第10話「初詣の雪解け、二つの心が溶け合う朝」
新年の光が、葉月学園の雪化粧した校舎を優しく照らしていた。朝もやの中、神社の石段をゆっくりと上る二人の少女の姿があった。葉月詩音と風間澪。彼女たちの足跡は、新雪の上に儚く美しい軌跡を描いていく。
詩音は、隣を歩く澪の姿を見つめながら、胸の内に複雑な感情の渦を感じていた。新年を迎え、これからの未来への期待と不安が入り混じる。そして何より、隣にいるこの少女への想いが、まるで雪解けの水のように、静かに、しかし確実に彼女の心を満たしていく。
「ねえ、詩音ちゃん」
澪の息が白い霧となって、冷たい空気に溶けていく。
「何かしら?」
「私、寒くて震えちゃってるんだ。手を繋いでもいい?」
詩音は微笑みながら、澪に手を差し出した。二人の指が絡み合う瞬間、詩音の心臓が高鳴るのを感じる。澪の手の温もりが、詩音の全身に広がっていく。
この感覚は一体何なのだろう……友情? 愛情? それとも……)
詩音は自分の気持ちに戸惑いを覚えながらも、澪の手をしっかりと握り締めた。
二人は手を繋いだまま、石段を上っていく。頂上に近づくにつれ、初日の出を拝もうと集まった人々の姿が見えてきた。
「わぁ、綺麗……」
澪が感嘆の声を上げる。朝日に照らされた澪の横顔が、まるで陶器のように繊細で美しい。詩音は思わず息を呑む。
どうして今まで気づかなかったのだろう。澪がこんなにも美しいということに)
「詩音ちゃん? どうしたの?」
澪の声で我に返った詩音は、慌てて視線を逸らす。
「な、何でもないわ」
詩音は自分の動揺を隠すように、急いで賽銭箱の前に向かった。二人は鈴を鳴らし、深々と一礼する。
詩音は目を閉じ、心の中で祈った。
私の気持ち……これは一体何なのでしょう。澪への想いが、日に日に強くなっていく。でも、これは友情とは違う。そう、きっと……愛なのだと思う)
でも、こんな気持ち、澪に伝えていいのでしょうか。もし嫌われてしまったら……私たちの関係が壊れてしまったら……)
複雑な思いを胸に秘めたまま、詩音は目を開けた。隣では澪も祈りを終えたようだ。
「ねえ、詩音ちゃん」
澪が突然立ち止まった。
「何かしら?」
「さっきのお願い事、何だった?」
詩音は少し考えてから答えた。
「それは内緒よ。叶わなくなっちゃうから」
「もう、詩音ちゃんったら!」
澪が頬を膨らませる。その仕草が、詩音には愛おしく思えた。思わず、詩音は澪の頬に手を伸ばす。澪の頬の柔らかさと温もりを感じながら、詩音の心は激しく鼓動を打っていた。
「で、でも……きっと叶うわ」
詩音は澪の目をまっすぐ見つめた。
「私たちの願いは、きっと同じだから」
澪は驚いたように目を見開いた。そして、ゆっくりと頷く。
「うん、そうだね」
二人は再び歩き始めた。境内の隅には、古びた鐘楼があった。二人は無言のまま、その前に立つ。
「鳴らしてみる?」
詩音が提案する。澪は嬉しそうに頷いた。二人で縄を引くと、深い響きが境内に広がった。その音色は、まるで二人の心音のように感じられた。
鐘の余韻が消えていくまで、二人は黙ったまま立っていた。そして、ゆっくりと見つめ合う。詩音は、澪の瞳に映る自分の姿を見つめながら、胸の内で激しく渦巻く感情と向き合っていた。
私は、澪のことが好きなんだ。友達以上の、特別な存在として)
その瞬間、詩音の中で何かが変わった。迷いが消え、確かな想いが心を満たしていく。
「澪……私、あなたのことが……」
詩音の言葉を遮るように、澪が詩音に抱きついた。
「私もよ、詩音ちゃん。ずっと言えなかったけど……私、詩音ちゃんのことが大好き!」
詩音は驚きのあまり、言葉を失った。しかし、すぐに優しく澪を抱きしめ返す。
「私も……大好きよ、澪」
二人の抱擁が解けると、おもむろに顔を近づけていく。周りの喧騒が遠のいていく。
「私たち、きっと素敵な大人になれるよね」
澪のつぶやきが、詩音の耳に届く。
「ええ、必ず」
詩音は静かに答えた。
「だって、私たちにはお互いがいるから」
二人の唇が、静かに重なる。それは、焦がれるような情熱的なキスではなく、互いの存在を確かめ合うような、優しく儚いキスだった。
別れの予感と、永遠の愛。相反する感情が、二人の心の中で交錯する。しかし、この瞬間だけは、全てを忘れて互いの温もりに身を委ねた。
キスが終わると、二人はお互いの額を寄せ合った。
「私たち、卒業してもきっと大丈夫」
詩音が囁く。
「うん、絶対」
澪も答える。
「たとえ離れていても、必ずまた巡り会える」
「約束だよ」
二人は小指を絡ませ、固く誓い合った。
その瞬間、鐘楼の上に一羽の鳩が舞い降りた。まるで、二人の誓いを祝福するかのように。
詩音と澪は、手を繋いだまま境内を後にした。新年の陽光が、二人を優しく包み込む。
これから始まる新しい一年。それは、試練と成長の日々になるかもしれない。しかし、二人の心の中には、確かな愛の光が灯っていた。
「何者かになりたい」という漠然とした願いは、今や「あなたと共に歩みたい」という具体的な想いへと変わっていた。
詩音は、自分の中に芽生えたこの新しい感情を大切に育んでいこうと心に誓った。それは、もう迷うことのない、確かに存在する、尊い想い。
二人の足跡が、白銀の世界に刻まれていく。その軌跡は、やがて消えてしまうかもしれない。しかし、二人の心に刻まれた愛の記憶は、永遠に色褪せることはないだろう。
新しい年の始まり。それは二人の、新たな愛の物語の幕開けでもあった。