいて「キャー」とか騒ぐのかな。
一歌は言った。
「ところで、あんた。名前、なんていうの?」
まじか。俺の名前すら知らないとか。
そこからかよ……。